また色々書きすぎてしまった気がする。( 石がある / 旅館じゃないんだからさ )
「石がある」を見たのと「旅館じゃないんだからさ」を見た。
ものすごい衝撃に頭がクラクラしているので、最近の日記と大阪旅行記と、色々書き残しておこう〜!という記事です。
結果、少し日をまたいで書いている雑記になっているので、誤字脱字や文体の感じの統一感のなさは悪しからず。
◎ 映画 『石がある』 / 太田達成
最近の仕事はそんなに忙しくはなかったはずだけれども、拘束時間だけがやたらに伸びたりするので、あまり気が休まっていなかった。読書も映画も勉強も、何も捗らず、特筆することがあるのであれば上司の愚痴という最悪すぎる状態で。でも、ちょっと落ち着いて、そろそろ映画見て読書をしようと思った時に、職場の先輩がクリストファーノーラン最高だよね話で盛り上がっていて。洋画を見ないわたしはついていけなくて改めて「映画好きです!」は難しいと感じる。まぁ映画に限らず音楽やお笑いもそうだけども。
とりあえずインターステラーだね!って言われて、ポップコーンをセブンイレブンとローソンで塩バター味とキャラメルベリーの2種類それぞれ買って、違う味を交互に行き来しながらインターステラーを見たり、その流れで次の休みの日に映画館でにオッペンハイマーを見に行ったりした。遅映画。
「映画が好き」っていうと大体は洋画の話になるし、邦画って言っても「北野武が〜」とか「最近の侍の〜」とか言われてもさっぱりで。。。映画が好きっていうよりか、濱口竜介と三宅唱とエドワードヤンの恋愛時代が好きなだけです!ってここまで言いたい。PASSIONやTHE DEPTHS、ワイルドツアーまで話せるけど、パルプフィクションとか見たことない。クーリンチェ見ないといけないけどずっと見れてない。ジムジャームッシュコーヒーアンドシュガレッツがギリギリなこのわたしの感じ今まで誰も伝えたことないし、話す人もいないからなんでもいいんだけど、でも自分で好きな趣味の範囲について無理に線引きする必要もないし、だからと言って無理やりホラー映画見たりアクション映画見たりする必要はないと思っているけど、広げられるものは広げて行きたいし、深くのめりたいところはのめり込みたいし。まぁなんやかんやで、まじで本当に自分が映画好きを名乗っていいのか永遠に分からない。まぁ好きだったら堂々と好きって言えよ!周りの評価や自分の知識のなさを引け目に思ってるくらいだったらそれまでだよって結論なのもわかってるんですけどね。好きなものが好きって言えない自分の弱さに向き合わないとです。
まぁそんな話はさておき。
今日も仕事が早く終わって、本読もうと持った時のルーティンで初台のfuzkueに向かおうと思うけど、初台の祭りの影響で早く閉まっているみたい。fuzkueが行きたい時間に閉まっていることなんてないんだから、自分にとってこの場所の大切さを再確認する。まじで生活圏内にこのお店があってよかった。いや、もはやなくてはならなくなっている。最近行った高田馬場のグットラックっていうカフェも最高だったから、これから引っ越すなら、初台にさらに近づくか、高田馬場に引っ越すか、この2択。
時間があったらスマホを見てしまう、それを治す矯正施設じゃないけど、そんなつもりで通っていたら、もう矯正なんてつもりはなくて、本当に読書が大好きになってしまった。本を読まない自分もずっとコンプレックスで無理に文字を追っかけていた時期もあったけど、本当に読書が好きになれて嬉しい。
映画と違って読書は「読書好きです!」って言えるんだよな〜。ドフトエフスキーも太宰治もまだ読んだことないのに。でも映画よりかは読書のほうが小学校の時から馴染みがあって、その読書の幼い頃の原体験がだいぶ鮮明だから、読書は自信を持って好きですって言えるのかな。。。映画は幼いころ何一つ見てない。ジブリもディズニーも。トトロは怖くて見れなかった。かまいたち山内さん。そういえば、fuzkueのレジ横のポイントカードもいつも気になりながら手に取れずにいる。ツライ。スタンプ本当は押して欲しいのに。タイムマシーン欲しい。
やばい、なんだか話がずれて行く。
でも、この日はfuzkue諦めて、気になっていた隣のオペラシティーのICCへ。またこれがめっちゃよかった。500円でこれだけボリューミーな内容の濃い展示が見られるなんて衝撃的。
特に考えてしまったのは検閲について。
中国ってTwitterとかLINEも日本のように触れないみたいで、天安門事件の規制とか知識としては知ってたけど、知識にだけとどまっていて。「〜があった。」っていう知識よりもう一歩先に、なぜそんなことが起こる流れになったのかとか、そうさせたのは何なのか?とか、そこまで踏み込むことが全然できていない。
