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オービス光りました、真っ先にデジタル化していたのは、交通取締りだった

もう。だいぶ昔の話ですが、
BMW330というのに乗っていて、
ブンブン走ってたころ、仕事でもそのBMWで毎日100キロメートルは必ず走ったものでした。その頃は神奈川から埼玉の外れまで、債権管理の為に、約束がいっぱいあり、使える高速道路はみんな使って約束をやり繰りしていました。
その日は、埼玉の上尾市に会社の部下と一緒に行く約束があり、僕が部下のN君を横浜の会社で乗せて、(⁠僕は横須賀の自宅から出発)首都高速に乗って、湾岸線経由で大宮方面へ向かいました。ナゼN君ではなく、僕が運転していたかというと、任意保険に年齢制限があり、僕が、運転せざるを得なかったのです。

朝の首都高速湾岸線ですから、それなりに混んでいますが、事故でも無い限り、それほど時間の読めない移動ではなかったし、広い道路でもあり、何も無ければ速い速度でクルマも流れています。

ぼくも、片側3車線の真中や、左。でも一番右の流れが一番速いので、なるべくそこに、クルマを持って行くように運転していました。

羽田空港が見えて、トンネルに入り一番右の追い越し車線が流れ速かったのでクルマを滑りこませて速い流れを楽しんでいました。

トンネルを出るところが近づいてきて、先行車が左に車線を変え、ボクのクルマが速い流れの一団の中で、一時先頭を走るような位置でトンネルをでたとき「ピカッ」と赤い強い光が、3車線をまたぐゲートの上設置された小さな箱状のモノから発せられ、目を射抜きました。感覚的にですが、レーザーポインタみたいに、小さなモノから強力な赤い光が発せられたと感じました。
ここからボクの地獄が始まります。

目次 「オービス作動」
   「呼出がきた!」
   
ここから次回(今回はまだ書いてありません)
   「聴聞・行政処分」
   「その後」

「オービス作動」   
今なんか光ったよな?
状況が呑み込めない僕は、助手席のN君に問いかけました。
「すいません、うとうとしてて気づきませんでした。」
あっそうなんだ。いいよ、と言いながら僕は自分でも気づき始めた
「オービス」が作動したんだ。ということをN君の口から聞かないでいられたことにホッとしました。
何故なら、まだ信じたくない気持ちがあって、「別の車が撮影されたのさ」「勘違いかもしれない」という考えで、自分の不安を何とか紛らわせようとしていたからです。

ところで、ここでいう「オービス」というのはご存じだとはおもいますが、道路に設置された「速度違反自動取締装置」でして、走行する自動車を、制限速度超過していないかの測定をして、制限速度超過車両を検出するとその違反車両と運転者を撮影し、後日警察がその撮影データをもとに運転者を摘発するというものです。
設置された当初は、撮影データがフィルムだったので、定期的にフィルム交換が必要で、フィルムが尽きると違反車両を記録できないといわれてましたが、そのころ(2006年~2007年)は、すでにそのようなものは廃れて、違反車両の撮影データは、それを設置した警察へ電送されるといわれておりました。そのためカメラは小型となり、なかなか設置場所の発見はしづらくなっていました。オービスの出す電波を感知して、存在を通知するとうい機械も販売されていましたが、僕はそのようなものを装備していませんでした。

場所は、首都高速湾岸線ですから、元に戻ってその機器を見て確認することもできるはずもなく、もやもやした気持ちと不安を押し込めて、約束場所へ向かいました。

現場について、仕事の相手方と交渉など始めるわけですが、はっきり言って上の空。あの「赤い光」のことが気になって仕方ありません。
当時、スマートホンはまだなかったし、調べるといったら、PCで検索するか本などで知識を得るか?という事しか思いつきませんでした。
とにかく、仕事が終わったら調べようと気持ちを切り替えていこうと思いました。

