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まだまだある。夫婦で抱く不満が同じだったこと。

まだまだある。
前回に引き続き、夫婦で感じていた不満が実は全く同じものだったことについて書こうと思う。

これらはきっと二人の時間が長くなれば大きな亀裂になっただろう。離婚の直接の原因は他にあれど、この問題を解決できなければ、結局は二人で歩む道はどこかで閉ざされていたかもしれない。

■レッテルを貼っている
彼は「私はひとりで生きてける人」だと断定していた。結婚する前の私は確かに一人でいることに慣れていた、楽しんでいた、一人で生きていくのだと思っていた。でも結婚してからは彼がいない一人の生活なんて想像ができない。そこにいてくれること。それには安心感がある。平和であり、幸せだった。その思いをベースに、そのベースがあるからこそ、安心して自分の好きなことを続けた。結局続けたのである。彼が外出している時は私は一人でも楽しんでるよ~と笑わせるつもりで言ったりしていた。結婚して変わった心境の変化を話さず、変わらないマイペースをやっていたのだから、私が彼がいなくても生きていけると思われたとしても仕方がない。

私はこのギャップが苦しかった。口でそんなことがないと言っても彼は分かってくれなかった。どうすれば私が彼がいないと生きていけないと思っているのかを分かって貰えるのだろうか。相手につけられたレッテルを取ることは難しい。ちがう、ちがう、ちがう。焦り、そして諦めた。

私も彼に多くのレッテルを貼っていた。すぐ怒る。私とはいたくない。絶対にそうだと決めていた。相手の嫌いなところだった。けれどそれは色眼鏡、バイヤス、レッテルだった。

長く一緒にいるとどうしてもレッテルを貼ってしまう。側面の1つでしかないのに、気になる点ばかりどんどん気になる。彼とはお互い表面的にイライラしたり冷たくはしなかったけれど、心の中にこのレッテルが膨らんで信頼関係が完成しなかったのかもしれない。

■いいよ、いいよは譲っているだけであり、いいよではない
私は彼ががやりたいことはいいよと言い続けた。でも本心だったか?というと本心ではない。分析すると、口うるさくいいたくない。彼の希望は彼の意思でありそれが全てを物語っている。そしてやりたいようにやらせてあげたい=これは本心。で構成されていた。

彼も同じだったのだと気が付いていなかった。実家を優先していた。趣味の習い事を続けた。仕事に疲れて愚痴を言っていた。彼はいいよ、といつもいってくれた。仕事は辞めればといってくれた。本心100%として疑わなかったけれど、決していいよ、ではない心境があったと思う。

彼を残し夕方まで実家にいた時(母が退院する日だった)、家に帰ったら彼はいなかった。突然の出勤になったとLINEがきていた。彼は会社には行っていない。すぐに分かった。どこに泊まったかは分からない。彼を頼らない私。一人残され彼が家でどんな思いをしていたのか、どうして出かけることにしたのか、その時の気持ちをもっと想像して一言声を掛ければよかった。

「いいよ」と言ってもらう状況ほど、相手を思いやることが大事。分かっていると思ってもちゃんと言葉にする。何も言わないのではなく、気持ちを伝える。どういう思いなのか相手に伝えることがお互いにとって大切なのだと思う。私は自分を「いいよ」といってあげている偉い人と思うようになってしまっていた。許す許されるという力関係を自分の中に作ってしまった。ストレスを心に抱え、小さなきっかけで持ちきれなくなってしまった。彼が悪いのではなく、ちゃんと巻き込んで話すことができず自滅してしまった私。私たちの場合似た者同士だったので、彼にも「いいよ」の苦悩があったのだと今になると分かる。

■本心言わない、言えない雰囲気
ドラマ「カルテット」をご覧になっただろうか。旦那さんが家を出て行った理由が、妻が勝手に唐揚げにレモンをかけるから。旦那さんはレモンが嫌い。これは象徴的なエピソード。この二人の関係が上手くいっているようで上手くいっていない。お互いを思いあっているのに、言いたいことが言えない関係だったからだ。私にはよく理解できる。