歴史学習において実際に現地に足を運んで跡地を見ることとか、そういのも大切だけど、アート作品はそこに具体的な実態がないものが多いから、思考するしかないから、想像するしかないから、時には現実で見たものよりも怖いし、恐ろしいと思うし、だからわたしは現代アートにとりわけ興味があるのですが、やっぱりもっと知らないと・学ばないとって毎回思う。問題提起・課題の発見だけ大量にあって、咀嚼が間に合っていない。
家帰って早く咀嚼しろよ!って思うけど、まだ家に帰りたくないな〜って思ったので、「石がある」を見ることに。映画を見に行こう!何みようかな〜、石があるにしよう!ではなくて、「石がある」をみよう!って思っていた。ずっと前から見ないと!って謎の使命感を感じていた作品だった。ポスター見ただけなのに。映画館へ向かう。
ポレポレ東中野。初めて行く。
1時間ほど早くついたので、隣のカフェに入って読書をする。最近、カフェに入っても読書をしている人は少なくて、でも映画館の隣のカフェだからか、みんなひとりで黙々と読書をしていて、嬉しかった。(ちなみに、みんなというのはわたし以外に3人だけなのだが)家族連れ?みたいな普通にご飯を食べている人もいたけど、それでも読書しやすい環境だな〜って思って。周りの雰囲気が、1人で静かに過ごすことを歓迎してくれているような雰囲気だから、その雰囲気が具体的に何で構成されているかわからなかったのだが、多分、わたし以外の読書をしていた3人の方のおかげだと思う。ありがとう。
あと20ページくらいで読み切れるのに時間が迫っている。
まだ読んでいたい、ここのラストを一気に読み切ることが読書において一番興奮するところなのに映画が始まってしまう。配分を間違えた。
何を読んでいたかというと「BUTTER」。ダウ最近ちゃんと追えてないな〜って思っていたのと、もうすぐ大阪に行くので、蓮見さんにチューニングを合わせたいなと思ってキモいことをしている。やばい「チューニングを合わせたい」っていう言葉がキモすぎる。蓮見さんの名前を出すたびにわたしはずっと気持ちが悪い。てか、BUTTERってなんだっけ?なんかずっと「蓮見さん好きだからBUTTER読んでみなきゃな〜」って思ってたけど、どこで蓮見さんがBUTTERの話をしていたか覚えていないし、もはや本当にBUTTERの話をしていたかも分からない。
まぁいいや。
映画館へ向かう。
で。見た。
やばい。
もう、今年のベスト映画になったし、むしろ、今までの人生の中でもベスト映画になった。
やばい。
本当にやばい。
もう、何がやばかったのか、画面に映る全てが愛おしくて、大好きで、一瞬も見逃したくなくて。でも決してキラキラしているわけでもないし、ハラハラでもドキドキでもなくて、すごく個人的に静かに訴えかけられているような、まさに「わたしのため」のような映画で。
いや、そんな「わたしのため」って思うような映画や物語なんてたくさんあるけど、その中でもずば抜けて『わたしのため』感が強くて、それって何でだろう?って思ったら、あの女性が自分すぎるな(というか、自分の理想だな)って感じたことでした。
色々な人のレビューを見ていると、ホラーって書いてる人が多くて、確かにそれもわかるんだけど、まず、あのおじさんを狂気だと思わなかったことについてね。
そう思ったのには、作り手が巧みだから自分でも気づいていないような複合的な理由があると思うんだけど…。まぁでも、自分が川遊びができるど田舎で生まれ育ったから、ああやって川にズカズカ入っていくことを、そこまで狂っている行為だと思わなかったんだよねきっと(笑)
だって直線距離で移動したほうが近いじゃん?すぐ行けるじゃん。
彼女が「何でもないです」って言っててそれを聞こえててその上ズカズカきたのならホラーかもだけど、彼女もあの声の小ささで、対岸に届いてなかったと思ったので、コメディーシーンではあったけどホラーじゃないな〜と。。。
現実世界で、もしわたしが同じ立場でズカズカこられたら怖いよ?でも、それはおじさんが映画の中にいて、つまりはフィクションであることを保証された世界で、わたしは椅子に座ってゆったりその映像を楽しんでいるだけだから、面白いな〜って思いながら最高のシーンでした。
最終的に、妻にも子供にも先立たれて1人で寂しい男性だということ、つまりは、いわゆる不審感があるとすれば、その寂しさからくるものであって、捻じ曲がった社会が生み出したモンスターとかそういうわけではないと感じて。今まで画面にうつてった2人が、純粋な2人と言ったら端的すぎて好まない表現だけど、その空気感はあの2人だから成立することであり、その条件が変ではあるけど、誰もがもっている孤独や寂しさ故だと思って。あの2人は、映画の中の特別な2人だけど、きっとわたしの延長上でもあって。それが、とても嬉しかったんです。
