特別な離婚と普通の離婚、夫婦にしか分からないこと。
離婚したことは親と数人の友人以外には話せなかった。その理由は、自分のこの気持ちを分かってくれる人は誰もいないと思ったからである。離婚=仲が悪かったんだね。我慢が足りなかったんだね。と思われるのが嫌だったから。
私たちの離婚は違う。私は彼が好きだった。結婚生活を大切にしていた。一生懸命やっていた。彼も私を好きだったのは知っている。これまでの彼との生活。毎日一緒に食べた夕飯、彼が言ってくれた一言一言。お互いを大切に思い、一緒にいた日々。表情、ことば、優しさ、細かい1つ1つは彼と私しか知らない。彼は家族で、同志で、一番そばにいて、一番理解してくれた人。彼のためなら何かをやってあげたいといつも思っていた。
…こんなことを何度も何度も考えていました。何を今さらなのですが。
夫婦にしか分からないことがある。ほかの人では分からないことがたくさんある。この複雑な思いは誰にも分からない。私を理解していない人に離婚についてジャッジされたくなかった。私の離婚は世で言う離婚とは違う。離婚のことを誰かに話すと、離婚ということだけが独り歩きしてしまう。
離婚を伝えた友達に分かるよ旦那がむかつくことあるよねと慰められる。そうすると私は心の中で叫ぶんだ。私たちは…違う。最後もお互いに何かあったら絶対に助けると伝えあった。あの時、とにかく今今が辛くてその状況から逃げたかった。別れたくないと言ってくれた彼の手を引っ張り、背中を押し、急いで船に乗せ、離れていく船に手を振った。そして港に一人残った。それはすごく特別で普通の離婚とは違う。
私たちは特別な離婚。
離婚後いろいろ考えた。考えたことはこの場で盛盛、もういいよってほど書いてきた。そして思った…
これ、普通の離婚だ。
みんなこうやって離婚に至ってしまうのだ。
すれ違い。芸能人もよく言うではないか。
嫌いになって別れたわけではない。これは結構あるあるなのかもしれない。自分が当事者になる前は、嫌いになって別れる人が世の大半だと思っていた。でもみなそれぞれ葛藤があり、オープンにはしていないが、それぞれの状況、理由、繊細な気持ちがあるんだ。
最近離婚した友達は、自分の離婚ともしかしたら近い気持ちかもしれない。
彼女から離婚を切り出した。離婚後しばらして、でもまぁ一番よく自分を分かっている人だし、自分も相手のことをよく知っているから、戻ってきたいならマンションに戻ってきてもいいと彼に言ったそうだ。おかしなことだけど、そう言った気持ちが分からなくない。そしてそれがおかしいことを言っているということも分かる。
自分をよく知っているし、相手も自分をよく知っている。友人のこの気持ちは私も感じていた。元旦那さんはシード権保持者なのである。
第一関門を超えて付き合い、第二関門も通過して結婚。でも次の愛をはぐくむ努力は怠ってしまった。それでも第一、第二をお互いにクリアできるのは奇跡である。全く圏外であれば、別れても悲しくなかっただろう。自分と比較にならないほど世の中はもっと悪い人ばかりだと彼がよく言っていたが、本当なのかもしれない。
上手くいけば最高のパートナーだった。でもやはり、長く一緒にいるにはシード権があっても、その後の努力と本音でかたることが大切。特にレッテルは長く一緒にいるとどうしてもついてしまう。自身の育った家族ををみても、「まただ」とか「そうやりそう」であふれている。そこにイライラしてしまう。
自分も相手にレッテルを貼っていたが、自分にもレッテルが貼られていた。私はそれを貼り替えることは無理と諦めてしまった。育った家族ならそれでも一緒にいるのに、彼とは別れを選んでしまった。一生交わらない運命になると私は理解していたのだろうか。彼を育った家族と同じくらい大切な存在だったのに、逃げ出したくなってしまった。
友人と同じく、私も元に戻ることは出来るのだろうかと本気で考えていた。正確に言うと、私は一度消えた火は灰になり、もう一度火は付かないと思っている。なので夫婦になるとは考えていなかったが、違う形で関係が細く長く未来にも続いていきたいと願っていた。
