【エッセイ】イメージをアップデートしてゆこう
2月12日。
建国記念の日を挟んだ三連休の最終日、夫婦で岩手県までドライブに出かけた。目的地は、大船渡と陸前高田。
朝9時過ぎに自宅を出て、一般道を走ること約3時間。最初の目的地・大船渡市の大型商業施設「キャッセン大船渡」に着いたのは、ちょうどお昼時だった。
まず最初に入ったのは「かもめテラス」。銘菓「かもめの玉子」でお馴染みのさいとう製菓さんの総本店である。
大船渡の、というより岩手県を代表する銘菓の一つとして知られている「かもめの玉子」は、もちろん宮城県内でも販売されている。ホワイトチョコレートでコーティングされたカステラ生地の中にはたまごの黄身に見立てたしっとりとした餡が入っており、私も夫も大好きなお菓子のひとつである。
せっかく総本店まで来たのだから何かここでしか買えないものをと足を運んだのだが、真っ先に夫婦揃って食いついてしまったのは意外にもお菓子ではなくこちらのコーナーだった。
佐々木朗希選手をはじめとした東北出身の4選手の背番号と名前がデザインされた限定Tシャツがあまりにもカッコ良くて、夫婦それぞれ買い求める。ちなみに1着3,900円。このデザインでこの値段なら安い。
ちなみに夫は東北楽天ゴールデンイーグルスのファン、私は北海道日本ハムファイターズのファンだが、まぁそれはそれとして。佐々木朗希選手に対しては、思い入れもあるし。
こちらのコーナーは写真撮影OK。足を止めて写真を撮る人が多く、佐々木選手が多くの人達から愛されていることをあらためて実感した。
その後、商業施設内を散策してから、お昼はキャッセン大船渡の近くにあった「食楽ぽぽろ」さんへ。
キャッセン大船渡の中にも有名ラーメン店は入っているのだが、キャッセンに向かう途中で夫が幟を見てなんとなく気になったというのでこちらへ。
夫の直感、大正解。
店内の壁に飾られた大谷翔平選手と菊池雄星選手の新聞記事にまずテンションが上がる。小上りとテーブル席のある店内は、明るく綺麗で落ち着く空間。
そして何より、美味しい!
私は煮干しラーメン、夫はめかぶラーメン、そして餃子を一皿注文したのだが、ラーメンも餃子も夫婦そろって思わず笑みがこぼれる美味しさだった。
ちなみに後で調べてみたら、以前、竹原ピストルさんも紹介していたお店だった。
ここはまた是非再訪したい。お気に入りのラーメン店が増えた。
大船渡でお腹を満たした後、ドライブ再開。
陸前高田へ向かう途中では、碁石海岸にも立ち寄った。
碁石海岸とは、大船渡市の末崎(まっさき)半島の東南端約6kmの海岸線のことである。一説によれば、この地の海岸にある波で磨かれた黒い玉砂利が碁石のように見えることがその名の由来とされている。隣接するレストハウスでは、かつてこの玉砂利が伊達藩の御殿様に碁石として献上されたこともあるとの言い伝えも紹介されていた。
見事な景観と浪の音をたっぷり楽しんだ。
自然を楽しんだあとは、地元の物産をたっぷりと揃えたレストハウスで大船渡のさんまの缶詰と紫蘇の実の漬物、花巻の胡瓜の唐辛子漬など購入してからドライブ再開。
次の目的地・陸前高田に着いたのは、午後3時過ぎだった。
陸前高田では、まず道の駅で八木澤商店の味噌と醤油、酔仙さんの日本酒、陸前高田産の野菜や梅干しを購入。
そして中心市街地に移動し、「いわ井」さんで食器を、アバッセたかた内のスーパーマーケットMAIYA(マイヤ)で鮮魚をまとめ買い。
美味しいものと素敵な品々を買い込んで、帰路についた。
勿論、帰宅後の晩酌はお魚天国。
楽しかったねと語らいながら、海の幸と野菜、そして美味しい日本酒を買ってきたばかりの硝子の酒器でいただいた。
陸前高田では、震災遺構を目にした。
大船渡でも陸前高田でも、かつて住宅街だったであろう多くの土地が今も更地のままなのを、たくさん目にした。
けれど、今の私は、そのことをここで書きたいとは思わない。
震災遺構の写真も、撮らなかった。
陸前高田や大船渡に限らない。
東日本大震災の震災遺構の前では、手を合わせることはあっても、カメラを向けるのは、今も難しい。
公共施設や、そこで不幸中の幸いにも亡くなられた方々がいなかったと分かっている建物ならともかく、かつて誰かが暮らしていた建物や、多くの方々が命を落とした建物であれば、尚のこと。
大船渡でも、陸前高田でも、私は夫とともに観光と買い物を楽しんだ。
大船渡も、陸前高田も、楽しい場所と美味しいものがたくさんある街だった。
私達だけじゃない。商業施設はどこもたくさんの人で賑わっていた。
「被災地」という言葉は、消えない。
無理に消す必要も無いと思う。
辛いことがあった。たくさんの方々が亡くなった。街が波に襲われ、たくさんの方々の暮らしが奪われた。それは、どうしようもない事実だ。
忘れるはずは無い。
忘れたくても、忘れられるはずもない。
でも、
忘れないことと、今を楽しむことは、両立出来ると私は思う。
心は、思いは、人それぞれ違うだろう。
けれど、「災害で大きな被害を受けた街」に対して、外の人間がいつまでも「悲しい街」「辛い場所」というイメージを持ち続けるのは、復興の邪魔でしか無いと思う。
まして、「可哀想」だなんて思うのは失礼だ。
イメージをアップデートし続けてゆこう。
私はこれからも、足を運んで、食べて、買って、楽しんでゆこうと思う。