こんなとき神様にすがりつけるような強い人間だったなら(じゅうじか/野狐禅)
3月26日(火曜日)
頭の中では野狐禅の「じゅうじか」が流れている。
ああ こんな時 一心不乱 神様に
すがりつけるような強い人間だったらな
見上げれば ぼんやりと
ぼんやりと街の教会の十字架
ジュウジカ
十時か
ジュウジカ
10時か
まだ10時か どこかで一杯やっていこうか
今の私のような歌。
私も神様とかにすがりつける強さがあったらな。
昨夜は、深夜まで音楽を聴いていた。
小さく鳴らしたipadからの音をに耳を当てて目を閉じ、大槻ケンヂのシャウトを聴くと、その曲をライブハウスで聴いたときの感動が蘇る。
音楽の楽しさを知り、ライブハウスの楽しさを知ったことを、改めて幸せに思う。
そうだ、私は、歌うことだけではなく、聴くことの楽しさも知っているんだった。
ライブハウスの熱気、同じミュージシャンを好きな人たちとの交流のおもしろさ
SNSやブログで好きなミュージシャンを追いかけてはドキドキしたりハラハラしたりする、そんな楽しさを知ることは、もうひとつ世界を持っていることと同じだ。
私は幸せに思う。
この幸せがなければ、私は一体どんな暮らしをしていただろう。
今私が愛している友人や子供はいなかっただろう。
山鹿に住むこともなく、熊本で親と一緒に暮らしているかもしれない。
どんな仕事をしていただろう。
歌を歌わない自分が想像できない。
それくらいに私は音楽にまみれて暮らしてきた。
なんて幸せなことだろう。
そのまみれ方は、包むようなものではなく、白和えのように
もう絶対にきれいに除けることのできないまみれかただなと思う。
白和え、うまいよね。
大好き。
私から、音楽はもう絶対に取り除けない。
どんなことがあっても歌を歌いたいと思える自分であれば
きっと大丈夫だろうと思う。
今、ランダムで「じゅうじか/野狐禅」が流れて
心がむくむくと腫れあがっている。
竹原ピストルのしゃがれた声。
かきならされるザクザクとしたギター。
重なってくるピアノ。
「十字架」「10時か」
竹原ピストルはすごい。
彼の曲は、心にまっすぐに届いて来る。
届くのではなく届いて来る。刺さってくる。
神様にすがりつける人間は、強い人間だと思う。
私もつらい時教会や社寺仏閣の門をたたきたくなったことがある。
あの時の、切羽詰まっているけれど、頭がぼんやりしていて
何にも出来ない自分を思い出す。
そして今、そういう気持ちだ。
これまで一体何人の人に聖書を贈られただろう。
宗教勧誘ではなく、息を止めている私に手を差し伸べるように
本や音楽、お菓子、おいしい明太子。
そんな感じで聖書をくれる人がいた。
そして今、聖書を読んでみている。
「わかっちゃいるけど無理なこと」がいっぱい書いてある。
野狐禅の「じゅうじか」の彼のように思う。
ああ、こんなとき一心不乱 神様に
すがりつける強い人間んだったらな。