鬼界カルデラ 日本神話の世界へ旅を終えて
自分でもよくわからない不思議な力に導かれるまま鬼界カルデラを訪れて、今まで漠然としていた点のひとつずつがようやく実感として線で繋がったように感じました。
現地に行くことは大切だと思いました。机の上だけでは分からない事があるものです。特に当時の人たちの心を理解する上で、現地での活動は欠かせないものです。
さて日本神話の話に戻ると、イザナギは黄泉の国から帰って来た後に、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの3大神を生み出します。
そして日本神話で最も有名な、天岩戸の出来事が起こるのです。
この話はスサノヲが暴れたことによって、アマテラスは岩戸を閉ざして洞窟に隠れてしまうという内容です。よく日食を表すものであるという解説を見かけますが、私は間違っていると思います。
話の内容からしてもアマテラスが隠れた期間はかなり長い期間であることを感じ取ることができ、これがまさに鬼界カルデラ噴火によって太陽が見えなくなったことを意味していると考えています。
そしてスサノヲはとんでもない暴力者として描かれており、それは鬼界カルデラ噴火によって起きた火砕流や津波を表し、それらは海からやって来た大災害であるため、スサノヲは大海原の神とされているのだろうと解釈しています。
また、「根の国」という概念があり、それは死者の国で海底にあるとされるほか、スサノヲは根の国は「母のいる場所」であると述べており、これが海底の鬼界カルデラ火山を指し示すものだと思われます。
おそらく断続的に続いた破局噴火によって、太陽は数百年間まともに顔を見せることが無くなったと想像できます。この時期に200年間ほど、木の実が存在しないことがわかっており、相当な規模の噴火が続いていたと考えられるのです。
しかも同時期に霧島連山の高千穂峰も活発に噴火していると見られることから、縄文人にとって長い長い暗黒の時代であったでしょう。
ちなみに3大神のツクヨミに関しては、現時点では今一つわかりません。ひょっとすると、後に別の話が混ざって付け足された神なのかもしれません。
宮崎市の南にある日南エリアに、鵜戸神宮があります。
日本有数のパワースポットで、断崖絶壁の海岸にある珍しい神社です。
鵜戸と名のつく神域はここ以外にも全国に多数ありますが、その原点が最も有名な日南の鵜戸神宮であると勘違いしている人は多いと思います。
宮崎市の江田神社の原点が都城市の檍神社ではないかという話から今回の私の旅が始まりましたが、実は鵜戸神宮にも同様の事が言えるのです。
鹿屋市の南部に吾平山上陵という神域があり、ここは神武天皇の父とされるウガヤフキアエズのお墓とされています。
先の鵜戸神宮が祀るのはこのウガヤフキアエズなのです。
吾平山上陵は静かな谷沿いにある御陵ですが、断崖の洞窟となっていて、驚くべきことに鵜戸神宮と見た目がそっくりです。
洞窟のある断崖の山は鵜戸山と呼ばれています。
そもそも鵜戸とはウガヤフキアエズのことを指します。
そしてこの吾平山上陵のある場所が、鹿屋市の南部、即ち鬼界カルデラ噴火による火砕流が到達した境界ラインなのです。
洞窟が神域として神社になっている例はたくさんありますが、ここは御陵、つまりお墓であり、極めて珍しいものです。
普通は御陵であれば広々とした見渡しの良い場所に作られるものです。
この洞窟御陵の特殊性は、そのまま存在そのものの特殊性につながると私は考えていて、檍神社と同じく、鬼界カルデラ噴火の火砕流が襲ってきた時に、やはりこの洞窟そのものが火砕流を避けて助かる場所となったのではないかと見ています。
檍神社よりもさらに南部にあるため、被害も大きかったと考えられますが、分厚く頑丈な洞窟によって、また火砕流がやってくる方向に背を向ける立地によって守られていた可能性があります。
目の前には川が流れており、火傷を癒す手段もありました。
この頑丈な洞窟は、数百年間も振り続ける火山灰を避けるには最適だったことでしょう。その当時にここで生き残った縄文人のリーダーもしくはその子孫こそが、神武天皇の父ウガヤフキアエズだったのかもしれません。
つまりウガヤフキアエズは実在人物であった可能性が十分にあり、発掘が期待されるところですが、なにぶんこの地は宮内庁が直轄管理しており、未だ謎のままです。
私の見解としては、檍神社と、この吾平山上陵、今の日本はここを起点に始まったのだと考えています。
そして彼らは洞窟や神域によって命を救われた後、現在の宮崎平野へ拠点を移動させ、以前述べたように拠点の近くに改めて江田神社のような神域を造り奉ったのでしょう。
宮崎平野には干潟や遠浅の海があり、海産資源が豊富だったはずです。
これらの人類史上最大の災害を文字によって伝える事が困難で、伝承として世代を越えて伝え続けたことによって、日本神話が生まれたと思われます。
これが私の旅の結論です。
今後も私の旅は終わらないし、写真を撮り続けることで何かを発見できるかもしれません。
旅は夢とロマンの宝庫です。