昼休みとなり、N君が切り出します。
「オービスに引っかかたっのですか?」
どうかな、なんか光った気がするけど、そんなスピードでてたかなー?
「僕が聞いたのは、30キロオーバー以上で作動するらしいと聞きました、
青切符の反則金ですむ違反は作動しないらしいです。」
ということは、オービスが作動したとしたら30キロ以上のオーバーで
赤切符ということか。
「そうだと思います」
「でも、写真撮るじゃないですかオービスって、だから顔がちゃんと映っていないと呼び出し出来ないって聞きました。」
「あと、隣に人が乗っているとその人の肖像権があるから、運転手しか乗っていない車しか呼び出しこないらしいですよ」
そうなんだ、じゃあもし今日のがオービスだとして、
隣にN君乗っているから、呼び出しこないこともあるんだ。
「らしいですよ」
後日、N君の教えてくれたことはほぼ間違いだと、僕は身を持って知りますが、この時はちょっと安心としました。

翌日から「呼びだしは来ない」という考えと、
    「呼び出しは来る」という考え
    「光ったけど、僕じゃない車に向かって光ったのでは?」
おもに3通りの考えで、かわるがわるその理由を頭の中で反復していました。
「呼び出しはこない」
N君説により、同乗者がいた場合は、その人は違反行為をしていないわけだから、警察に写真を撮られるいわれはない。だから同乗者が映りこんでいる場合は、例え違反行為が記録されていても呼び出しはしない、説。

「呼び出しは来る」
N君説のうち、赤切符に該当する違反行為があったときにオービスが作動するとすると、裁判所の呼び出される違反行為となるわけだから、同乗者がいたとしても、運転者本人の責任を問わない理由にはならない。
同乗者が写っていても、同乗者を摘発するわけではないし、そもそも処罰の公平性で考えると同乗者の有無で、運転者の処罰対象か否かが判断されるのはおかしい気がする。
ただし、運転者を写真から特定できない時は呼び出ししない事はありうる。例えば顔が写っていなければ、呼び出したところで運転者かどうか?判断できないから、呼び出す価値がない。
だけど僕の場合は、強い赤い光が見えたということは、カメラも僕の目をとらえている事になるから、顔は写っているだろうから、呼び出しは来る、説。

「光ったけど、僕じゃない車に向かって光ったのでは?」
僕の願望である、根拠は薄弱。
はっきり言って「夢であってほしい」説。

自分でも、「呼び出しは来る」説、が一番有力だと思って居ましたが
何かの手違いで来ないかもしれない。とも考えていました。
宝くじを買って夢を追うのと同じような心境でしょうか。

とにかく、今違反すると、これから来るかもしれない
オービスの違反による違反点数と合計されるから、くれぐれも
違反しないようにしようと考えました。

1週間経過・・・来ない。
まあ、こんなに早く来ることはないだろうな。
10日経過・・・来ない。
これからだな。
2週間経過・・・来ない。
そろそろ来るかもしれない。
3週間経過・・・来ない。
来ない、な。
1か月経過。・・・来ない。
来ないな、もしかするか?。
1か月ともうちょっと経過。・・・来ない。
これは来ないか? 調べてみると1か月前「後」と書いてある。
1か月と半分くらい経過。

来ちゃった――――!!!。


「呼出がきた!」

とうとう、来ました。
とうとう来ましたよ。警視庁。
ハガキ。
主旨
平成00年00月00日00:00時ころ、
首都高速湾岸線東行き00付近を走行していた件で云々・・・
警視庁***高速隊詰所まで出頭してください。

僕は、呼び出しが来るまでに、
まず、呼び出しは来るだろうと、ほぼ確信に至りまして対応を考えていました。
「呼出がきても行かない。」
当然、任意ですから行かなくても良いはずじゃないか。
ならば、鴨が葱を背負って行くようなことをせず、
写真に写っている車のナンバーから「僕だろう」という程度で
呼び出しかけているのだから、「いかない」のが良かろうと
判断したわけです。
えぇ、行きませんとも。

