人の心、犬知らず
「いい加減に早く起きなさーい」
下の階から御袋の怒鳴り声がする。驚いて飛び起きると、既に時計は7時半を回っているではないか。6年生になりたての僕は、集団登校の分団班長の大役を仰せつかっていたのですが、寝坊の常習犯でもあった。
分団の集合時刻は午前7時15分。自宅周辺から学校までは子供の足では1時間以上かかるので、少なく見積もっても7時20分には出発していないと具合が悪い。
集合場所に到着したのは7時35分。実に起床から5分で辿りついたことになります。ソワソワして待っていたのは恵三。ひとつ歳下の幼馴染であり、分団副長と言う肩書きだ。
「ゆーちゃん遅っせーから分団は先に行かせちまったぜ、早く追いつかなきゃ先生に叱られちゃうよ」
「あぁ、お前のせいにしておくから」
「何でだよぉ、やだよぉ」
「るっせい」
恵三は勉強こそ出来が悪かったが、なかなか機転だけは効く。だから友達が多かった。友達と言っても、彼は単にパシリ的な役割だったので厳密には違うかもしれない。
彼は三男坊。長男は覚、次男は智、4男は仁、何故か彼だけ恵三と名付けられており、三男坊だと言うことが強く強調されている。兄弟の中でも明らかに異質な存在だった。
長男と4男は極めて秀逸な存在で、地元では神童とまで噂されていたのに、どう言う訳か、真ん中の次男と三男は出来が悪い。次男はグレてろくすっぽ中学へも行かず、三男坊の恵三はパシリでチョロチョロしている。そんな恵三とは仲が良く、まるで兄弟のように育ったのです。
「ゆうちゃんギョウ虫検査持って来た? 俺ね、今朝早く母ちゃんにケツ見せてやってもらったんだ」
「。。。。。」
今日はギョウ虫検査のシートを提出する日だ。
ギョウ虫検査と言うのは毎年恒例の行事で、小学校に義務付けられていた検査です。キューピーさんの様な天使が、しゃがんでシートを肛門にくっつけている説明文が印象的。
青丸で記されたセロハン部分を肛門に押し当ててギョウ虫の卵を検出する超アナログな検査キット。2日連日で肛門にくっつけなければならない厄介者です。
「あかん忘れたわ、恵三の貸してくれや」
「やだよぉ」
これ忘れたら先生に間違いなく叱られる。
ややもすれば「今からトイレでやってこい」なんてことにもなりかねない。どうしたものかと恵三と思案しながらの通学になった。
「ゆうちゃん、諦めな」
「いや、だめだ、俺の担任はやたら厳しいので許してもらえない。ギョウ虫検査のライブってことだけは避けたいんだよな」
あっという間に校門に着いてしまった。肛門ではなく、校門だ。
校長先生が校門で出迎えてくれた。いつものように満面の笑みで児童を見守ってくれている。
閃いた!!
校長先生が学校で飼育しているケンタロウがいる。ケンタロウとは子供の柴犬のことで、動物との触れ合いを大事にすると言うモットーで学校に寄贈されていた。
ケンタロウのケツを借りよう。
「恵三、周りを見張ってろ!」
「う、うん」
僕はケンタロウの犬小屋に忍び込み、撫でるフリをしてギョウ虫検査シートを肛門に押し当てた。ものの10秒くらいの犯行でしたが、これがだっtかなりの達成感。これで叱られることは無くなったのですからね。
僕のギョウ虫検査シートは何事もなかったかのように朝のホームルームの時間に回収されて行った。袋にはケンタロウの名前ではなく、僕の名前がしっかり記されている。
数週間後、ケンタロウのシートのことなんて完全に忘れていた時のこと。
忘れもしない学年集会の場での出来事だった。
「最後に今から名前を言う奴は前に出て来い、2人いる」
体育館に集められていた同級生は130人。何事かとざわつき始めた。
「タケルとゆーじ、前に出てこい」
何だろうとドキドキ。チラッと先生の顔を見ると、明らかに怒りに満ちてはいない。何となく褒められるのではと淡い期待すら抱いた。しかし次の瞬間その期待は大きく裏切られてしまいました。
「お前らにはギョウ虫の卵があったらしい、だから今からこの薬を飲んでもらうからな」
体育館からはどっと笑い声が弾けた。まるで公開処刑だ。
タケルは知らないが、少なくとも僕は無実だ。でも今更ケンタロウの肛門だなとんて言えない。顔から火が出そうだ。
ふと隣のタケルを見ると泣いている。
そりゃそうだよな、同級生の前で俺ら辱めを受けているのだからな。令和の時代ならお茶の間を賑わすワイドショーになるところだが、当時は昭和のど真ん中。ハラスメントなんていう言葉すら存在していない。
ギョウ虫検査で陽性になったのはな僕ではない。タケルとケンタロウだ。
この事実を知っているのは恵三だけだ。
恵三助けてくれよ。
同級生が見守る学年集会でタケルと僕はギョウ虫駆除の薬を飲み干した。
ケンタロウは犬小屋で何をしているのだろうか。
きっといつもの様に大きな欠伸をしていたのだろう。
note友人の糸崎 舞さんの企画に寄せて。
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