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林光「明日ともなれば」の「影を飲みたい」とは?

 林光のソング「明日ともなれば」の歌詞は、スペインの詩人ガルシア・ロルカの詩「新しい歌」を用いている。「ソング」として知られる林光の一連の作品の一つであり、同じくソングの「うた」「ねがい」との組み合わせで出版されているが、この2曲に比べると、憂愁ともいえる独特な雰囲気を持つ曲が「明日ともなれば」である。

 同じ詩が信長貴富の「新しい歌」でも取り上げられている。こちらは信長作品らしい清新な明るさに満ちていて、林光とはまったく異なる曲想である。林光、信長貴富ともに、長谷川四郎の訳を用いている。

 
 ロルカはスペイン内戦の激動の時代を生きた詩人・劇作家で、音楽、詩の朗読、演劇、絵画など様々な分野で多才な活躍を見せたが、スペイン内戦の混乱の中で1936年に38歳の若さで世を去った。日本では1930年代から紹介され、戦後も三島由紀夫などにより高く評価されている。合唱分野では、林光、信長貴富の他、池辺晋一郎もロルカの詩による合唱曲を残している。

 さて、ロルカの詩「新しい歌」。第三節「あすともなれば・・・」以降は、人生をたたえる思いが次々と湧き出るように言葉が重ねられ、林光の音楽もその高揚感に乗って広がっていくすばらしい展開である。しかし冒頭の歌詞に私はいつも引っかかっていた。

昼過ぎが言う 影を飲みたい!
月は言う 飲みたいのは星の輝き
澄みきった泉は唇をもとめ
風がもとめるのはため息

匂い 笑い 新しい歌
これがぼくの飲みたいものだ
月だとかユリの花だとか
死んだ愛などから自由な歌だ

 この冒頭の「飲みたい」に心が乗らず、昔から馴染めなかった。そこでロルカのスペイン語の原詩 Cantos Nuevos を見てみる。ロルカがこの詩を書いたのは1920年、まだ彼が20歳の時である。出展はallpoetry.com。

https://allpoetry.com/Cantos-Nuevos--------With-Translation

Dice la tarde: "¡Tengo sed de sombra!"
Dice la luna: "¡Yo, sed de luceros!"
La fuente cristalina pide labios
y suspira el viento.

Yo tengo sed de aromas y de risas,
sed de cantares nuevos
sin lunas y sin lirios,
y sin amores muertos.

 Tengoは「午後」、somberaは「影」である。小学館 西和中辞典 第2版では、"sed”はスペイン語で「1)のどの渇き、2)水不足、3)渇望、切望 を意味しており、長谷川四郎は1の文意で「飲みたい」と訳したと思われる。しかし私は3の「渇望」がしっくり来る。試みに新たな訳を作ってみた。
 
昼過ぎが言う 欲しいのは影!
月は言う 欲しいのは星の輝き
澄みきった泉は唇をもとめ
風がもとめるのはため息

匂い 笑い 新しい歌
これがぼくのもとめるものだ
月だとかユリの花だとか
死んだ愛などから自由な歌だ





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