私も友人も間違った思考だったと思う。
ラジオでこんな相談があった。自分から振ったけど、よりを戻したから連絡してみようと思うがどうか。というものだった。
回答者は、一刀両断。あなたは自分だけで気持ちで世の中のすべてのピースを右に左にできると勘違いしている。彼はあなたの所有物ではない。
全くその通りである。
独りよがりで勝手。
失敗は次に生かすしかない。
こういう勘違いは離婚だけの話ではない。離婚しそうなきつい性格だ、難ありな人だから別れて当然と思われたくなかった。仕事でいつも難癖をつけてくる人が離婚した時、やっぱりね。この人だったら家でも嫌な人なんだろうと想像した。私もそう思われてしまうのか…
そう思わる可能性があるという自覚がある。仕事では正しいと思うことを曲げたくない。仕事に甘い人は好きではない。人がどう考えているかより正しいか正しくないかで物事をみている。堂々と離婚のことを言えない理由はそんな自分にある。結婚生活ではここをぐっと我慢して折れていた。プライベートでは仕事上では知られていない譲る自分がいた。頑張っていた自分を周囲は知らない。
以前からどの自分が本当の自分なんだろうという悩みがあった。偽ったり、頑張ったり、隠したり、隠せなかったり。多面な自分は複雑で自分さえも理解するのが難しい。もっとシンプルに、仕事でも家庭でもどんな状況でも、周囲に対して誠実でいる。そうしていれば自分に迷わないと分かってきた。周囲にどう思われるとか、自分で自分が嫌いの根底を変えること。見せたくない自分を隠すのではなく、お別れすること。それをしてみようと思うきっかけになった。
さて、最後に離婚ではなく別居でよかったんではないかとうこと、話ができなかった私が辛い気落ちを吐露した場所について書いておく。
2人の答えが見つからないのであれば一度別居をしてみてもよかった。そうも考えてみたが、彼と一時的に離れ、その間ずっと彼を思い、距離をとったところで最後彼から別れを告げられたら立ち直れない。疑いではあったけれど彼女がいると踏んでいて、自分が捨てられる可能性が大いにあった。それを想像すると怖かった。勇気がなかった。別居ではなく終わりにすることでそのショックから逃げることを選んだ。そしてもう1つ、自分の次の幸せを見つけないといけないと父から言われたことも別居を選ばなかった理由である。私は親の言葉に予言めいたものをいつも感じる。これまでも決断しなければいけない時には、親のことばを受け止めるようにしていた。AといわれたからAを選ぶ。というのとはちょっと違う。その言葉だけを心の中に置きそのことを考えてみるようにしている。離婚後1年苦しんだ。この予言めいたことが今回は違っていたのかもしれないと思う時もあった。別居した場合の道がどんなだったかも何度も何度も想像した。結果からすれば私にとっては別居ではなく離婚を選択してよかったと今は思う。割とすぐ前を向いて歩くことができたから。
さて、これまで離婚に対する沢山の気持ちをここに書いてきた。結局、親にも友人にも本当の気持ち全ては話せなかった。自分の心に秘めた複雑な膨大な素の思いは、オンライン相談で全くの他人に話を聞いてもらった。たまたま英語で使用していたオンラインサイトになんでも話を聞きますというのを発見した。ここで出会った方とは回復するまで何回話をしたことだろう。知らない人だからこそ、ただただ話を聞いてくれてとても救われた。ぶり返して気持ちが急落した時も、お金を払い、予約をして、イヤフォンを付け、TV電話で通話した。この話せる場所は本当に心の支えだった。私の長話、特に最も混乱していた時は涙が止まらないからとマスクして、話はまとまりがなく論理性がなく、一呼吸も置かずたらたらと話し、内容は自己否定ばかり。それを忍耐強く聞いていただき感謝している。
結局、特別ではなく普通の離婚だったわけだが、そこから学んだことは多かった。何を学んだか、それを2年間どう実行してきたかについても今後書いていきたい。