見出し画像

創発的アーバニズム 高架下を探索する〜神戸編〜

以前の記事で東京の高架下空間についてフィールドワークをした。
今回は神戸の高架下空間についてフィールドワークする。
神戸の中心部には北から阪急電車、JR、阪神電車と大きく3本の線路が通っている。それぞれの高架下空間をまとめたい。


JRの高架下 元町高架下(モトコー)

大阪-神戸間に鉄道が開通したのが1874年。2024年でちょうど150年になる。

開業時の神戸駅(出典:神戸市公式note

神戸駅を含む、灘駅〜鷹取駅間は1931年(昭和6年)10月10日に高架化された。複々線化は1937年(昭和12年)に完成、今のJR神戸線の形態に近くなった。写真は高架化ができた当時の元町付近を走る列車。

戦後、一体が焼け野原になる中、神戸に残った数少ない構造物である高架下に人が集まり、食料品や生活必需品の販売を始めたいわゆる「闇市」がはじまった。これがその後も続いていく元町高架通商店街(通称モトコー)のルーツになっている。

戦後の元町高架下の様子(出典:神戸新聞
焼け野原になった元町一体。左手手前看板の向こう側が、辛うじて残った神戸風月堂。 (出典:神戸風月堂HP

闇市時代の神戸の街についてはこちらの書籍に詳しく書かれている。
その紹介文を抜粋する。

――ただ人間は人間をもとめて集うのだ。
「日本一の大闇市場」とも称された神戸 三宮の闇市。
1945年夏以降、戦災復興とGHQによる占領政策が同時期に進むなか、多様な人びとがひしめき、せめぎあって、神戸の都心は形成された。
語り継がれてこなかった当時の人びとの活動を、新聞記事の引用と聞き取り調査、豊富な視覚資料にもとづき生き生きと描く、新たな都市空間の近現代史。

神戸 闇市からの復興 占領下にせめぎあう都市空間

モトコーは元町駅に近い1街区から神戸駅に近い7街区まで総長約1.2kmに及ぶ高架下。
2024年現在のモトコーはこんな感じ。
1街区(旧1番街)の入り口には「MOTOKOH TOWN 元町高架1」の看板が掲げられている。

多くの店舗はすでに退店しているが、当時の店の様子が窺える。中通路の構造になっていて北側と南側に多くの店舗が軒を連ねていた。
床は煉瓦敷きになっていて天井には蛍光灯と空の絵が描かれている。

3街区はかつて「元高3番街」の看板が掲げられていた。北側には花隈公園(花隈城址)や阪急花隈駅がある。ここには現在鉄骨造2階建ての建物が建っている。

ベンチがある広場も整備されている
3街区の一部を南側から見た様子

4街区は花隈南商店街と呼ばれていた箇所で「MOTOKO 花隈南商店街4」の看板が残っている。

5街区は「モトコーファイブ」と呼ばれていた箇所。

6街区は「モトコータウン6あじさいの街」と呼ばれていた場所。現在耐震補強工事が行われている。

7街区も3街区と同様の新しい建物が立っている箇所。
その隣では朝市や神戸D51PARKというBBQ場が運営されている。

闇市からスタートしたモトコーは、1960年〜70年代ごろには、外国人船員を中心に中古電化製品が売れるようになり、その後1980年代以降はサブカル、古本、ストリートファッション、楽器などの店舗が多く軒を連ねた。

三宮駅〜元町駅(JR・阪急)

三宮駅から元町駅の高架下はJRと阪急電車が並行して走る場所。
南側のJR高架下はピアザ神戸と呼ばれ、約400メートルの距離に160を超えるお店が軒を連ねている。モトコー同様、細い道の両側に隙間なく店がつながっている。こちらも戦後の闇市からスタートしたが、その面影はなく、鉄筋コンクリート構造の建物には洋服店やカフェ、スイーツ店など個性的な店舗と多くの人で賑わっている。
北側の阪急電車の高架下にも一部店舗が連なる。

一方、JRの北側の高架下は「阪急西口本通二・三丁目会」という商店街が繋がっている。こちらは北側道路に面しているので開放的な雰囲気。上部には阪急電車の高架がかかっており開放的でありながらも雨に濡れない構造になっている。生田神社の門前市で開けたとも言われる。個性的な飲食店やバーなどが連なる場所。

ピアザ神戸の東側には「三宮センイ商店街」が繋がる。戦後から高品質の服飾生地を販売する店が多い場所。飲食店や古本屋などもある。

阪急三宮駅は「EKIZO神戸三宮」としてリニューアルされている
阪急電車とJRの間を歩くと新旧の対比を見ることができる

阪急電車の高架下 王子公園

神戸の山側を走る阪急電車も高架になっているところが多い。
その中でも、1936年に営業開始した王子公園~三宮駅までの高架橋は、「阪急電鉄神戸市内線高架橋」として土木遺産に指定されている。
あの万世橋の高架橋(日本初の鉄筋コンクリート造の高架橋)を設計した阿部美樹志氏の設計。アーチ橋部分が道路と斜めで交差していてねじれて見えるのが特徴。

高架下の使い方もバラエティ豊か。
家具の工房兼ショップのMagical Furniture。玩具店兼コーヒーショップのKuli-Kuli。プリンセスソースの工場、工務店などモノづくり系の人たちが集結している。

阪神電車の高架下 御影市場

神戸の浜側を走る阪神電車。こちらも大部分が高架になっている。
東灘区の御影駅も高架になっている。
駅の東側はスナックなどの飲食店やレトロな飲食店が立ち並ぶ。創業1954年(昭和29年)という大西商店が目を惹く。

そして駅の南西側に行くと、高架下にぽっかりと空いた空間があり「沢の井」と書かれている。よく見るとコンコンと水が湧き出ている。
この沢の井で神功皇后が化粧を整え、この泉に姿が映し出されたことから「御影」という名前が付けられたという。

御影駅の北側に行くと西側に御影市場の入り口がある。
御影市場のHPによると、阪神電車が高架になったのは1929年(昭和4年)。1930年(昭和10年)にこの場所に移転し今の御影市場が出来上がったという。食料品や生活雑貨、衣服などさまざまな商品が揃うまさに地元に愛される市場。ただここも電鉄高架の耐震補強工事の予定があるそうなので今後の動向が気になるところ。

今回は、神戸を中心にJR、阪急、阪神の高架下を調査した。
今後の高架下の動向に注目していきたい。

以前の書いた参考記事


いいなと思ったら応援しよう!