ビールじゃなくて麦茶なのも(しかもちゃんと作っているのも)(一気飲みしないのも)(ちゃんと椅子に座って飲むのも)玄関で靴下を絞るのも、あの感じで生活めっちゃ丁寧なんかい!ってツッコミました。その丁寧な暮らしは、おじさんの元々のものなのか、奥様の影響なのか。。。
あの本も妻の本で、その影響で自分も読書を始めた説をわたしは唱えています。生活シーン、全部が本当に良かったなぁ。。
あと、わたしにとって、あの川に伴う自然を写した映像は緊張感があるものではなくて、昔の田舎暮らしだった頃の、スマートフォンも何も持たなかった頃の、たまごっちやDSすら持つ前の、自然しか対峙するものがなかった時の、網を振り回してと虫籠をぶら下げていた頃の、幼いわたしを思い出す、懐かしい気持ちにさせる思い出ビデオに近い感覚を抱きました。
ただ歩く。目的もなく。何も考えず。デジタルデバイスを遠ざけた、それが今ではどれだけ貴重なものなのか、大人になってしまってそんなことを考えるから、あの川での映像は、わたしに取ってはある種の理想郷になっていて、だから今ではそんな簡単なことが手に入らない矛盾に不意に笑ってしまったり、拍手喝采していたりしてたんです。
相手は別に問わなくて。男でも女でも、おばさんでも、おっさんでも、イケメンでも、子供でも、大人でも、誰でも。
ただ、大きなことは思考せず、時間は流れるけど、時間が流れるだけで、ただそれだけ。でもその時間は無駄ではない感じがして、じゃあ具体的にどう無駄じゃないのかなんて文字に起こせないんだけど(文字にしてしまったらナンセンスな気がするけど:またそれは10年後くらいになってわかるものな気がするから)でも確実に、お互いの心の中に、石の思い出とそれにまつわる物語ができて、その物語が人生において大きな影響を及ぼすわけでもないのもわかっているけど、それが最高なのです。。。。
いつものルーティーン(とりだてた変化のない)の日記に少しだけ、変化が加わる。その小さな変化の暖かさ。生活に暖かさは大切です。
だから「何がしたいの?」って彼女が言った時に、言ってしまったか。。。ってがっかりしたけど、その彼女はスマホの電源が落ちるという制裁がちゃんと与えられていて良かった。
まぁでも、一日帰りが遅くなったおかげで、あの電車から石を探すおじさんのシーンが見れたわけですし。
その彼女の笑顔もよかったな。。。
今でもどこかに彼女とあのおじさんが存在していると思えるから、思うから、わたしも今日も頑張って生活しようと思うし、日常って捨てたものじゃないかもしれない、人間ってやはり温かいのかもしれない、いつも誰かは誰かを求めていて、みんな寂しくてでもそれを隠しながら生きているのかもしれない。だから、ひとりじゃないんだよ。そう言ってもらえたような気がします。
映画を見終わったあと、中野から自分の家(東松原)まで歩きました。その間で、歩きながら街頭のあかりでパンフレット読んだり、あ〜〜〜って小さい声で叫んでみたり、友達の結婚式についての電話を受けたり、お母さんに電話したり、セブンイレブンの白ワインとパンを買って食べ歩いたりしました。
27年間生きてきて、一番楽しかった夜の散歩です。
◎ 演劇 『旅館じゃないんだからさ』 / ダウ90000
それから、ダウの旅館じゃないんだからさ。
岸田戯曲賞ノミネート作品だもんね。
ちゃんとした感想はちゃんとした人がいっぱい言ってるから、わたしは自分のことを話そうと思います。ということで、旅行記〜〜〜!イェイ!
見るのは28日土曜日の昼公演。
金曜の仕事終わりに走って品川駅へ、新幹線に飛び乗って新大阪に着く。
大阪っぽいのを食べたいから、我慢した空腹の新幹線つらかった。。。でも、なんせわたしの出身は兵庫県で、家でお好み焼きとご飯が並んで出る家庭に育って、大学も京都だし、大阪も何も目新しくなくて、別に、我慢する必要なかったな〜と。。。
でもやっぱりとりあえず粉物か?って思ったから、新大阪駅の地下でオムそばを食べてみたりした。やっぱり一人でチェーン店以外のお店に入るのまだ緊張するから、ありつけた時の生ビール最高だった。
ホテルはずっと泊まりたかったBOOK AND BED心斎橋店。ドーミーインは、蓮見さんも言ってるし、03飯塚さんとかからも聞くから泊まろうと思ったけど、高いし辞めた。BOOK AND BEDはいつからか池袋店が潰れていて、新宿店も昔はよく行ってたけど、全く行かなくなったな〜とか思いながら、新宿店がどんな間取りだったか思い出そうとするけど全然出てこない。なんで記憶がないんだろうか?
