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菊池渓谷と南阿蘇

日本は世界で最も多彩で多様な風土を持つ国家のひとつです。
国土面積は62位となっていて、いわゆる平凡で平均的なものなのですが、なんと海洋面積は世界第6位です。
東西南北は約3000キロもの幅があり、亜寒帯から亜熱帯までをカバーし、世界で最も積雪があり、世界でも有数の火山が多数あり、世界で最も複雑なプレートの融合点に存在し、等々数え上げればキリがなく、極めて不思議で面白い国です。
そして世界で最も歴史の長い国でもあります。

私自身、日本をあちこち見て回っていますが、たぶん一生かけても日本を網羅することは困難だろうなぁと、本気で思っています。
それほど複雑で奥の深い国なのです。

今回訪れたのは、九州の阿蘇エリアです。
九州の魅力は、世界有数の複数の超巨大噴火によって形成された火山台地であり、それによって見晴らしの良い雄大な地形と、溶岩の浸食によって形成された美しい渓谷などが挙げられます。

複数の超巨大噴火とは、単独の火山としては世界最大級の阿蘇山による9万年前の噴火であったり、同じく鹿児島湾を形成した姶良あいらによる3万年前の破局噴火、そして直近では喜界カルデラの7000年前の噴火などです。

ちなみに7000年前の喜界カルデラ噴火は南九州の縄文人をほぼ全滅させたわけですが、この時の出来事が日本の神話に受け継がれていると確信しています。イザナキとイザナミの黄泉の国の神話に関するもうひとつの神社が、ちょうど喜界カルデラ噴火によって絶滅したであろう都城みやこのじょうの境界ラインの丘の上にあるためです。丘の下の人たちはみんな死んでしまって、丘の上に逃げた人だけが生き残った可能性があり、ここに神話に関わる神社があるのは偶然ではないと考えています。

要するに日本の歴史はもっともっと遥かに古く、少なくとも1万年くらい前の情報が神話に影響を与えていると考えています。
日本は本当に面白い。

おっと、話がどんどん逸れました。

そんなわけで阿蘇へやってきたわけですが、本当はこの日、阿蘇山へ登ろうかと考えていました。
でも直前の気温が乱高下していて嫌な予感がしたため登山を中止し、阿蘇エリアの北西にある菊池渓谷を訪れた次第です。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / LAOWA Argus 18mm F0.95 MFT APO

結局早朝の阿蘇のふもとの気温は4℃で、登らなくて正解でした。始終吹きさらしの阿蘇なら、下手したら死んでます。

菊池渓谷の遊歩道の長さは1キロ程度と短いのですが、渓谷そのものは阿蘇の溶岩を侵食してできた大規模なもので、とても見応えがあります。
実際、九州の渓谷と言えば耶馬渓やばけいか菊池渓谷というくらい知名度が高く、紅葉シーズンは大変な数の観光客が訪れます。

今回は観光客が殺到する前に、紅葉ピークより少し早めの平日早朝であったため、すれ違う人もいなくて快適な渓谷歩きができました。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / LAOWA Argus 18mm F0.95 MFT APO

菊池渓谷を2時間ほどかけてブラブラしたあとは、阿蘇の外輪山へ出ました。ここはススキの風景が素晴らしく、東を見れば遠く九重連山が見え、絶景が連なります。
阿蘇エリアは中韓からの高濃度大気汚染に一年中悩まされていて、簡単には美しい風景が見えない場所だったのですが、ここ数か月で中国バブルが完全に崩壊してしまい、越境してくる大気汚染が激減しました。
数十年ぶりに本来の美しい阿蘇を普通に見ることができるようになり、地元の人たちも安堵していることでしょう。
公害による西日本の人たちの健康被害は、今、劇的に改善されつつあるはずです。

OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / LAOWA Argus 18mm F0.95 MFT APO
見渡す限り地平線までススキ

昼までススキの原っぱで放浪した後、南阿蘇へぐるりと周って南下し、撮影を行いました。
南阿蘇が私は大好きで、このエリアはいつも落ち着いていて静かなのです。北側は大騒ぎする観光客や、自意識過剰なうるさいバイクでごった返すわけですが、多くの人は北側だけでで満足して帰ってくれるようで、南側は本当に静かで落ち着いています。おススメですね。
阿蘇の本当の素晴らしさを知るならば、南側へ周るべきです。

噴煙を上げる阿蘇山はかつて縄文人の信仰対象となったはずで、湧水が多く水にも困らないことから、このあたりにも強力な豪族が都を築いていたのではないかと思います。

例えば神話で有名な宮崎県の高千穂峡は、以前も言いましたが、どう考えても古代に東の宮崎側からアクセスするのは地形的にムリです。
間違いなく西側、すなわち阿蘇側からアクセスしていたはずで、もちろん神話が出来上がる前の段階から高千穂峡が信仰されていたわけですから、神武天皇が出現する宮崎の都の遥か前に、阿蘇側に都があったであろうと容易に想像されます。

つまり歴史が記録に残る遥か以前から、日本では遷都を繰り返していた可能性が非常に高く「卑弥呼の国が簡単に見つからないのは当たり前」ということです。

おっと、またまた話が逸れましたが、それほど九州という地は、古代の魅力に溢れているのです。

この日は南阿蘇で1泊して、翌日はのんびりと宮崎市へ帰りました。

[ おしまい]


OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / LAOWA Argus 18mm F0.95 MFT APO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / LAOWA Argus 18mm F0.95 MFT APO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / LAOWA Argus 18mm F0.95 MFT APO
遠くに見えるのは九重連山
OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / LAOWA Argus 18mm F0.95 MFT APO
阿蘇カルデラと阿蘇山
OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / LAOWA Argus 18mm F0.95 MFT APO
南阿蘇の夕景
OLYMPUS OM-D E-M1 Mark II / LAOWA Argus 18mm F0.95 MFT APO
日の出前の阿蘇山

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