私たち夫婦は思ったことをお互いに言えない二人だった。良かれと思って本心を言わない、タブーを聞かない。そんな関係だった。

彼は再婚で前の奥さんとの間にお子さんが2人いる。家族のことを含めて彼だと受け入れていた。しかし現実は彼から彼の家族の話を聞いたことがない。正確には2回聞いたことがある。出会った時と家を出て行った時に家族のことを思い切って聞いてみた。彼は泣いた。別れることが苦しかっただろうし、今も苦しんでいる。子供の幸せだけを願っている。それが彼の全て。毎月生活費はもちろんのこと、子供たちの誕生日にはお祝いを送っていた。子供のことを思う父親なのだ。私が話せる雰囲気を作っていれば、またはタブー視しないで話題に出していれば、彼は話してくれたかもしれない。話が聞きたいというよりは、話すことで少し彼の気持ちが楽になっただろうか。そんなことを考える。家族なのに彼は心の内を話してくれない。心を許していない。それは話せる環境を私は作ってあげられなかったからだと思う。急になんでも話して!私が受け入れるよ!といってもその関係は作れない。日々毎日長い間育む空気を作ることは大事である。

私自身も自分の気持ちを話せる雰囲気はないと感じていた。説明が下手で気持ちを話すと誤解を生む気がした。彼が不機嫌になるのが怖かった。また、結果が全てで目の前に起こっていることが全てで、説明するのは言い訳と思い込んでいたところもある。

一人で断食の旅行に行ったことがある。彼が家を出ていき自分を見つめなおしたくて旅行に申し込んだ。藁をもすがる気持ちだった。しかし彼が突然家に帰ってくることになり、結局彼を置いて旅行に行くことになった。旅行の目的、行き先など伝えなかった。伝えても伝えてなくても同じなのではと考え、旅行に行くという事実が全てと思ってしまう。もし自分が彼の立場だったら、言い訳っぽくても、そんなこと聞いてないよということでも説明してくれたら安心する。なんでその考えに及ばなかったのか。自分の気持ちに相手を巻き込んではいけないととにかく省エネ運転を選んでしまっていた。

彼が私の嫌なところを言ってくれたら直せたかもしれない。けど私も相手の嫌なところは言わず貯めこんでいた。「いいこと」ばかりではなく「いやなこと」もちゃんと話さないと長く夫婦はできないのだと実感する。

離婚の前に別居を選択しなかったわけだが、彼は一度冗談めかしたトーンで別々に住むことを提案してきた。彼は家をでることで家庭の小さな不満を解消しようとしたと思う。彼は別居の理由を別のものにすり替えて私に伝えたので、私は単にそれは彼のわがままだと思った。けれど好きなことをやってもらいたいという気落ちでいつもの「いいよ」と言ったのである。この1か月だけの別居は彼なりのもがきだったのかもしれない。そこで本心をは話せたら意味ある別居になったかもしれない。本心を話さなかったからこの別居が不審とわだかまりを生んだ。

別居を持ち出してくる彼に納得がいかなかったが、彼が出て行ってから一人で考える時間があり、1か月後気持ちも落ち着きはじめた。離れてみて相手の大切さを改めて知り、自分の行動も反省ができた。距離を置くことは悪いことではない。現に私は彼との関係を見直す時間となった。

今なら分かる。彼が別居を提案した理由をはなせなかったのは、私が彼の考えに頭ごなしに反発すると考えたのだろう。当時の私は別居を理解できなかった。自分の価値観で考えそれは彼の100%わがままと思っていた。自分の軸でしか物事を考えない人であったと思う。だからと言ってうやむやにして彼が家を出たのは逃げである。私も逃げてばかりだから責められない。

本心を言えないというのは彼との間だけのことではない。人の顔を気にしてしまうのは私の欠点である。心を開けない。今やっているボランティアでも、心を開くことができず上手くコミュニケーションをとれていないと感じる。壁がある。透明のバリアがある。誤解されるのが小さい時から嫌いだった。相手に負担を与えるのが嫌いだった。好きと思われて避けられることもよくあった。自分があなたを好きではないことを必死に説明するのが癖になっていた。例え好きでも負担を与えたくなく自分の気持ちを偽る。

もっと自分の気持ち本意になろう。ちゃんと気持ちを伝えられるように伝え方を学ぼう。自分の気持ちは話さないと分からないのだから。それにはぐらかしてしまったらもっともっと自分の気持ちと離れてしまう。

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