棚に置いてあった星野源さんの「そして生活はつづく」を読む。やっぱ、寝る直前にはライトなエッセイがピッタリ。疲れているはずなのに、読んでいるとリラックスできて、楽しい。星野さんは、ラジオも普段は聞いてないし、音楽も聞いてないし、役者活動も追っていないけど、文章がすごく好き。美容院でダビンチか何かを読んでいた時に、星野さんの連載があって、たまたま読んだその記事が好きすぎて(自分は過去にラジオで〜という発言をしてしまって、でもその内輪ノリは、仲間意識を強めると同時に、誰かを排除していてることになっていて、よくない表現だった。みたいな過去の自分と向き合って真摯に反省した内容だった)こういう大人になりたいと思っていた。
本はなるべく本屋さんで買いたい主義で、こうやって、試し読みして半分くらい読んで気に入ったら、残りは自分で買って読むっていうスタイルが一番健全だと思っていて、大阪土産で買って帰ろうと思う。
そうこうしている間に2時を過ぎる。
カプセルホテルだから目覚ましがかけられなくて、起きれるか不安だったけど、心配無用だった。スッと目が覚める。
顔を洗って化粧をするけど、古いアイライナーが入っていたし、フェイスパウダーを忘れたことに気づく。まぁいいや。身支度を仕上げて、まだ朝9時前だけど、天王寺まで歩く。
心斎橋から1時間弱ぐらい歩いたか?気になっていたカフェで朝ごはん。というか、モーニングメニューはなかったので、パウンドケーキを食べる。時間に余裕がありすぎるけど、早劇場って言ってたから劇場に向かうことにする。
てんしば。
やばい、懐かしい。大学生の時、てんしばに音楽系のステージが立つことがよくあり、そこのイベントで、自分のサークルの先輩や同期が出ていたりして見に行ってたり「THE大学生」みたいなことをしていた自分を思い出す。
しかも、あの、近鉄とかJRとかと百貨店やショッピングモールを繋ぐ、丸歩道橋的なところも、あの友達と歩いたな〜とか、なんか天王寺で合コンしたこととか思い出した。もうわたしが大学生の時、わたしだけがめちゃくちゃマッチングアプリしてて、みんな「危険じゃない〜?」って言ってた人が、今みんなマッチングアプリで彼氏(というか結婚相手)作ったりしてるから、まぁ、別になんとも思わないのですが、てか、合コンって絶対みんなが幸せになることなんてないと思うし、なんか港区とかそういう次元が違えばわからないけど、本当にわたしみたいな凡人の合コンって、相当色々うまくやらないと割に合わないから、本当に意味がわからないよね。。。。。合コン。。。。。
みたいな話はどうでもよくて。
どうせレストラン街あるだろうと思ってそこは考えずにとにかく劇場に向かったら、隣にカフェあってラッキーすぎた!でも、塩レモンパスタを頼んで運ばれてきたら、すごいお酢の香りがして、死ぬかもって思った。お酢が苦手なのです。わたし。
食べたら全然美味しくなくて死んだ。
お店が悪いのではない、わたしが悪いのです。
このままでは悪い思い出になってしまうし、どうしたことか最悪だと思ったけど、そのあと、デザート食べることにして、何ていうんだろうあれ、ケーキじゃなくて、クリームが主で、名前が全然わからないけど、得体の知れないデザートが、めちゃくちゃ美味しくて感動していた。また行きたい。
これってなんか、蓮見さんがラジオで「パチンコで負けて最悪なのに、さらにそこから外食とかで無駄遣いをして、もっと落ちこんでしまうのはカルチャーですか?」みたいなメールの時に「え?そうなるか?パチンコで負けた出来事を、いいご飯食べるとかで、普段は食べないのに、負けたから食べれた!みたいな、上回るようにするから落ち込まないけどな〜」みたいな話をしていたのがすごく覚えていて(ニュアンスで話しています、間違ってたらごめんなさい)「あ〜、もう本当に、まじで蓮見さんって素敵な人なんだ、わたしそんな考え方絶対できない…」って思って、ずっと記憶に残っていたし、それを思い出していたりした。
それが12時過ぎくらい。まだ時間があるので、本を読む。読み進める、夢中になる。時間を忘れると大変だから、時々顔をちゃんとあげて、劇場前に人がいるのが見えたら時計を確認するようにする。本読む、顔を上げる、本を読む、顔あげる、本読む、顔あげる、え?今、蓮見翔、通ったよね??ん?え?蓮見翔だったよね??????ん???
は〜〜〜〜ん、あんまちゃんと見れてなかったし分からなかったけど、多分かっこいい〜〜〜〜〜〜〜〜(適当)!
