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願望より希望を持て!

give and takeギブアンドテイク」という言葉がどうしても好きになれない。
でも「持ちつ持たれつ」という言葉は嫌いではない。


「この企画だけど、今回はウチである程度進めておいたから後はそっちでよろしく、一昨日の会議のアイデアありがとう、パクらせて貰ったよ。だから後はそっちで上手にやっておいて、どぉ、美味おいしいだろ、ギブアンドテイクな」


随分勝手なやつだなぁ。ギブアンドテイクって、、、ちょっと違うやろ。
結果的にはwin-winの関係なんだろうけど、何故か釈然としない。なんとなく条件付きに感じてしまうからなのか。ほんの些細なことなんだけど、それが途方もなく大きく感じてしまう。


だから「ギブアンドテイク」って言葉がどうしても好きになれないんだ。


少し乗客が少なくなった新幹線の中。
いつもになく思いっきりシートを倒して、夕方の窓に映る山の稜線をぼんやり眺めていた。暫くゆったりと寛いでいると、前から小綺麗な乗務員さんが笑顔でおしぼりを持ってきてくださった。いつも目を合わす事なんて殆どなかった。ただ只管ひたすらに開いたパソコン画面と睨めっこをしてるだけ。そう言えば、おしぼりのことなんて気にも留めたことがなかったなぁ。


「いつもありがとうございます」
「いやいや、こちらこそいつもありがとうございます」咄嗟に口から飛び出した言葉。これまでは、おしぼりを貰ったことさえよく覚えていないのに。


おしぼりがこんなにも暖かくて有難いなんて。今まで深く考えたことがなかった。どうしてなんだろう。



貰えて当たり前。
きっとそう考えていたからだろう。ちゃんと向き合えよ、僕!


人は誰しも「もっとこうなれば良いのにな」「もっとこうして欲しいのに」と考える傾向がある。でもこれは単なる「願望」に過ぎない。つまり、他力本願になっていることに気づく。


「願望」の軸は他人。他の誰かに依存することになり、そこには自分が核として存在していない。だからなのだろう。きっとそうだ。


対して「希望」はどうなのか。
「希望」は誰かに何かを願うのではなく、自分がそうでありたいと願うんだ。だから必ず、核には自分が存在する。そうだ「希望」は人に何かを与える力をくれる。故に「giver」という言葉はいつもしっくりくる。


少し前にnote友達のとき子さんが、ご自身が出版なされた書籍と共に「種」を同封されていた。ご自身が丹精込めて育てた(であろう)花が種となり、書籍を購入してくださった誰かに贈る。贈られた種はまた花を咲かせ、やがて種になる。育てると言う営みを通じて、代わる代わるまた他の誰かに種を分け与える。



庭に花が増える。やがて育てている人はどんな庭にしたいかを考えはじめる。この循環は心を育んでいきます。



「どんな幸せを築きたいのか」
これは「願望」ではなく「希望」。その核には自分が存在していて誰かに委ねるものではない。自分の「希望」なんです。


だから僕は「giver」であり続けたいと思う。
ギブアンドテイクでなくても良い。「希望」を大切にするために。


最後まで読み進めて頂きありがとうございました。


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