「人生会議」に重ねた春空の記憶
この日は赤門のすぐ脇ある記念館で開催される研究会に、スポンサー企業として参加することになっていました。午前9時、蝉たちが盛んに囀っている大学構内に入ると、そこには歴史を感じさせるどっしりとした存在感が静かに横たわっている。僕だけではなく、親父も息子も崩せなかった東京大学の牙城が、今日だけはにっこり招き入れてくれている。
尊敬する本学ご出身の医師に相談され、本日はACP(アドバンス・ケア・ プランニング)について、つまり「人生会議」に関する講演を進めることになっています。「患者さんの病気について医療従事者やご家族と全員で話し合おう」って感じのやつです。
例えば、脳腫瘍の場合は化学療法に加え脳に放射線治療を施します。放射線量にもよりますが、将来的には脳が白質化してしまい、認知機能が悪化してしまうことが多いのです。患者さん自身で判断が出来なくなる前に、事前に皆で最適な治療選択やタイミングを共有しておくのです。
ご登壇されていた教授の話に自然と吸い込まれてしまいました。5歳の女の子の話がとても印象的。脳腫瘍が悪化して上手く話すことが出来なくなってしまった。窓には桜がきれいに咲いている。「中庭に出て桜でも見に行くかい」と少女に尋ねると、目に涙をいっぱい溜めて「うん」と合図を送る。車椅子に乗せ大学の中庭で少女と共に花見をした記憶。
数日後に天国に旅立った少女。「30年以上経った今でも毎年桜の季節になると、あの時の少女のことを思い出します」そう講演を締めくくった時、会場のあちらこちらから嗚咽する声が漏れ聞こえてきました。僕も隣に座る同僚に気付かれずに泣きました。
僕にも同じような思い出があるからです。
「先生とおくすり屋さんに戴いた素敵なお花見でした」
当時担当していた大学病院の教授秘書から突然呼び出しがかかった。何かヘマでもしたのかと思い、ドキドキしながら会社の事務所を飛び出したことを思い出します。医局に到着すると、いつもは愛想の良い秘書が無表情で手招きしている。
「先生、ゆーじさんがいらっしゃいました」
「はい、通して」
恐る恐る教授室に通されると、険しい表情をした教授と目があった。
「そこに座って」
デスクの前にはフカフカのソファーがあり、普段は僕らみたいな営業マンが座ることなんて先ずない。きっと何か怒らせたに違いない。
「あのね、よく聞いて。一昨年かな、あなたが頑張って倫理供給の手続きをしてくれたAさんだけどね、今朝亡くなったよ。それでご家族の方からこれを渡して欲しいと頼まれたの。読んでみて」
手渡しされた白い封筒の中には便箋が2枚入っていた。達筆で書かれた文字には気品があり、しなやかで優しい感じが漂っている。そこにはこう記されていました。
「先生とおくすり屋さんに戴いた素敵なお花見でした」
それを見た瞬間、止めどもなく涙が溢れ、声を出して泣き崩れました。教授に抱えられるまで暫く蹲り泣いていたと思います。
「頑張ってよかったな」
そう教授に声をかけられ、「はい」と返事をすることで精一杯でした。
今でもその手紙は大切に保管してあります。
通常、新薬が発売されると多くの手続きを経てから施設に採用されます。厳しい施設では新薬が登場してから一定期間は採用せず、市販後の副作用の発現状況を確認してから採用するケースもあります。今回も同様のケースでしたが、発売前から僕の新薬を待ち侘びている患者さんの存在を別の医師から伺っていました。通常ですとこの患者さんには届けられない。でもどうにかしてこの患者さんに届けたい、救いたい。そんな気持ちが強く、思い切って教授に相談してみました。
「確かにその患者さんはこの薬しか延命させる手段がないかも知れない。でもこの薬が発売になる年末までは到底持たないかもしれないな」
待てよ、大変だけどひとつ案がある。「倫理的供給プログラム」だ。
これは新薬の発売まで間に合わないケースに稀に適応される抜け道。当然、企業が無償提供するわけだから、営業成績にはカウントされない。何十通もの申請書を出したり、多くの部署に頭を下げてはじめて審議される。
教授と共に頑張った。どこに頼んだのか、誰に依頼したのかさえ分からなくなるほど頑張りました。最終的に承諾されるまで凡そ2ヶ月くらいかかった気がします。
「息子は今年で25歳になりました。もう家族で見ることがないと諦めていた花見、昨年に続き今年も叶いました。そして今朝早く、息子は静かに暖かい春空に旅立ちました」
手紙の最後には、そう締め括られています。
今日、人生会議の講演を聞きながら、僕も空の上のAさんを思い出し重ねています。
最後まで読み進めて頂き、ありがとうございました。🌻
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