ここから読書に戻れなくなる。
とにかくカフェは出てしまって、手持ち無沙汰になったので、ジュンク堂とロフトをうろうろ。星野源は「そして生活はつづく」だけ置いていなかった。まぁ、ほかどこかで買おう。ロフトでもフェイスパウダーを買う。今買っても遅いんだけどね〜。
そうこうしている間に、開場時間。
わたしは割と観劇前も本開くタイプの人間だから、席についてからも本を読む予定だったけど、読書スイッチが切れてしまったのもあって、慎むことに。スマホ開いても何もないからぼーーっとしてました。音楽が割と聞いたことあるなって思ったのはハスマナのおかげだな〜とか、やっぱ会場に来ている人はみんないい人感があって、なんか、ファン層心地良いな〜、わたしもこの心地よさを構成できている一人だったら嬉しいだけどな〜とか考えていた。
そして、本編。
なぜか泣いた。
終わって駅のホームで鏡見たら、アイラインよれて目が真っ黒になってるくらい泣いた。
初演は全然知らなくて、これがKー1にノミネートされたことをきっかけに蓮見さんを知ることになったから、とんでもない作品であることだけはわかっていたのだけれども、とんでもなかった。
ちょっと、なんか、でも、もう旅行記にしたくて、本編の感想、後に書いてもいいですか?(笑)何人ここまで読んでくれてるか分からないけど。
公演が終わってからは、友達と会う約束をしていたので会った。その子は大阪で彼氏と同棲していてその友達と彼氏と、東京に住んでいる友達とその彼氏と、埼玉に住んでいる友達とその旦那さんと7人でマリオカートをした。女子側はみんな大学の時のイツメンで、男性側は初対面。こういうのって圧倒的に女子文化だから、それぞれの男性側を心配していたけど、みんな楽しそうだったし、わたしも楽しかった。ピザパーティーしてたり、このためにみんなマリカ練習していたり、リモコン買ったりしてて、もう、みんな大好き。
わたしはダウの余韻がすごいので、ダウのこと話しまくってたけど、大阪の友達の彼氏は「知ってます!座王で〜」って言ってくれてた。関西だ。
自分の住んでいない地域の終電を気にするのがこんなにも楽しいとは。綺麗なカプセルホテルに泊まって、大浴場あったからテンション上がったけど、そうだ、生理だったタンポンなんで持ってきてないんだよ。。。って悔しくなったりしながらも大阪一泊。
次の日は京都へ。アンドリューワイエス展があるってことで、大山崎山荘美術館に絶対行こうと思っていた。やばすぎた。やばすぎて2周した。美術館自体もいいんだけど、水彩画好きじゃないのに、彼の絵はなんでこんなに惹かれるんだろう。。。
やっぱ影と光の感じが好きなのもあるけど、またそういうところが一見写実的に見えて、でもちゃんと現代作家で、思想盛り込まれていて、気温感とか、季節感、風の吹く感じとかが、感情と共にダイレクトに伝わってくるところが好き。
あと庭園あるのが最高〜〜〜〜!美術館に行く最中もほぼハイキングで、カロリー消費できてよかった!!
それから、興戸のTSUTAYAに行こうと思ったけど(わたしが大学時代に住んでいたところ)やっぱりつぶれていた。当時付き合っていた彼氏にグランドイリュージョンを勧められて、TSUTAYAまで借りに行ったな。。。。。懐かしい。
なので、昔の思い出に浸るのは辞めて、京都の現代美術館に行こうと思ったけど、山崎駅から京都駅に向かう途中にインオーモールがある駅通過して。桂川!!あれ?このイオンモール見たことあるな?って思ったら昔、多分ここに何かの映画を見に来ていたのを思い出して。飛び降りればよかったんだけど、なぜか降りる勇気はなくて、でも映画を見る脳に切り替わっちゃって、四条の京都シネマに「マミー」を見ることにした。遅映画。すぐそこの通過駅のイオンシネマで何やっているか調べたけど、気になるのが善良と傲慢くらいしかなかったから。あとアップリンクは京都にもあるのと、出町柳にミニシアターがあるのずっと気になってて行ったことがなかったんだけど、映画館に行くなら本当に見たい映画を見たいから、時間的にベストな「マミー」になった。ダウを見た旅なんだから、絶対に京都ちょい田舎イオンモールで善良と傲慢を見たほうが楽しいのに、マミーをチョイスするあたり、本当にわたしだなって思う。(映画「正欲」がそこまで刺さらなかった現象があるから見るの怖いのもあって。。。。)
映画館まで鴨川に沿って歩いてみたけど、水切りしたすぎて、全身がうずうずしていた。人多かったし、結構水切りしている人多くて(大人数でキャンキャンしていて)自分がやる勇気が出なかった。石がある、みたばっかのほやほやで、今自分が一番水切りしたい心を持っている自信があったのに。悔しい。今度鴨川に水切りするだけのためだけに来たりしたい(というのは言いすぎた)。
まぁ映画を見た後は、くら〜〜〜〜〜い気持ちになって、昨日の余韻なんてほんとどっかいった。まぁだからわたしはドキュメンタリーが苦手だっていうのもあるけど、結局、どんなにノンフィクションだっていっても、カメラに映している時点で、撮影者の何かしらの意図があって、作為があって、また、それを映像として編集しているワケだから、そういうのをごちゃごちゃ考えちゃうよね、それを抜きにしても、良い作品だったと言えるけど、そもそもの事件自体のパワーが大きいのもあってか、映画についての感想は「主観と客観って難しいし、自分がどういう立場に賛同して・共鳴していけばいいかもそうなんだけど、そもそも、関心と無関心を口に出すこと自体難しい問題から向き合うことを考えないとな」です。
それから、京都駅に戻って、頭ぐるぐるしながらポルタで蕎麦食べながらビール飲んだり、星野源のエッセイ買ったり(本屋の位置が変わってたし小さくなってたけど、本屋があってよかった。)あそこのミスドに行ったり。今ミスドでこれを書いていました。
そろそろ新幹線乗るので、続きは新幹線に乗りながら書いてみます!
