ひとりぼっちの戸籍をつくった話②
前回はこちら。
生まれたときの名前に戻したい。
これがここ数年、心のなかに湧き上がっていた願い。
関東に戻り、祖父母や実父が近くに居る生活が長くなるにつれて、思いが強くなった。
わたしにとっての居場所は、家は、やっぱりここなんだなと感じるようになった。
もしこの先大切なパートナーができて、相手の苗字を名乗ることになったときは、この家から巣立っていきたい。(ただ選択的夫婦別姓には賛成だし、もっと色んな形のパートナーシップが認められる社会になってほしい。)
もし生涯独り身を謳歌してこの世を去ることになっときは、みんなと同じお墓に入りたい。
昨年の秋、泊まりで祖父母の家に遊びに行った夜、みんなでお酒を飲みながらそんな自分の気持ちを思い切って打ち明けてみた。
祖父は
「そうか、そんな風に思ってたのか」
とぼそっと呟き、
祖母はとても嬉しそうに
「帰ってらっしゃい」
と言ってくれた。
パパちゃんは別にいいんじゃな〜いとヘラヘラしていた。そういう不器用なところ似ちゃったから何考えてるか想像つくよ。
それからほんの数ヶ月後、示し合わせたかのように両親から捨てられた。
事実をどう受け止めるかは自分次第。
これは悲劇じゃなくてチャンス。
あんたたちに捨てられるくらいなら、こっちから捨ててやるよ。
そこからは猛スピードで動いた。
まず、母方の親族たちに相談した。年明けに母親から報告を受けた彼らも、全く腑に落ちていなかった。
継父と離縁して父方の苗字に戻すことを、みんなこぞって応援してくれた。
「もうあんな親のことで苦労しなくていいからのびのびと過ごしてほしい」
「こっちのことは何も気にせずそっちで幸せに暮らしてね」
「実家がなければうちを実家だと思えばいい、いつでも帰っておいで」
そんな温かい言葉で背中をたくさん押してもらった。
ありがとうね。ちゃんと幸せに暮らしていくからね。
それから役所に何度か足を運んで、行政書士に相談して、名前を変えるために必要な手続き、書類、諸々を徹底的に調べた。
複雑なケースだったからか役所の戸籍課のひとも行政書士も気の毒そうな、難しそうな顔をしていたけれど、「養子離縁届に継父が署名をすれば、継父とわたしは他人同士に戻り、わたしは自動的に出生時の名前に戻る」という結論に辿り着いた。
ひとまず準備した養子離縁届と手紙を継父宛てに郵送した。感情は抜いて、離縁届を提出したい理由とその効力、設けた返送期限だけを事務的に書き連ねた。
母親と同じく一向に音沙汰がなかったので「もし返送がなければわたしが住んでいる地域の家庭裁判所で申し立てを行うことになる」という催促をしたら、雑に署名されたくしゃくしゃの届け出がすぐ返ってきた。
母親からは、何の反応もなかった。
署名さえ貰えたらそれで充分です。さようなら。
提出するのに必要な2人分の署名は、大好きな祖父母にお願いした。
これで生まれたときの名前に戻せる。でも、ひとつだけ大きく違う部分がある。
わたしが、自分だけの単独戸籍をつくることになるということ。
実父の戸籍に入り直すことも可能ではあるけど、戸籍が数回変わっているわたしの場合はその手続きがかなり煩雑になり時間がかかるとのことだった。
だったらもう、真っ新な人生を自分で切り拓いていこうと思った。
せっかくなので本籍地は皇居にした。人生はどうせなら面白いほうが良い。
2022年2月1日、役所に養子離縁届を提出した。(こういう写真を撮るあたり本当に自分らしい。)
それから1週間後に届け出が受理されて、生まれたときの名前に戻った。
画数が多くて、100均ではんこが買えない、ちょっと珍しくて大好きな苗字。
懐かしくて嬉しかった。役所を出て真っ先に祖母に電話した。
そのときの、祖母の
「おかえり!」
の一言は、一生忘れないと思う。
ずっと待っててくれてありがとう、ただいま。
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