見出し画像

作曲家34人のスターバト・マーテル 

スターバト・マーテル (Stabat Mater)は、13世紀に作られたカトリック教会の聖歌の1つである。Stabat mater dolorosa(悲しみの母は立っていた)で始まるこの詩は、わが子イエスが磔刑に処された際、十字架の傍らに立っていた母マリアが受けた悲しみを思う内容となっていて、中世ヨーロッパの詩の中でも極めて心を打つものの一つといわれている。中世から現代に至るまで、多くの作曲家が「スターバト・マーテル」の詩に曲をつけている。

1. ジョスカン・デ・プレ(16世紀)


2. ペドロ・デ・エスコバール(16世紀)


3. オルランド・ディ・ラッソ(1585年)


4. ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1590年)


5. マルカントワーヌ・シャルパンティエ(1670年)


6. エマヌエーレ・アストルガ(1707年)


7. アントニオ・ヴィヴァルディ(1712年)


8. アレッサンドロ・スカルラッティ(1724年)

 スカルラッティは1685年にイタリアのナポリで生まれた。音楽一家に生まれた彼は、同じく音楽一家であったドイツのバッハとは生年が同じである。鍵盤曲で有名であり、声楽曲は多くないが、2曲のスターバト・マーテルが残されている。一つは10声の作品であり、もう一つはソプラノ、アルト、オーケストラのための作品である。


9. ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ (1736年)

 ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(Giovanni Battista Pergolesi, 1710年1月4日 - 1736年3月17日)は、イタリアのオペラ作曲家。古典派音楽の様式を最も早く示した人物として音楽史に名を遺している。数多くのオペラを作曲し人気を博したが、若くして結核のため体調が悪化し、宗教音楽の作曲に取り組むようになった。ナポリ近郊の聖フランチェスコ修道院に療養に訪れた際に作曲を依頼された「スターバト・マーテル」を余力を振り絞って書き上げたが、その後まもなく死去した(享年26歳)。
 数あるスターバト・マーテルの中でもペルゴレージの作品は最も有名なものの一つといえる。


10. フランティシェク・イグナツ・トゥーマ(1750年)


11. フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (1767年)

13曲からなる大規模な受難オラトリオ風の作品である。晩年のオラトリオ『天地創造』以前、『スターバト・マーテル』はハイドンのもっとも有名な声楽曲だったという。


12. ルイジ・ボッケリーニ(1781年)


13. フランツ・シューベルト(1815年・16年)


14. ジョアキーノ・ロッシーニ (1841年)

1842年にパリで初演して大きな反響を得た。初演当時から非常に人気があり、現在も上演されている。ヴェルディのレクイエムのような劇的な曲で、当時から「オペラ的で宗教曲としての真摯さに欠ける」という批判があったという。


15. フランツ・リスト (1862-67年)

リストのオラトリオ『キリスト』はキリストの受難から復活までを描いた3時間近い大作だが演奏される機会は稀である。第12曲がスターバト・マーテルとなっている。


16. シャルル・グノー(1867年)


17. アントニン・ドヴォルザーク (1877年)

 ドヴォルザークは1873年にアルト歌手のアンナ・チェルマーコヴァーと結婚し、1875年にはオーストリア政府奨学金の審査に合格し作曲に専念できるという幸せをつかんだ。しかし奨学金審査合格の年に生まれた長女ホセファがその2日後に亡くなり、この出来事がきっかけとなってスターバト・マーテルのスケッチに着手した。スケッチを完成させた翌年(1877年)の8月に当時11ヶ月だった次女ルジェナが劇薬を誤飲して死亡、更に同年9月には当時3歳だった長男オタカルも天然痘に罹患して亡くなった。これで、アンナと結婚してから数年の間に設けた3人の子供を全て失った。悲しみを乗り越えようとする意志から曲を書き進め、長男を亡くしてから約2ヶ月経った1877年11月13日にオーケストレーションを終え、完成にこぎつけた。


18. ヨーゼフ・ラインベルガー(1864-66年、1884年)

ラインベルガーはドイツのオルガニスト・作曲家。27歳と45歳の時の2回、スターバト・マーテルを作曲している。

作品16

作品138


19. ジュゼッペ・ヴェルディ(1898年)

ヴェルディの合唱曲集『聖歌四篇』の第2曲


20. コダーイ・ゾルターン(1898年)


21. チャールズ・スタンフォード(1906年)


22. カロル・シマノフスキ(1926年)

シマノフスキは1882年、現在はウクライナ領のティモショフカで裕福な貴族の家に生まれた。当時のポーランドはドイツとロシアに分割支配され抑圧されていた。初期のシマノフスキはショパンやワーグナーに影響されたロマン派の作品を創作していたが、1914年のストラヴィンスキーとの出会い、1917年のロシアの革命勢力による家財の略奪などの経験を経て、1921年からポーランドの民族音楽に傾倒していく。彼のスターバト・マーテルはそのような時期に作曲され、ラテン語ではなく、ポーランド語に訳された歌詞が用いられている。


23. レノックス・バークリー(1947年)

レノックス・バークリー(1903-1989)は、イギリスの作曲家。パリに留学しプーランクやミヨー、オネゲルらと交流しフランス音楽の影響を受ける。晩年には十二音技法を採用し、暗く、思索的な作風になった。息子のマイケル・バークリーも作曲家である。


24. フランシス・プーランク (1950年)

 前年(1949年)に亡くなった、友人で画家・演出家のクリスチャン・ベラールを追悼するために作曲された。当初はレクイエムを予定していたが、スターバト・マーテルに変更された。プーランクは次のように書いている。「もし人々が50年後にも私の音楽にいまだ関心を寄せてくれているのであれば、それは『3つの無窮動』にではなく『スターバト・マーテル』に対してだろう。」


25. クシシュトフ・ペンデレツキ(1962年)

のち「ルカ受難曲」に編入されるが、単独で演奏される機会も多い。


26. 高田三郎(1980年)

日本語による典礼聖歌を数多く作曲した高田三郎。「母は立つ」として知られているこの曲は日本語版のスターバト・マーテルである。


27. アルヴォ・ペルト (1985年)


28. ジェルジュ・オルバーン(1987年)


29. 佐藤聰明(1987年)

佐藤 聰明(さとう そうめい、1947年- )は、日本の現代音楽作曲家。2015年に映画「FOUJITA」(監督:小栗康平)の作曲を担当した。スターバト・マーテルは彼の唯一の声楽作品である。


30. トロン・クヴェルノ(1991年)

 クヴェルノは1945年生まれのノルウェーの作曲家。 ノルウェー音楽アカデミーで教会音楽、音楽理論、合唱指揮を学び、宗教曲作品で知られている。


31. ハビエル・ブストー(1998年)

ハビエル・ブストー(1949ー)は、スペインの作曲家・合唱指揮者。作品は合唱曲がほとんどであり、その多くは混声合唱、女声合唱のための宗教音楽である。


32. マルコ・ロサノ(2004年)

マルコ・ロサノは1964年トリノ生まれの作曲家で、現在はベルギー在住。このスターバト・マーテルは、カウンターテナーのアンドレアス ショールのために作曲された。


33. カール・ジェンキンス(2007年)

 カール・ジェンキンスは1944年生まれのイギリスの作曲家。日本ではNHKスペシャル「世紀を越えて」のテーマ曲「世紀を越えて/Beyond The Century」で知られる。


34. ジェームズ・マクミラン(2015年)

ジェームズ・マクミラン(1959ー)はイギリスの作曲家。動画は2018年のヴァチカンでの演奏。





いいなと思ったら応援しよう!