朗読劇:墨田川

【墨田川】 作・細谷
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友達が死んだ。

飛び込み自殺だった。

自分の足にコンクリートブロックを繋いで

川に飛び込んだ。

鳩くらいしか友達がいないようなやつだったので

まさかそんな勇気を持ち合わせていたとは、驚きだった。

彼と初めて出会ったのは、その川のほとり。

それは冬の始まりのこと。

彼は、時折寒そうに指を温めながら

花壇のレンガに腰をかけ

パンを口の中に詰め込み

うっすら涙目になりながら一生懸命に咀嚼していた。

苦しいなら止めればいいのに。

彼は咀嚼を止めなかった。

パンにつられて、よたよたと近寄ってきた俺に気付くと

彼はうっすら笑って、俺に声をかけた。

「寒そうだな」

俺の足を見てそう声をかけてきたやつは初めてだった。

興味が湧いてきて、一気に距離を詰める。

「腹減ってるのか?」

勘違いした彼が少し困ったように言う。

そうとも言うし、そうとも言えない俺はその場をウロウロした。

すると彼は少し考えたあと

『あ』と、わざとらしい声を上げて、一欠片パンをこぼした。

そして

「内緒な」

そう言って彼は再び咀嚼を始めた。

相変わらず目線が遠い。

川面(かわも)を眺めているのか。

しぶきを上げて颯爽と目の前を走り去る船を見ていたのか。

思えば彼は、いつも何かを見つめていた。

今となっては、何を見つめていたのか知ることはできないけれど。

その日以来、彼は俺のためにパンをこぼし続けた。

仕事の日は毎回川辺に寄って、俺に話しかけた。

内容は他愛もないこと。

上司が嫌味っぽいとか、営業が偉そうだとか。

彼は相変わらず遠くを見つめながら

独り言のようにぽつぽつと話し続けた。

その諦めのような

開き直りのような声色(こわいろ)がとても心地よくて

俺はパンの欠片を咀嚼しながら首を揺らす。

そんな俺を見て彼は少し笑った。

「お前、俺が居なくなったらどうすんだろなぁ」

 そんなの決まってる。

出会う前の生活に戻るだけだ。

でも、どうするんだろう。

あんたがいなくても生きていけるのかな。

それは、良い事なのかな。

何となく、考えるのが嫌になって、まぶたを閉じる。

彼はそんな俺に対してはもう何も言わず

また独り言のようにぽつぽつと話し出した。

その心地良さに騙されながら、俺はまた首を揺らした。
 

彼の言葉が独り言じゃなくなったのは

寒さも厳しくなった冬の日。

彼はその日も、パンを咀嚼していた。

俺が近寄ると、彼は一際大きなパンを零した。

いつもより雑な動作に不思議がって首を捻る俺に

彼は薄く微笑んだ。

「食い納めだよ。いっぱい食べな」
 

不穏な言葉に俺の動きが止まる。

そんな俺に構うことなく、彼は続けた。

「俺さ、転勤になるんだって」

「もう、ここに来れないんだ」

「西東京の方の営業が足りないから営業に回されるんだと」

「まあ、実質クビだよな」

「俺、営業向いてないからって事務に回されたのに」

「体(てい)よく辞めさせるための口実なんだよ」

珍しかった。

「なあ、どう思う?」

ここまで彼が矢継ぎ早に話すのも。

俺に答えを求めるのも。

俺は相変わらず、彼の周りをウロウロした。

「どうだって聞いてんだよ!!!」

大きな声を出されても、俺に出来るのは

彼の周りをウロウロすることだけだった。

彼の拳がわなわなと震える。

力を込めすぎて真っ白になっている。

それがふっと緩んで、指先に色が戻って

寒さでまた色が奪われて。
 

俺はそれを見ていた。

見ていただけで、何も言えなかった。

どんなセリフも、場違いな気がした。
 

「お前に言っても無駄だよな」

何も言えない俺に呆れたように、諦めたようにそう言って

