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表紙のないノルウェイの森と、平田オリザ『S高原から』 ( 駒場東大前 / 今出川 / 豊岡 の話。 )

先日、青年団『S高原から』を見に行きました。
いや〜〜…、相変わらずで。面白かった!!笑
その感想を述べたいと思って記事を書き始めるのですが、早速少々寄り道することをお許しください。

こまばアゴラ劇場が閉館するニュースはわたしも驚いたけど、正直、劇場には一度見にいったことがあるだけで、深い関わりや思い入れがある訳ではありませんでした。ただ、それはアゴラ劇場とわたしの関係性がそうなだけで、平田オリザさんとわたしという点に関してだと、少し長く語ることのできる話があります。

まず、平田オリザさんはわたしの恩人だという話。

初めて平田さんをはっきりと認識したのは、わたしが大学生の時。授業でゲストとして登壇してくださったことでした。
学問ってたくさんの分野があるけど、多分どれもいま私たちが「より良く生活するため」に開かれているものだと思っていて。例えば、医学なんて、生きることに直結するからわかりやすいと思うんだけど、数学や物理学なんかは、わたしたちの普段目に見えないようなミクロな世界で生活を便利に変えていってくれているだろうし、経済学や政治学なんかも、それがないと社会がきっちり動いていかないのも分かる。
ただ、当時のわたしにとっては、そのような学問がどれも陳腐に思えてしまっていて。そういう身体的な不調や、多数で構成される社会というものを考える前に、自分の心や身近な友人関係について考えをめぐらすことにストレスを感じたり、必死だったから。
そんなときに、結局、わたしにとって世の中が暮らしやすく・生きやすくなることっていうのは、つまりは、生活する上で学ばないといけない学問は『他者と自分という存在の熟考』であることに気づいて、そのきっかけが平田オリザさんの講義でした。

講義中に聞いた、いつもの電車の例え話と、シンパシー・エンパシーの話(いきなりカタカナが出てくると胡散臭くなるかもだけどごめんなさい。)それから「分かり合えないことから」という言葉はわたしを救ってくれたし、今でも自分で大切にしている言葉でもあります。

そんなわけで、アゴラ劇場には行ってなかったけど、平田さんは大好きで、作品はいくつか見ているんです。
『さようなら』『東京ノート』『日本文学盛衰史』『思い出せない夢のいくつか』『私はカモメ』…。多くは豊岡でみました。地元です。

これはものすごく失礼なことかもしれないけど、わたしにとって、青年団は駒場というよりか、もう豊岡という印象が強くて。わたしが演劇とやらに本格的に興味を持ち始めたのは、社会人になってから、つまりは5年くらい前からだということと、豊岡の存在が自分にとっては大きすぎるために、そう思ってしまっています。だから、アゴラ劇場に他の方が思っているような、強い想いを抱くことは難しいんです。
当時を知らない自分が悔しいし、もっと早く演劇に出会ってれば良かったなんて思うけど、それでも、今、演劇が好きで(いや、好きじゃない時もあるし、最近は嫌いなんだけど、それでも頭のどこか片隅には演劇という存在が常にある状態ではあって)好きな作家の作品を、その作家の大事な場所で、最後の公演を観れるなんて、ものすごく幸せなことだなとも思っています。
他の人の思い入れには勝てないけど、だから、クローズを悲しむ・惜しむ一人に自分がいてもいいのかな?って思うけど、静かに想いを馳せることは許してください。
他のサヨナラ公演はチケット売り切れていて見にいけないかもですが、当日券があれば無理にでも足を運ぼうと思っています。

『S高原から』は初めて見ました。
1991年初演。全然生まれてないや……。

でも、とても楽しめました。もう今では珍しくないですが、同時多発的に始まる会話は自分にとってまだ少し新鮮で面白いです。何も激しい事件は起こらないけど、人が入れ替わることによって、その場の空気が変わっていくのが手に取るように分かって、それは、わたしたちの日常でも常に起きていることだけれども、こういう風に客観視しないとわざわざ日常生活で意識することがないから、楽しい。
やっぱり、その人物像を無理に掴もうと前のめりにならなくても、あまりにも自然な人たちばかりだから難しくなくて有難いし、でも誰に感情移入するでもなくて、深く劇的な自分の心情変化を期待する訳でもなくて、ただ、その場に人物が複数いて、つまりは会話があって、結果、物語があって。その事実だけをシンプルに受け止められるところが、最高につまらないけど、最高に面白いなと感じます。
演劇をやっているようで、演劇をやっていなくて、でも結局、演劇はやっているから、つまりは演劇的ってことで、やっぱり演劇をやっているっていう。(伝われ!笑)

「S高原から」の感想を書こうと思ったけど、こういう抽象的な、漠然な感想にしかならなくて…..。もちろん「生きること・死ぬこと」とか「富裕層の日常」とか、まあ多少はそういうことを考えたかもしれないけど、それ以上に、わたしにとってはやっぱり漠然と『サナトリウム / 人々の出入り』ということが印象的に残った作品で、でもそれこそが、この作品の本質で、というか平田さんの作風の醍醐味で、良さなのかな〜とも思ったりしました。

あとね。
「魔の山」という言葉が自分にとってクリティカルヒットすぎて。

これに関してもお話ししていいですか?

