ダイヤ改正前後の落穂拾いの旅3
ここで実際の乗車記に入る前に、岐阜県の地勢や高山本線の歴史について触れたいと思います。
日本はご存知の通り、山がちな地形で、全国土の7割が山地です。これは、地方の分割にも影響して、岐阜の南部が美濃で北部が飛騨ですが、美濃は東濃、中濃、西濃とあるのに対して、山林の多い飛騨はその区分はありません(余談ですが、美濃と飛騨の境で粗粗分水界になっています)。それだけ、秘境だった訳です。
この事は鉄道の開通の歴史にも影響していて、まず比較的工事のし易い岐阜方から、現在の名鉄の沿線と並走している各務原まで開通しています。これが大正時代の後半(昭和天皇が摂政をされていた時代)に当たります。
富山方は、遅れる事7年、昭和2年になってから、今は富山に吸収合併されている、婦負郡八尾村(ねいぐんやつおむら)の越中八尾まで開通しています。
そして両サイドから、徐々に開通して、最後に繋がったのが、坂上〜飛騨小坂、まさにこの飛騨地方なので、高山は本線と名乗りながら、一番最後の開業で、昭和9年10月25日の事で、丹那トンネルが開業して、東海道線が熱海周りになる1カ月半前の事でした。
余談が長くなりましたが、今日はその高山駅から富山で路面電車の未乗区間に乗って、米原と東海道貨物線を経由しながら、開業前の大阪新駅を通過して、関西空港を往復し、天王寺近くの宿に泊まるスケジュールになっております。
朝食は、7時から列車は7:40からという事で、オープンしてから慌ただしく用を済ませてから、もう入線している一番線の猪谷行きに乗ります。ダイレクトに行かれないのは、この駅で、JR東海と西日本の境目があるからです。よくよく考えてみたら、行きも帰りも新幹線なので、この2社しか乗らない行程になってます。
川もイタイイタイ病で知られる事になった神通川に変わると、雲がどんよりしている猪谷に到着、その原因となった製錬工場は、今は廃線となった神岡鉄道の末端にありました。
ここで、15分ほど待ち時間の間に、先に乗っていた列車は、高山行きとなりそのまま折り返し、それを見届けた後に富山行きも発車、先に申し上げた越中八尾辺りから富山市街地に近づき、3年前に南北の路面電車が直通する様になった富山駅に10:05着、新幹線迄の時間は1時間程あるので、この時間を利用して、以前は無かった、元国鉄線(もっと言えば、戦前は富岩鉄道という私鉄)富山港線から現在の富山地方鉄道富山港線とルーブ線に初乗車します。
路面電車は、バスの様にちょこちょこ止まるので、時間はかかるのですが、その分その街の雰囲気は感じる事が出来る乗り物です。先程紹介した、東西連絡通路のある富山駅から、そのまま富山大学に向かう支線を経由して丸の内から今度は、富山地方鉄道の鉄道線の接続駅に向かう本線の連絡路線として開業した富山都心線に向かう為左折します。
途中のグランドプラザ前で行き先が岩瀬浜に変わる為、しばらく停車、本線合流ご北西に進路を変えて再び戻ってから富山駅に、ここで特殊な乗り継ぎをする関係で、駅ビルで駅弁を購入して、僅か20分しか乗車しないはくたかで昼ごはんをありつくという、強行スケジュールになります。
富山駅前の電停です、簡易踏切が連絡通路です