あ〜、帰ることを考えると仕事に明日行きたくなさすぎてどうしようか。。。
以下、舞台の感想です。マミーの余韻。とりあえず、どっかいけ。
東京靴流通センターを侮ってはいけない。まあ確かにどこにあるかにもよるけど、大きな駅の近くにある分には、いくらあってもいいから。ABCマートより全然入りやすいからわたしは好きです。
みたいな話も、どうでもよくて。
具体的に好きだったところをあげると、道上さんの「人の死に興味あるって言ったよね、わたし」って自分を振り返っちゃう感じが可愛すぎたのと、園田さんが中島さんとあった後に一回はけて「どこが好きなんだっけ?」って我に帰る感じとかも可愛すぎた。
飯原さんがずっと大人な感じでバランサーだったけど「上書きしたい」で結局7万払うって騒ぎ出したのも面白かったし、劇場出た直後は、なんか泣いちゃったりしてたので「旅館じゃないんだからさ」のタイトルの意味わからないなーって思ってたけど、今思うと、飯原さんのことかな?ってなってる。
突然のポレポレ東中野に笑うも焦るわたし。「作り物でしか心が動かないから」セリフがクリティカルヒットすぎて一瞬ゲボってなった。わたしは片山なのかもしれない。(というか、蓮見さんの演劇はテーマは後から追いかけてくる系演劇だから、そういうの考えずに、こっちもそのつもりで見ているんだけど、ケラさんが「秀逸な人間ドラマ」って言い切っていた意味がわかって、はぁ〜…ってなった。だってさぁ。固有名詞とか、モノ・コトの表現の仕方でグッとくるのじゃなくて、ちゃんと人間を描いてて人間描写でグッとくるの、それ聞いてたのと違うよ蓮見さあああん〜…となった。)
まあ色々思うところはあったのだけれども、結局一番笑ったのは超高速参勤交代っていう話もどうでもよくて。。。
あと、終わったら即フィルマークスでコーヒートラベルって検索したけど全然ヒットしなかった!架空なんかい(笑)!そりゃそうか(笑)!見たすぎる!気になりすぎる!3時間!監督が舞台挨拶で謝る映画!みたい〜〜〜〜〜!!!!!!!
あとさあ!花の話が出るたび「え?蓮見さん、坂元裕二と全く同じ切り口で書いてたやん!やばすぎ!天才すぎ!」って思ってたけど、映画の方が初演より先だった。びっくり。花束みたいな恋をしたが脳内べったりしすぎて、わたしの中で永遠に1年前に公開した映画みたいな立ち位置になっている。まだ上原さんと園田さんは見てないのかな…?(この見てないエピソード好きすぎる。)え、でも待って、映画に影響されてないのかな?まさか…
結構、わたしが過去を振り返るのが苦手というか、嫌で。
彼氏もいたし、サークルでみんな浴衣着て四条でビアガとか、手持ち花火しよう〜!とか、男女で国内旅行だとか、さざんか亭にも、鴨川にもお世話になったけど、思い返すと空虚で、本当に外面を楽しんでいただけだな〜、つまりは実は何も中身がない、手帳のスケジュールだけがいっぱいで、自分の意見も思いも、ながされていただけで、こなしていただけで、やりたいことも、何もなかったな〜ってずっと思っていて。なんか、大人数で、そこにはイケメンもいて、そのイケメンも人間的にちゃんとした人が多かったからちゃんとみんなに優しくて、そのメンバーに入れているっていうことだけで満足しちゃってて、スミノフが美味しく感じるだけでもう充分で、でもそれって今その光景を鮮明に思い出せるけど、それを思い出したところで、何か今の自分に還元されるものがないんだよね。
今仲良いのは、そういう思い出とは遠い、ゼミの友達だけで。過去の自分が今の自分を励ましてくれるとしたら、その友達と共にした学問への熱中(というのも卒論一緒に頑張ったとかそういう話だけど)みたいなものからでしかなくて。
恋愛とか、てんしばの思い出とか、天王洲の歩道橋歩いたこととか、そういうのは全部、どこか空虚に思っていて、つまりは思い出したくない、嫌な思い出で、封印しておこうって思ってたけど、やっぱそれは自分を自分で否定することだから、苦しくて。
圧倒的にコミュニケーションをサボってきた。スミノフを飲んでいる思い出の中のわたしはほとんど話していなかった、笑ってるけど。
その当時の自分を包括して、全部ゴミ箱フォルダーに入っていたけど、引っ張り出すと、今でもちょっと光って見える思い出もあることに気付かされた。
グランドイリュージョンを勧めてくれた彼とはいわゆる価値観の違いで別れたけど、ちゃんと2まで見たし、コミュニケーションは頑張ってとってたな。毎回めちゃくちゃ長文だったけど、LI NEの頻度は高かったし、ちゃんと思いを伝えたいから、紙に自分の意見整理して、メモ見ながら喧嘩してたな〜とか。
大人数の中のわたしは確かに、溶けて無くなりそうだったかもだけど、それだけを表立てて、あの時の全てをなかったことにするのはやめようって思ったり。
兵庫のど田舎で生まれ育って、京都の大学に行って、でも大阪の方が友達多かったからバイトは大阪まで通って、それから、東京で就職して、またダウを見るためだけに大阪に行って。故郷とか、土地への愛着、変わっていく物への愛着って特に気にすることなかったけど、最後PCを覗き込む二人と「下北沢 スズナリ隣のベンチ〜」って主題歌が流れた瞬間、もう涙が止まらなくて。なんで、兵庫育ち東京暮らしのわたしが、今、この瞬間、大阪で、下北沢スズナリっていう単語で、27年間しかまだない人生が走馬灯みたいになって駆け巡って、涙を流してるんだ?ってバグった。
自分を受け入れてくれる人って、本当にいないと思っていたけど、確かに歳を重ねるにつれて、過去の自分と今の自分と、ごちゃごちゃになって、すべてなかったことにしたくなる衝動にもなるし、その度に、誰も・どこも、わたしを歓迎していないし、受け止めてくれていないと思ったけど、でも多分、大学生の時のわたしも、未来のわたしも、そして今のわたしも、今日この席でダウを見ていたことは薄っぺらい思い出ではないし、自分で自分のことをちゃんと好きでいられる自分だなって思うから、本当に。書きながら言い聞かせているところもあるかもだけど(笑)!