それは、先日わたしが『ノルウェイの森』を読んだせいでした。

積読を解消しようと思って、今自分の部屋のテーブルに本を積み重ねているんです。その1つがノルウェイの森でした。
上巻しか持っていなかったのですが、表紙がなく、さらに、20ページくらいのところに挟まっていた栞が、今出川のラーメン屋さんだったので、急に学生時代のことを思い出したりしていました。

今出川というのは、わたしの通っていた大学のあるところです。(女子の方ね!賢くないので。しかも、今出川はサークルのために通っていただけで、実際は登山キャンパスの方だった)。

確かに、大学の時に買って、少し読んで、そのまま放置していたな〜と。それを引っ越しを重ねたのによく今手元にあるなと感心したのですが、なぜ表紙がないのかは思い出せないけど、なぜこの本を買ったのかは鮮明に覚えていたんです。

大学は京都だったけど、国内留学制度というものを利用して、1年間、東京の大学で生活していた時期があって。まぁこれも色々あって、全然大学に行けずで、軽い鬱みたいな状態だったのですが、その中でも唯一、外に出れたコミュニティーがあって、その友達のうちの一人、ナツキがすごいわたしのことを面倒見てくれていたんです。
そのナツキに飲みによく誘ってくれていたなかで、「今度、東大生と飲みに行こうよ!」ってなったことがあったのですが(その東大生はそもそもナツキが友達だったのか、細かい詳細は全く覚えていない。ちなみにわたしは東大生という肩書きが大好きだった。)上野のお世辞にも綺麗とは言えないホルモン屋さんで、イケメン東大生の男の人2人と、ナツキとわたしで、ホルモンを焼きながら濃い煙の中で色々な話をしたのが物凄く楽しかったんです。今でも、どのテーブルに座っていたかまで、よく覚えていて。
「イケメンで東大生で、人生、これから楽しいことしかないんだろうな〜」とか当時は思っていたのですが、そんな彼らが「ノルウェイの森、良いよ」って話していたのをきっかけに買ったんだった、ということを今、8年ぶりくらいに思い出したという話です。

観劇前の駒場東大前で降りたときはそうでもなかったんだけど、見終わったあと、S高原からの余韻と、「魔の山」という言葉、サナトリウムという共通的にノルウェイの森を思い出して、つまりは、それに付随した記憶も思い出して駅に向かっていたわけなんだけど、ちょうど学生が授業を終えた時間なのか、ホームにたくさんの東大生がいて。ノルウェイの森なんてみんな読んでるだろうな〜なんて考えていたら、怖…..って思いました。わたしが27歳で得る知識や教養を、彼ら / 彼女らは20歳前後で既にもう持っていて、それはやはり、めちゃくちゃ怖い。

ただ、でも、この大学生たちは「ノルウェイの森」は知っていても、平田オリザの舞台をわたしほど熱心に見ることができる人はどれくらいいるのだろうか…?とか考えると、知識や教養の深さで単純に人に優劣をつけてしまうのもやばいなって思いました。(クイズとか、それが競技になっているものだったら別だけど)

あと、今現在の駒場東大前駅周辺に住んでいる東大生・近所の人、それとわたしも含めて、“若者”で、この劇場の閉館を惜しんでいる人ってどのくらいいるのだろう…?とかもぼんやり考えました。演劇ってやっぱり特殊だし、不思議すぎる。

まぁでも、わたしの村上春樹を今まで読んでこなかったこととか、様々な知識や教養が抜け落ちている部分はコンプレックスで、でも、当たり前のことだけど、自分の過去なんて変えられなくて、やり直せないから、大学生の時は読めなかったけど今読むことができたことを自分の成長だとして、今読んで、色々考えて、想いを馳せて、そうやって、思い出と共に懐かしく思ったり、当時の自分を反省したりすることを、嬉しく思うことにしようと決めました。

魔の山、読まなくちゃ。
積読、また一冊増えそうです。

実は、新潮か岩波か決めきれていなくて、まだ購入に踏み切れていないんです。上・下巻合わせると、とんでもない分厚さだけど、その分厚さにドキドキしている自分はちょっと頼もしいです。


あとね、せっかくだから、もう1つ昔話をさせてください。

今出川 / 村上春樹 / 大好きだった彼   の話。

その、ノルウェイの森に挟まっていたラーメン屋のスタンプ券は、店の名前を検索すると店内の写真が出てきて、結構鮮明に当時のことを思い出しました。当時所属していたサークルのメンバーと食べたラーメンでした。

そのサークルのとあるメンバーことが、わたしはめちゃくちゃ好きでして。1回生で新入生だった当時のわたしは、シンタナの駅の改札前で告白したことがありました。
人生初めての告白でした。

あ〜、めっちゃ鮮明に覚えているから、恥ずかしすぎて今でも吐きそう。

彼は『ありがとう』的な言葉しか言わなかったから、つまりは断っていたんだけど、当時の自分もバカだから、それが断っているっていうことがわからなくて、そのあと友達の家に行って「え?どういうことだったの?」とか悶絶していたのを覚えていて。

