寄稿シリーズ05 魔術に足を踏み入れて
真守流魔道に入会してはや1年2ヶ月。
わたしは子供時代から退魔の要素を含んだコンテンツ(霊幻道士、チャイニーズゴーストストーリー、うしおととら等)がすきで魔術を学びたいと考えたきっかけも退魔に興味があったからである。
私が生まれる前に亡くなっているので会ったことはないのだが、祖父が修験道などを齧っていたらしく、
幼少期に「お爺ちゃんが狐憑きを祓ったことがあってね」など祖母から不思議な話を聞かされていたことにも若干影響を受けているのかもしれないが、どうしてこんなに退魔に惹かれているのかは自分でもよく分かっていない。
そんな、わたしが入会から最も時間を費やしているのは実は瞑想訓練である。
入会当初は、カッコいい退魔法や儀式を編み出すぞ!と意気込んでおり、今でもその気持ちは変わらないのだが、なぜだか何より瞑想を優先しているわたしがいる。
「魔術の極意は日常の中にある」
真守さんが何度も教えてくれたフレーズ。
毎日の日課、座りながらの無の瞑想。強風の日には全身で風を感じながら公園で立位で瞑想。眠りにつく前には天井に図形を描きながら視覚の瞑想。
仕事(クライアントワーク)に育児に追われる日々、これがわたしの日常なのだが、その日常の中で無理なく、でも可能な限りは訓練できるよう工夫してきた。
シャワーを浴びれば触覚の瞑想、歩行する時は足の感覚に集中し、これも触覚の瞑想。鳥の囀りを耳にしたらしばし聴覚の瞑想。
そうやって日常に瞑想を浸透させていった結果、気付きがあった。
「真守さん、これが真守さんの言わんとすることとイコールではないかもしれませんが、大切なものを見つけました!」
それは概念としては知っていたことなのかもしれないので、正確には体験して、より腹落ちしたという感覚が正しいのかもしれないのだが。
おそらく今までわたしは、実在の世界にきちんと生きていなかった。
いま起きていることをしっかり感じようと目を耳を体をそちらに傾けると、想像以上に日常は奇跡にあふれていた。
人智の、少なくともわたしの想像の及ばない精密なアルゴリズムが日常の裏側で常にミラクルを創り出していた。
にも関わらず、わたしは脳内でいつも何かしらのストーリーを再生してミラクルを無視して生活していたのだ。この気づきはわたしにとって大きな収穫である。
これらは主観的体験で仰々しく書く事ではないのかもしれないが、実感すると個人的インパクトが大きかったため書かせていただいた。
また、一見「退魔」とはあまり関係がなさそうなこの気づきであるが、実は「退魔」する上で非常に大切なマインドであるということにも、何となく気付けている、ような気がする。
実践して体得した概念は、おそらくあらゆる術にも影響を与える、、、はず。
遠回り、実は近道なり。
精神世界のことは長年ウォッチしていたにも関わらずずっと成長を感じられていなかったわたしが一年でこの内的成長。
その礎である真守流魔道は忖度なしにすごいのである。
そしてマンセー感を好まない真守さんであるが、真守さんもまた凄いのだ。
魔術師 GF6