彼は俺に背を向け川辺を後にした。

彼は一度も振り向かなかった。

それからしばらく、彼がここに来ることはなかった。

それでも俺は彼を待ち続けた。

来る日も来る日も。

俺の気持ちが通じることを願って。

 彼との邂逅(かいこう)は、冬も終わりのことだった。

「よう、久しぶり」

そう言った彼は、橋の手すりに足をかけていた。

右足には、コンクリートブロックが繋がれている。

その意味は、馬鹿な俺でもよく分かった。

「ダメだった」
 

そう言うと、彼はヘラヘラと笑った。

何故か、いっその事、清々しそうでもあった。

目がパンパンに腫れて

目尻が赤くなっているのが、痛々しかった。

俺の為にパンをこぼしていたこと。

でも、それだけの為じゃ無かったこと。
 

「なんかもう、なんだかなぁ」
 

何となく分かっていたのに、俺は何も言わなかった。

言わなくても通じているような気がした。

でもそんなのは俺の甘えで。

俺の考えていることなんて

コイツには何一つ伝わっていなかった。
 

「最後にお前に会いたかったんだ」

「酷いこと言っちゃったから」

「どうしてんのかなって思って」

「でも元気そうでよかった」

あの時と同じように矢継ぎ早に話している。

あの時と違うのは、俺の目を見つめていること。

それなのに、俺の答えなんて求めてないってこと。

それが、どうしようもなく、虚しくて。

「お前、俺が居なくても生きていけんだな」
 

次の瞬間にはもう

彼は大きな音を立てて薄汚れた水の中に沈んでいた。

最初は大きかったあぶくが段々と小さくなり

終いには水面はうんともすんとも言わなくなった。

俺はそれを、ただ見ていた。

一番近くで、ただただ見ていた。

あの後、たくさんの人間が彼を探して川の水をさらったが

彼の体は一向に見つからなかった。

死んでからじゃないと、探して貰えないんだな。

そんなことを思っていると

前から甲高い声をひり出して話している女たちが現れた。
 

『ねぇ、知ってる?

この前ここでサラリーマンが自殺したらしいよ』

『うっそー』

本当。

『まだ死体見つかってないんだって』

『怖っ』

『幽霊になって出てくるかもよ』

そんなわけない。

だとしたら、俺がもうとっくに見つけてる。

ずっと待っているんだから。
 

『死体が上がってきたとしてもさ、めっちゃ腐ってそう』

『やめてよ!ご飯食べれなくなるじゃん!』

セリフとは裏腹な楽しそうな声色(こわいろ)。

ただただしんどくなって、耳を塞ぎたくなった。
 

お前らが腐って死ねばいいのに。

という言葉は

あいつが望んでいなさそうだから、飲み込んだ。
 

ふと、楽しそうにはしゃいでいた女のうちの一人が、俺を見た。

『うわっ。この鳩、片足ないじゃん』

『かわいそー』

それは間違いなく、同情じゃなくて、好奇だった。

『寒そうだな』

あいつのとは全く違う。

紛れもなく、悪意だった。

『気味悪いから行こ』

馬鹿な女どもが捨て台詞を吐いて、足早にその場を後にする。

悪態のひとつでもついてやりたかった。

でもそれは、八つ当たりのようで

余計に惨めになるような気がして、ぐっと堪えた。
 

川を見つめる。

あの時の彼と同じように。

話したいことは山ほどある。

今度こそ、言葉にしよう。

もう、遅いと。

今更だと言われても。

俺の声なんて、聞こえなくても。
 

今は水底(みなそこ)にいる彼も

きっとそのうち浮かび上がってくるだろう。

体に溜まったガスが

腐った右足をちぎって彼を川面(かわも)へ押しやるはずだ。

そしたらきっとまた会える。

今度はお揃いの姿で。

春が待ち遠しい。

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