あー、本当に恥ずかしいですね。シニタイ。
ちょっと黒霧島ボトル入れたい感じです。赤霧があればそっちで。

で、結局、彼はサークル内で他の人と付き合っていて、わたしはサークル外で彼氏がいたりしたんだけど、やっぱり、彼はなんだか特別で、初恋の人を忘れられない感覚というか、やっぱ本当に好きだったんだな〜って常々思っていた訳です。

そんな感じのまま卒業して。
社会人になっても、京都でサークルの集まりがあることがあって、彼とも顔を合わせることがあったんだけど「彼氏いるの?」みたいな話に当然なる訳で。でも、やっぱり彼は相変わらずかっこよくて、初恋のような気持ちがぼんやり残っているから、わたしは、東京で色々恋愛経験しました〜みたいな見栄とか張っちゃったりして。まぁ見栄って言っても嘘はなくて、本当のことを話していたんだけど、そんな成長した、過去の恋愛に未練を残さないサッパリとした自分を示したいだけじゃないの?と言われればそうで、どこか空虚に思えたりで…..。

帰りの電車で、彼と隣になってつり革つかまってる時に、「髪型似合ってるね」とかすごいフランクにそういうこと言えちゃう人だから、あぁ〜、ダメだ、色々考えちゃうから、もう会いたくないな〜とか思ってて。

そんな彼が、仕事とか近況報告している時だったかな?『村上春樹が好きで読んでて〜…』って言っていたんです。

なので、わたしは、電車の吊り革につかまって揺られながら、
『あ〜、最悪だ、髪型褒めてくれるけど、でも彼は村上春樹好きなんだよなぁ〜…、わたしそんな読んだことないから、あんまわかんないな〜…、でもなんか、こんなところで、村上春樹って名前出すことって、それはかっこいいのかな?ダサくない?村上春樹ってまさに、ちょっと斜めにカッコつけたい時の記号じゃない?』って思っていたんです…。(自分もカッコつけてただろうに偉そうにゴメンナサイ。)

でも、ノルウェイの森を読んで、そんな自分が間違っていて、自分が彼に対してただ強気の自分でいたかっただけなんだな…、と反省しました。

ノルウェイの森が、ただただ良い作品すぎた。

なんだまじで………。
描写がきついのは好みではなくて、上巻の最後の森での2人のシーンとか、みんなが一番大好きなシーンだろうけど、本当に要らないと思ったけど、でも下巻の最後の終わり方が最高で、そのラストに全部が集約されているから、もう、本当に、最高でした。「あっ、嫌いだな」っていうシーンがあるのに、大好きな作品ってどういうことなんだろう?ノルウェイの森自体の感想を述べるためには、もう一回作品を読み返さないと言語化できなくて、安易に語りたくないんだけど、本当に重いけど、軽くて、だから、ふわふわしているけど、ぎゅっとしたら丈夫で、力強いけど清らかで、泥かぶっているけど、透き通って見える作品でした。

でね。
その彼も村上春樹好きって公言することは、ノルウェイの森をきっと読んでいて、それを賞賛しているということは(村上春樹好きを公言 [ ノットイコール ] ノルウェイの森賞賛派 もいるかもしれないけど、いても少数だと思うので、ここではいないと仮定します)自分に対して、彼への恋心はやっぱり間違っていなかったんだな…とか、今、とても余計なことを考えてしまっているんです。
隣で吊り革につかまっていた時に、わたしが既にノルウェイの森を読んでいた自分だったとしたら、危うくもう一度告白していたかもしれないな〜、もしそうだったらどんな人生だったのだろうか……。まぁ出来なかっただろうけど!笑。それでも、人生少しは変わってたかも?っていう可能性にドキドキするのも楽しかったりしてるな〜…..とか思っています。

長くなってしまいましたが、以上、主にわたしの個人的な思い出話の諸々でした!


だから今後わたしの本棚にある、表紙のないノルウェイの森を見るたびに、

東大生のこと。
ナツキのこと。
つまりは辛かった大学生活のこと。
今出川で食べたラーメンのこと。
つまりは大好きだった彼のこと。
魔の山のこと。
S高原からを見たこと。
こまばアゴラ劇場 閉館のこと。

を思い出すと思います。

歳を取っていくことって本当に嫌だけど、こうやって一つの出会いや経験から、過去・未来、色々な自分につながっていくことも楽しいなって思うようにしようと決めました。

わたしの場合、過去の記憶なんて、忘れたいことの方が多いんだけど、それでも、過去の自分に「今の自分は、過去の自分があるから、生きてるよ!ぼちぼち楽しいよ!」って言ってあげられることも大事だなって感じています。

はぁ。

村上春樹、次、何読めばいいんだろう…?
「銀河鉄道の夜」と「阿房列車 / 思い出せない夢のいくつか」当日券あるかな…?

まだまだ、出会いたい作品、観たい作品がたくさんあるなぁ。

ところで、ナツキは今何しているかな...?
元気かな…?

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