「目的」と「目標」を勘違いしない
目的とは、感じていたい感情や、そのために在りたい状態などが重なり、成し遂げたい最終ゴール。
目標というのは、そのために必要な指標で、目的のために設定しているわかりやすいフラッグのようなもので、半分くらいは目的と重なる部分はあっても、別のもの。
人生で例えると、生きるための目的は「幸せを感じること」であり、誰もがこれは同じなはず。
そして、その目的を果たすために設定する目標が、人それぞれ違い
「お金持ちになって贅沢三昧を味わう」
「沢山の仲間や家族に囲まれて楽しく暮らす」
「健康的に長生きして平和に過ごす」
「ひとつの分野で技を磨いて日本一になる」
など、幸せになるために設定する目標は無限に存在する。
この「目的」と「目標」を混同、または勘違いしてしまうと、自分を見失い、生き方がわからなくなる。
本来の目的を見失い、目標が目的と重なっていってしまい、ベクトルがズレてしまっていることに気付かないまま進むことで、頭打ちを感じたり、突然に虚しさを覚えたりする。
これが、手段が目的となってしまっている現象だ。
本来の目的は、「幸せになること」であって、目標設定とそこへ向かうためのプロセスは全て手段でしかない。
もちろん、振り返ればその手段であるプロセスも、幸せの一部であったと気付けることもあるが、それはあくまで本来の目的を見失わずに走りきった場合のみだ。
ではなぜ、走りきれずに挫折してしまったり、途中で諦めてしまったりするのか?
それは、自分の力が不足していたり、努力が足りなかったわけでもなく、誰かが悪いわけでもない。
目的と目標を勘違いしたまま、目標設定を誤り、そのまま進んでしまっていただけだ。
やめてしまった、続かなかった、挫折してしまったことを思い出してほしい。
それらは全て、自分の幸せのためではなく、誰か他人の敷いたレールを走っていたのではないだろうか?
目的を見失うことなく、自分が幸福感を感じるために、あるひとつの目標へ向かっていたのなら、それは必ず最後までやりきれるはずだ。
続かなかったことというのは、目標は同じでも、その先に本来あるべき「幸せになる」という目的ではなく、認められたい、怒られたくない、みんなそうしてるから、なんとなく、のようなものばかりだったのではないだろうか?
そういった、他人軸が目標へ干渉している場合、そこには自分の目的は存在してはいるものの、その目的自体が目標のような曖昧なもので、目的+目標ではなく、目的(目標)+目標のような形になっていたのではないだろうか。
だからこそ、それを続けて行った先で、大きな壁にぶつかった時、頭打ちを感じた時などに、
「そもそも俺は、何のためにやってきたんだっけ?」
となってしまう。
もちろん、この他人軸を上手く利用して自己成長できるライフステージもあり、親や先生に指導されてきた学生時代や、先輩だらけの社会人成り立ての若い頃には、承認欲求や他人軸も有効活用できる。
ただ、自分で理解した上で自分をコントロールしていなければ、そのうち道を見失うことになったり、大きな挫折感を味わったり、全てを投げ出したくなる時は必ず訪れる。
まだ、これらの理解とそれに追い付くための心持ちが完全に成長しきれていないと、他の誰かのせいにして終わろうともしてしまう。
そんな生き方も、どこかでベクトルを変えなければ、いつまでも本当の意味での成長は出来ず、それと同時に生きる意味が見出だせなくなってしまい、無気力になったり、成長することすらもやめてしまう。
これを打開して前へと進み、人生をもっともっと楽しむためには、やはり、目的と目標をきちんと理解し、自ら課題を設定して、クリアしていくしかない。
段階によっては、とても難しいようなことに聞こえるかもしれないが、楽しむ方法は、とてもシンプルなものだ。
まずは、他人という存在は小さくして、放っておくか脇に置いておこう。
次に、自分自身の「生きる目的」を考え、ハッキリさせておく。
そのために、何を成したいのかを決め、それを目標として設定する。
その目標へ向かうために、やっていくことを決めていく。
これらの作業は、やってみるとそこまで難しいものではなく、誰でも簡単に取り組めるし、不思議なもので、この作業そのものが楽しくなってくる。
「めんどくさそう」と感じている人ほど、是非やってみてほしい。
また、もっと不思議なことは、目標を設定すると、その目標を達成するために必要なものは、どんどん集まってくるようになる。
この現象は、脳の仕組みによるもので、とても神秘的でありながらも、人生を楽しむために備わっている標準装備の優れた脳の機能だ。
こうした、自分だけの作業、ワークに取り組み始めると、何故だか毎日が楽しい気分になっていき、人生がまるでゲームのように感じられるようになる。
そうなってくると、もう人生というゲームを楽しめるユーザーへと上がれ、やればやるほどにそのゲームはイージーモードに感じられるようになる。
繰り返し行っていき、慣れてくると、生きる意味を失ったり、無駄に悩んだり不安になったりしていた過去が、遠い昔のことのように感じられ、まるで別人のように振る舞うことができ、それまでとは全く違った人生を体験できるようにもなる。
ここでは、「目的」と「目標」の違いから、人生をゲームへ、イージーモードへ移行させる方法まで紹介してみた。
これが哲学や自己啓発などによるライフシフトやパラダイムシフト、ブレイクスルーであり、スピリチュアル界隈での並行世界、パラレルワールドの移動となるのだ。
これら全ては、私が経験してきたことから学んで導きだしたもので、あなたの正解に一致するかどうかはわからない。
ただ、ここまで読み進めたあなたなら、必ず何かのヒントが掴めたはずだ。
それは、あなたからあなたへの大切なメッセージであり、宇宙がもたらす大いなる力の導きでもある。
今から、何をしますか?
それは、あなたの自由です。