人間讃歌ってやつかもです。
前にも書いた気がするけど、ダウを見てる時のわたしって、ちゃんと自分が好きな自分でいれる気がするんです。
なんでダウを見る時は決まって自分自身を振り返ることになるんだろう。でも、ちょっと昔の自分思い出したり、全力で笑ったり、蓮見さんかっこいいな〜って思ったり、中島さんの服かわいいな〜って思ったり、そう、もう、ずっと、全部、本当に、楽しすぎた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!明日死んだら、葬式の曲はこの主題歌でお願いしますねお母さん!
はぁ。
東京に帰る。
ただいま。
東京は暗いけど、また、少しでも日々が楽しくなりますように。生活が、暮らしが、平穏に続いて生きますように。ちょっと嫌なことがあっても、すごく嫌なことがあっても、深く落ち込んでも、決して気分が明るくはなくても、朝スッと起きて一杯の白湯が飲める日々でありますように。
落ち込んだら、またポレポレ東中野に行って、東松原まで歩いて帰ってみよう。作り物にだけしか心が動かない自分は嫌だけど、作り物ですら心が動かなくなってないか、定期的に確認しよう。うん。
太田監督、蓮見さん、大好きです。
はあああああ〜〜〜〜〜〜〜〜、明日仕事に行きたくないよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、おやすみなさい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
======= 追記 ◎ 後日譚 =======
蓮見さんは、あのお店を「ケーキ屋」って書いていたけど、どっからどうみても、わたし的にあれは「カフェ」だ。ケーキ屋って、中に座って食べるところがない(もしくはあったとしても2席くらいしかない)お持ち帰り用のお店を指すイメージだったのもあるし、わたしが食べ物にとりわけ興味がないだけで、ショーウィンドのケーキを見るよりも店内の居心地の良さをチェックしているところが良くないのか…?
でも、ケーキ屋って言葉は蓮見さんだなと思うし、前、確かYouTubeで、自分の交友を相関図で発表する企画のときに「家具屋さん」っていうワードが出て「〜屋さん」って言うのが、単語としてもかわいいから、発言する人も可愛すぎるなって客観的に思うようになってしまって、「〜屋さん」って言葉が全く使えなくなってしまっているんですわたし。蓮見さんは、あのお店を見て「ケーキ屋さんがある!」と直に思うのだろうか?それとも直感的にはまず「カフェがある!」と思って、口語や文章にするとき「ケーキ屋さん」に直すのだろうか…?
何か、落ち込んでいる。
「作り物でしか心が動かない」と言う言葉に、やけに引っかかりが取れない。このモヤモヤをもっとちゃんと言語化したいと思っていたら、他の方がこんなにも綺麗にこの公演の感想を述べておられた。
同じだ。わたしと全く同じだ。(ちなみにわたしもワンピースのネタの最後に絶対吉原さんを追いかけられない人間です。)
圧倒的に社会が足りていない。コミュニケーションが足りていない。
そういえば、わたしは、努力したことがないのかもしれない。
「もっとこうしとけばよかったな〜」「ああなればよかったな〜」と反省はするものの、「じゃぁ次はこうしよう!」って思って、それを実行に移せた試しがない。スポーツをやっている人なら、こう言うことは得意なのかもしれないが、今まで、自分から何かを率先してアイデアを出したり、行動したことが、そういえば何一つないかもしれない。(ピアノ・水泳・英会話・空手・書道…、とてもたくさんの習い事をさせてもらっていたけど、全て「させてもらっていた」だけで、自分からやりたいと思って始めたものはないし、むしろ辞めたいと言っても辞めさせてもらえなかった。塾も通っていたし、それなりに頭は良かったと思っていたのに、高校受験も失敗して、大学受験も失敗して。それで、高校時代は、絵に描いたような最悪な田舎の自称進学校で、部活禁止だったし、スマホも持ち込みはおろか所持自体が禁止だし(ばれた友達は謹慎で2週間くらい学校に来れなかった)夜22時まで空いてて勉強してたし、朝小テストから始まり、昼も小テストがあり、夜もテストがあり、点数を下回れば再テストが続く。てか、単語帳を片手に昼ごはん食べていた記憶しかなくて、単語帳を手放して、友達と話すことだけに夢中になりながらお昼ご飯を食べたことがないかもしれない。夏休みが削られ、てかそもそも夏休みなんてなくて、もちろん土曜日も授業で、朝は叩き起こされ、毎日、母親の車でミスチルのend of the dayを流し泣きながら登校し、担任すらストレスで日々髪の毛が薄くなっていくという日々だった。)← だから、もちろん環境のせいはあるものの、あの当時はもう何かしらの病気だったと思うから、生きること以外に思考することなんてできなかったと思うけど、それにしても、『考えて・行動すること』とそれに伴う努力が圧倒的に足りなすぎた気がしている。