それからしばらく平穏な日々が続きました。
もう来るものが来ちゃいましたから、気持ちは落ち着き
警視庁相手に「しらを切る」戦法に出たので、
「どうだ、運転者の特定できないだろう!」と
僕も馬鹿だから、自分の浅知恵にちょっと浮かれてました。
「運転者の写真が僕だと確認できなければ処分出来ないはずだ。」
それが僕の「しらを切る」戦法の要ですから、行かなければ
いいと、確信していました。

今度は、茶封筒が来ました、
差出人が黒枠で「警視庁」と書いてありました、
封筒の中身は、ハガキとそう変わらないのですが、
差出人名の 黒枠の「警視庁」がフォントが馬鹿でかく
インパクト大でした。
正し、あて名が(僕の住所、氏名)が幼い字で、そのアンバランスさが
僕をちょっと気楽にしました。
当然、行きません。
しらを切る、戦法ですから。
行かないで頑張ります。
(マネしないで下さーい)

茶封筒がまた来ました、
同じ体裁です、ただし封書の中身が、強い言葉になってきました
「出頭しない(できない)理由を、必ず連絡してください。と書いてあります。
話したら、たぶん負けちゃいます。百選練磨の警察官ですから、
文書を送ってもボロが出ます、だから無視。
でも、このころ「他の呼び出しを受けた人はもう出頭しているのかな?」
と、恐怖心が顕著になってきました。
「これからどうなるのかな、「警視庁」あきらめてくれないかな?」
などと考えながらも、気持ちに大きな負担を抱えながら
「無視」しました。

茶封筒が来ました。

この封筒は、たまたまうちに来ていた母が
ポストに入っているのを見つけました。
僕が帰宅するなり。
「あんた、何をしたの。」
「こんな、警視庁 なんて。」
「毛筆で宛名書いてるわよ、ただ事ではないから。」
「なにかしたなら自首してちょうだい」

すさまじい事になってきました。
母は昭和6年生まれ、
警察から毛筆で手紙が来るなんて、
大変な事なんです。

実際大変なことを僕はしでかしているのですが、
母の泣きながら「自首してちょうだい」は
堪えました。
「自首」 
母に僕は重罪人と思われている、
やばい。
かなり誤解している、やばい。

今までのいきさつを母に説明して、
「交通違反だから、人をケガさせたとか盗んだとか
そういう事じゃないから、早めに警察行ってくるから
安心して。」
ここで、母からポツリポツリ聞いたのですが、
戦争を経験している母にとって、
その当時の警察や軍隊等の恐ろしさが染みついていて、
やましいことがなくたって、警察(特高警察)や軍隊(憲兵隊)に
目をつけられたら大変な事になった、ひどい目に
あわされた人が近所にいた、と。それが、戦後六十余年経て、こんな毛筆の
手紙が「警視庁」から、息子あてに届いたものだから、
血の気が引いた、という事らしいです。

母の世代は、お上から、毛筆で手紙が来たという事に
震えあがる年代の人なんだと知りました。
きっと、大変なことを経験してきたんだな、と
改めて、昭和の時代の奥深さを気づいたりしました。

さあ、
方針変換。
行くぞ警視庁。
あわよくば「僕じゃありません」と、
無罪放免。
・・・はないか。
ああ、こわい。
やだなあ。
馬鹿なことしたなー(やっと自分のしたことと向き合おうとしている)
これから起こる不快な事を思い。
まぁ、すべて自分の責任なのですが、
大変だろうなーと、想像します。
実際そうなんですが、
想像している時が、良いときは一番楽しいし
悪いときは一番苦しい。

これから僕は、苦しみのスタートラインに
送り出されます。
(繰り返しますが、自業自得です、十分わかっています。
そして、ここに記載しているのは当時の状況ですから今と違う点はあると  思いますが、どうぞお許しを。)








 









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