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寄稿シリーズ08 心掛け


文・魔術師カニカマ

いかにも浮世離れしているイメージのある魔術師であるが、かつての富裕層メインの実践者のみならいざ知らず、現代の魔術師の大半は魔術とは副業や趣味といった位置づけになるだろう。
もちろん資産があって魔術に全振り出来る人もいるだろうが、私個人の感覚で言えばそれはむしろ危ういとまで思われる。

魔術としてカテゴライズされる分野、特に昨今はスピ系が幅を利かせている現状で大切なものは、一般人としての生活をメインとする事であると考える。
隠者、世捨て人のイメージがあるが、日々の生活がある人にとってはむしろ魔術は趣味やライフワークくらいの位置づけで留めておかなければならない面もあるだろう。

忘れてはならない事は、今やっている仕事というのは間違いなく社会や人々の為になっているという事だ。
そりゃあ反社のような不要なものもあるだろうが、そういったものは例外である。
需要があるからこそ、それに応えている。
これだけで充分人として素晴らしいのである。

それらを踏まえた上で私の最初の寄稿文でも書いていたが、魔術とは大前提として毎日のパンに困らない人が行うものであると考える。
人として生きる基本があってこそ成り立つものなのだ。
魔術を主、日常を従としては本末転倒であり、バランス感覚こそが大切なのである。

まずはしっかりとした社会的立場があるのが前提なのだ。
魔術とは取り得る手段の一つでしかないのだから、何ら恥じる事はない。

魔術師が上であるとかそういった考えは捨てるべきであろう。
とはいえ、魔術やってる私ってすごい!という自信もまた大事なのではあるが、これは全ての真っ当な職業や活動にも言える事だ。
取り組んでいるからには誇りを持つのは重要な事であるのだから。

そんな認識で魔術を続けられるのか?という疑問は当然出てくるであろうが、はっきり言って基礎がしっかりしていないとどうしようもない。
建物と同じなのである。
基礎があってこそ、そこに様々な付加価値や拡張性が出てくる。
加えて言うのならば続けていかなければ!などと気負う必要もなく、自身の経験を公開していきつつ魔術の発展の一助にでもなればいいな、というくらいの感覚の方が気も楽だ。

繰り返しになるが魔術は人生一発逆転の手段ではない。
少なくとも私に限っては、人生を豊かにするライフハックの一つであるという認識である。

ガチでやる方々も当然必要であるし、素晴らしいものであるが、逆に私のようにゆるい認識で続けていく人間もいないと全員が同じ方向を向くという、発展性においては絶望的な状況に成る可能性すらある。
多様性こそが発展にとって大事なものなのだから。

以下は言い訳みたいなものなので、もし記事にする場合はカットしといてくださいw
泥酔状態で思いついた内容を推敲もせずに書き上げた内容ですので、シンスさんに見てもらった上で校正点を挙げて頂ければ素面の状態でやり直します。


【解説文】シンス

皆様ご機嫌よう。
カットしない男、でお馴染みシンスです。

さて。
原初の魔術。
それは女性から男性に捧げる「いってらっしゃい」のキスですと、これまで何度も言ってまいりました。
いつも失敗ばかりの狩猟。たまたま獲物が捕れた。なんでや?せや!チュウや!今朝はチュウしてもらったからや!

接吻術。
狩りに出る男の士気を高め現世利益をもたらす術。

キール大学のアーサー・サボー教授は「いってらっしゃい」のキスをした男性は、「その日1日をポジティブな気持ちで始められる。心理的、精神的に人と調和する感情がもたらされる」という。さらに、「キスをしない夫」と比べて平均5年長生きするうえ病気のリスクは50%減少し、収入は20~30%多い」としている。
また開業医木俣肇医師によると「アトピー性皮膚炎やアレルギー性鼻炎を持つ患者とそのパートナーのカップルに、ムードのある映画音楽を流しながら30分間キスをしてもらい、その後の反応を調べたところ、アレルギー患者のダニやスギ花粉に対するアレルギー反応が減った」という。
東京大学医学部付属病院の山末英典准教授らの研究チームはいってらっしゃいのキスによる効果について「コミュニケーション能力が高まる」といった研究結果を発表している。

ようするに、毎朝キスをするだけで、長生きし金持ちになり社会的にも成功する、そんなばかな!というような、もっと言うならば、魔術師なんてわけわからん奴らの戯言である『魔術』が『医術』によって裏打ちされたという事になる。

この時、かつての西欧魔術師ならば、魔術に医術を取り入れて、魔術の権威化を図ったはずだ。「魔術とかwwwどんだけwww」と舐めくさった奴らを見返すため、また二度と舐められないために。

自称魔術師やそれに類する人たちが、どこか傲慢で攻撃的なアングラオタクに感じるのも、そうしなければ舐められるからである。
当たり前だが、警察の職質で「職業は?」「魔術師です」と答えられない人間は、過剰に尊大に振る舞わなければ自我を保てない病気であるし、逆に「魔術師です」と答えちゃう人間は、やはり何かしらの病気であるのだから、どう答えようが病気にほかならない。
まさに自己言及のパラドックス。

病気を偽る為に、偉く、立派な、聖人を演じる。ところがそもそも偉くも立派でも聖人でもない病人であるから、拗らせ拗らせ遂にはただの傲慢な人間に成り下がる。

魔術師の心掛け。

それは普通である事。

「普通とは?」等の論理は必要ない。
哲学もいらない。
当たり前に頑張り、当たり前にクズで、当たり前に泣き笑い、当たり前に死ぬ。
嘘はなるべくつかない。
なるべく人には優しくしたい。
でもできない、つらい、また失敗した。

そんな普通の人生を愛し肯定する事。

たったそれだけ。

それを論理や哲学で装飾していくと、神とは何か、宇宙とは、魔術とは等、偉く立派なお題目になったりする。

海や山を見て『神だ!』と感嘆できるような脳を持った生物なのだから、それくらいは朝飯前。

だが朝飯前より大切なもの。
それがいってらっしゃいのチュウ。
朝飯前より出勤前。

これが魔術である。

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