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離婚して噴き出す後悔と懺悔 闇と病み(病み編)

絶望、孤独の沼、そしてすがる思いの日々がやってきた。

離婚するかどうか悩みに悩んだが、ある時点で離婚すると決めた。
意思が揺らぐ、何度も揺らぐ、でももう絶対に実行しようと決めた。
離婚をやり通そうと。
心が揺らぐから何があっても冷酷でいようと決めて、実際にそうした。

なのに離婚が決まった後は本当に苦しんだ。
悲しくて仕方がなかった。
自己否定の毎日だった。
後悔の毎日だった。
何もやる気が起きなくて、ただ息をしているだけの毎日だった。

勘違いでわがままだった自分の装飾が一気に剥がれ、
ちっぽけな自分が現れた。

目が覚めても何も変わらないという恐ろしさ。
目が覚めても彼はもういない。
彼が帰ってくることはもうない。
追い詰められていた日々が終わったが、これで幸せだった日々も完全に終わってしまった。
しかも自分の手で終わらせてしまった。
自分は価値のない人間である。

離婚届に判子をもらった後、それまで必死に離婚へと突き進んでいた取りつかれたような自分からふと我に返った。私は本当にこのまま離婚していいのか。そしてここでやっと彼に「離婚は脅しのようなつもりで、ただ反省して欲しかった、別れるつもりはなかった」と伝えた。離婚届に判をもらってから1週間後くらいだったと思う。彼からの答えは「もう後戻りできない」というものだった。

毎日泣いていた。
毎時泣いていた。
泣きすぎて目が腫れて、翌日は二日酔いのような頭痛に襲われる毎日。泣きすぎるとすごい頭痛に襲われることを知り、途中から泣かないように泣かないように自分に言い聞かせた。大切な人を失った喪失感。それは自分で手放した。自己中な自分。一人で正しいと生きているのは孤独な世界に入り戸を閉めるようなものだ。喚いて騒いで自分の周囲を見回すとそこには誰もいない。小さな穴をこじ開けて正しさを突き詰め、そして当たり前に傍にいた人がいなくなって絶望した。他で埋めることなんてできない。他のことなんてなんの価値もない。それを終止符を打ってから分かるのは愚かである。

数週間前「別れたくない、一緒にいたい、自分が弱い人間だった」と言っていた彼なのに、「もう戻れない」という。やはり彼は発言と行動がちぐはぐ。発言の裏には彼の様々気持ちがあるのだろうけれど、自分自身もぎりぎりでいた当時は、もう何を信じていいのか分からないと混乱した状況だった。少し角度ができた二人の距離はもうどんどん離れていく。

すがるようなことはしなかった、していたら変わっていたのだろうか。もう戻れないと言った彼はお付き合いしていた人との新しい生活の約束をしたのだろう。こちらがダメなら、こちらの道を確保。そういう堅実なことを彼はする。彼の辛さを一旦置いて考えれば、完全に彼の勝ちである。

離婚は脅しだったのに(という方向転換を自分の中で勝手にして)、あれよあれよという間に離婚になってしまった。いや、あの言い方、あの態度、相手に言い訳や逃げる余地を与えなかった。自分が望んだ通りではないか。今更、あれは嘘と言ったところで通るはずはない。私は完全に負けたのだ。

私は完全に自分の人生に希望を失ってしまった。自分の今置かれている状況も将来も何の可能性もない人生のように思えた。

やりたいことは何もなくなり
今までやってきたことも無意味に思え
人生に重要でないことに何をそんなに時間を使っていたのだと思った。
本当に大切にしなければいけないことに目を向けていなかった、ひとりよがりの自分を反省した。

彼の言った言葉を何度も思い出す。
出来事を1つ1つ思い出す毎日。
あの時ああ言っていれば、あの時こう伝えていれば。
選ばなかった道をああだ、こうだと振り返る。
分かれ道をどう選んだらどうなったかを何パターンも考える。
毎日とっていたメモを何度も読み返す。

関係がおかしくなってからの1日1日。
彼と話した1語1語。
彼の行動1つ、1つ。
そこから自分が想像したことを、確かめていく。
私が考えたことは正しかったのだろうか?