初めて努力が認めてもらった気がしたのは、今の職場に採用をもらえた時、つまりは5年前くらい。そこで、自分が初めて社会に認められた気がしたんだけど、遅すぎるて。社会。
社会が全て悪いと思っていた。周りの大人が全員嫌いだった。好きな大人もいたけど、結局その人も、このわたしが嫌いなコミュニティに属している事実は変わらないんだからってことでずっと悩んでいた。(自分もそこにいるのに。つまりは自分自身の否定でもあるのに。)
だからとにかく、そんな社会から外れた、もしくはそれに反発するような、音楽や映画や、演劇・ミュージカル・オペラ・絵画・ドラマ・アニメ・本…、がわたしにとって、ずっと高尚だった。
こんな田舎の、小さいコミュニティーとは関係のない世界。遠い世界。
わたしの唯一の心の拠り所だったため、それらは、娯楽ではなく、もっと生死を彷徨う感覚の時に引き留めていたもの、カルチャーなどと言っては軽すぎる、『芸術』でなければダメだった。
SPRING AWAKENING大好きだったなぁ….…、ヘルマンヘッセも好きだったし、その類のものは、娯楽やカルチャーではなく『芸術』で、高貴で崇高だった。
クーラーのリモコンにコーラがかかって故障しただとか、シャンプーのこだわりとかは本当にどうでもよくて、わたしに必要だったのは、まぁドイツでなくても、フランスでもイタリアでも、中国でもマレーシアでも、どこでもいいんだけど、日常・個人的ではなく、なるべく普遍的な、大人に(社会に)抑圧された、マイノリティの行き場のない叫び=わたしへの同情、だった。
でも、やっぱり、今となっては、『芸術』自体そもそも、そんなに崇高ではないのかもしれないと思っている。蓮見さんのせい(おかげ)でもあるんだけれども、結局それを作っているのも同じ大人の人間だし、あれだけ傾倒していたダルカラ谷さんは活動しなくなったしね〜。
う〜ん。まぁそれでも、演劇においては、高尚であるものが好きなんですけど〜。なるべく、テーマが濃くて大きいやつ。「旅館じゃないんだからさ」は思考を外に飛ばせなかったから(自分と向き合うしかないから、エモさという殻を被って迫ってくるから)本当はずっと遠いやつがいい。主語が大きくて、世界の矛盾とかを掲示してくれるやつ。でもゴタゴタしてないやつ。暗い気持ちになって簡単に病めるやつ。静かに思考したい。そういえば下北沢に演劇を観に行ったのは、名取事務所かオフィスコットーネくらいしかないかもしれない。そういうやつ。戦争とか。海外戯曲。人間の心の機微とか繊細な感情は、日常の些細な出来事じゃなくて、死とかを目の前にした極限の状態でしか発揮されないものだと思っていたから。
だめだ、また何を話しているかわからなくなってきた。
「作り物でしか心が動かない」つまりは、社会から、コミュニケーションから逃げてきたということで、それは育った環境のせいでもあるんだけど、やっぱ単純に外交的になろうという努力が足りないっていうのもあるよね。その性格を今から治そうと思うんだけど、今まで通りのエンタメを、変に崇めて今まで通りに摂取して日常に還元しようと思っても、それで日常は変わらねーからな。高校・大学の自分じゃないんだよもう。このままだと、ガワだけ大きくなって、これからも中身は何も成長しないかもしれないよ〜って思った。という話だっけ?
ずっと自分のことが嫌いだけど、諦めていて、自己肯定感は低いのに、自己愛だけはやたら高い、変なプライドの高い人間でいたことに、恥ずかしさも何も感じていなかった。でも、今は、自分が間違っているかもしれない可能性を常に持つことができているし、性格は簡単には変わらないけど、「簡単に」変わらないだけで、他者と積極的に関わっていくことで、変わっていくこともあるかもしれないって思えている。作り物以外でちゃんと心が動く人間でありたいわけなんです。
みたいな。
こうやって思考するきっかけが、変な自己啓発本とかじゃなくてよかった。
蓮見翔でよかった。
そっちの方が、多分「良い人間でいよう」って思おう薬の効き目が、ちゃんと継続できる気がするし。
やべぇな、薬で思い出したけど、ピル、ここ3日くらい飲み忘れてるわ。
あ〜〜〜〜〜〜〜、最悪。
またいちから始めないといけないことがたくさんありすぎる。