そもそも本当に相手がいたのだろうか?
ただの友達だったのではないだろうか?
相手からは思われていたが、こちらは気軽に付き合っていただけだったかもしれない。彼女を別れてと言ってもよかったのではないだろうか?
なぜ「別れさせるのはかわいそうだ、彼の幸せを奪うことだ」と考えたのだろうか。私が妻なのになんで諦めてしまったのだろうか。本人から別れたいと言われたわけでもないのに。

とにかくほぼ全てが状況証拠で本人からは聞いていない。勝手に、彼は好きな人がいる。その人と一緒にいるのが幸せ。とストーリーを作ってしまったのだ。彼女からの手紙やメールを誰かに打っている様子、レシートなどをみて、見てもいない光景をどんどん描いていく。

自分が同じことをされたら、と思うとぞっとする。例えばこっそり遊びにいっている友達がいたとする。離婚してその人と一緒になりたいなんて思っていなかったとする。なのに出かけているということだけで一発アウト。その人と一緒にいた方がいいよ。だから別れようと旦那さんから言われたら。え、え、勝手に決めないでと思っただろう。

私は彼に信用されていないなと感じていた。何も相談してくれない、一緒に何かやろうとしない。当時を振り返ると、いやこれまでの人生すべてにおいて、私は自分の心の中から聞こえてくる声以外は聞く耳を持たない人だったと思う。そんな私の頑固さに彼はとっくに気が付いていた。言っても仕方ないとある時から諦めていたと思う。それは彼の誤解ではなく、私の真実である。本当に自意識の高い自分だったのだ。嫌われた、では私なんて価値ない人なので別れましょう。はい、どうぞ。一見潔く身を引いているようでも実は単なる頑固。自分の意見が正解でそのほかは不正解。不正解なので私たち別れましょうとなり、何を言われても聞き入れません。という傲慢な考えに至ってしまったのかもしれない。もちろんいろいろな複雑な気持ちが絡んでいるのだけれども。

別れたくないと言った彼にとどめを刺した自分。
話し合いもせず離婚届を渡した自分。
自分が弱かったと言った彼を、はいそうですね、出口へどうぞと冷酷な顔と態度で言い放つ私。

自分だけで辛いと思い込いたことに気が付いていれば、どこかで立ち止まることができたかもしれない。みんな何かしらある、そこを折り合いをつけて生活している。なんで自分だけ努力せず話し合いをせず終わりにしてしまったのだろう。

仕事はどんなに辛くても歯を食いしばり続けているのに
なぜ結婚はそんな簡単にあきらめてしまったのか

頭がぐるぐるぐるぐる

大切な人を捨てた自分は、もう人生終了

全てが無意味に思えて何もやるきになれなかった。

唯一やれたことは、
無意味にスマホで動画をみること
起きている間ずっと
そしてベットに入ってもずっと
布団をかぶって布団のなかで10㎝の距離で暗い中朝まで6時間以上スマホを毎夜毎夜見ていた
仕事が終わった後もずっと見ていた
そして私は目の病気になった
自業自得である

結婚した時
写真を見直すと2人幸せそうな顔をしている(みなさんそうだと思います)
実家を出てアパートに住んで
会社まで2時間だったけど
部屋も狭かったけど
幸せな日々だった
仕事から帰って、駅からラインして、アパート2Fの通路に出て待っていてくれる
外には赤く染まりはじめた秩父の山々
人生で一番幸せな日をはっきりと思い出せる

彼は出会った当時、前の家族と別れ、一人で新しい生活を始め3年が経っていた。1年前全く縁のないところに引越し、新しい生活のための家電や家具、ファブリックなどを一人で買いに行き、住まいの近くを一人で散策して土地勘を付けた。アパートは寂しい場所にあり、部屋も狭い。一人の夜は孤独で電気を消しては寝れなかったという。お子さんとの別れもあり、今私が感じている孤独の何百倍もの孤独を一人で抱え、それでも一人で基盤を作ろうと頑張っていた。それがそんなに時を絶たずにまた一人になる。家電を含め全て捨て、よかれと思った結婚から拒絶される形でまたゼロになってしまった。彼の人生を狂わせてしまった。慰謝料は私が払ってもいいくらいだ。

彼の辛さを考えたら心が苦しい。関係が悪化していく間、彼が抱えていた苦しみ、なぜ嘘をついて家をでないといけなかったのか、一緒にいてもなぜ自身が感じていたことを話す気持ちになれなかったのか、彼も彼でどんどん追い詰められていたかと思うと、彼の心の悲鳴が聞こえてくる。
一人暮らししたばかりの彼、電化製品をそろえたばかりの彼、新たな人生を歩もうとしていた彼。私は自分をコントロールできない悪意の塊だ。

幸せな日々と、彼の悲しみ、突き進んでしまった自分の過ちを何度も何度も考えた。もう家で待っていてくれる人はいない。そんな毎日は本当に辛かった。決して戻れないとわかっていても、どこで素直になっていれば引き返せたのだろうとずっとずっと考えた。

そしてスマホ依存症になった。1分も手放せない状態だった。病んでいた。

この辛い時期のことを一番書き残しておきたかった。
あれから2年、私の心は回復した。好きなことをやりたいようにやっていた以前の自分より今は地に足がついていると感じる。どう変わったかについてはここに残していきたいと思っている。


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