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三角書簡: 青いにんじん便り 3通目

 トクラ君、しの君、お手紙ありがとう。しの君が調べてくれたけれど、三名以上で書き合う手紙は三角書簡や流動書簡というのだってね。ひとつ賢くなったよ。
 それはそうと、たとえウェブサイトだって手紙をもらうのは嬉しいものだね。僕はリルケが好きなのだけれど、彼も手紙が好きだったみたいだ。といっても返信の筆はなかなか取ることができなくて、あーだこーだ、返書の中で言い訳をしていたよ。僕も筆まめではないから、返事には時間がかかってしまうだろうけど、どうか温かな心で許してほしい。

 さて、トクラ君からもらったお題は「10年後の自分を想像してみる」だったね。10年後どんな生活をしているか。3つの未来が浮かんだよ。

 1つ目の未来は、正気を失って精神病院に閉じ込められている姿だ。自分のことも、他の人のことも何も分からなくなって、寝ているか、起きているか。起きているときも一言もしゃべらない自分だ。
 起きているときは、たぶん頭の中で無限に広がる蜘蛛の巣のような不安をひたすら追いかけているに違いないよ。近い将来から遠い将来のことまで、起こりうる可能性がゼロでないすべてのことを心配しているんだ。同時に、起こる可能性がゼロのことーー例えば過去の出来事で、その時はセーフだったことも、あのときこうしていたら大変なことになっていただろうと、わざわざ記憶を引っ張り出してきてまで心配し、不安で心を塗りつぶしているんだ。
 もちろん今の僕には少しはマトモな部分が残っているから、そんな最悪の事態が現実化する可能性は客観的にみてコンマ以下だろうと、心配するだけ無駄だろうと認識することもできている。だけどね、そういう自分のマトモな認識を信頼することができないんだ。最悪の事態が起こったときの自分の対処能力とか、自分自身への不安が根底にあるのだと思う。
 残業を終え、台所でひとり水を飲んでいたとき、そんなふうに過去のことまで不安の種にしている自分に気がついて、ああ、将来頭がおかしくなるんだろうなぁと思ったよ。

 2つ目の未来は、床の染みになっている自分だ。セルフネグレクトという言葉を聞いたことがあるかい? 言葉通り、食事や衛生管理とか、ゴミ捨てとか、生きるのに必要な自分の生活(自分の世話)さえできなくなった状態のことらしい。その状態が続くと、生きるのに必要なことさえできないのだから、待っているのは肉体的な死だよね。一人暮らしの場合は、死んだあと、肉体が腐敗したり腐敗を通り越して溶解したりして、ようやく、異臭によって、その人の存在を周囲の人に思い出してもらえるらしい。
 僕はいま、緩やかにその道をたどっていると思う。数年前までできていたことが、大好きだったことも含めて、だんだんできなくなっている。今はまだ体も動くし、お腹が空けば、何か食べようと動くことも3回に1、2回はできる。だけど、歳をとったのもあるだろうけど、医者に行く回数が増えた。自分の世話をしなかったばかりに回復不可能な壊し方をして、永遠に損なってしまった身体の一部分もある。仕事で疲れきって何をする気力も沸かないが故のものだけど、労災にはできないんだろうなぁと思うとちょっと切ない。
 床の染みになった時は、大家さんと管理人さんと清掃業者の方には特に迷惑をかけてしまうけれど、恨みとかは残さないので許してほしい。

 さて、3つ目の未来は、少し浮き浮きするものだ。それは、病院のベッドで寝ている夢だ。昏睡状態で長期入院しているのだ。
 私は寝ているときに見る夢が好きだ。最近は仕事の夢ばかり見るけれど、時々はとても面白い夢を見る。あまりに面白くて、半分覚醒してきたときはずっと見ていたいと思うし、目覚めた後も、時間があれば少しでも続きを見られないかともう一度目をつぶってしまうほどだ。
 だから、もし夢を見続けていられるなら、肉体が寿命を迎えるまでずっと昏睡状態で入院しているのも悪くないんじゃないかと思う。むしろ、ちょっと嬉しい。
 よく小説やドラマで昏睡状態の人間をどうにか目覚めさせようとする場面があるよね。SFチックな世界なら、その人の夢の中に入ってまで助けようとするとか、さ。その傍らには、このまま目覚めないほうが幸せなのかもしれないと呟くキャラクターもいるだろう。もっとその人の意見に耳を傾けるべきだね。いったい誰が、昏睡から目覚めて現実を生きることの方が幸せだと断言できるのだろう。何を現実とするかは、本人の認識次第だと僕は思う。
 人間は脳を通して現実を知覚する以上、現実は脳の中にあると言えるよね。起きているときに知覚する現実(物理世界)も、寝ているときに見る夢も、どちらも脳の中にあるのなら、現実(物理世界)も夢も、どちらも同じこと、同じ「現実」ではないかな。だったら、本人がより楽しいと思う「現実」を選んだっていいじゃないか。他者との共有可能性という点では違うけど、どうせ現実(物理世界)だって、同じ事実を見てもその解釈の仕方、つまり何が現実に起こったと認識するかは千差万別で、少しずつ認識(現実)はずれていくのだから、共有可能性の高低でだって、一概にどちらの「現実」が素晴らしいかは測れないと思う。

 閑話休題。この3つ目の夢にはもう1つ良い点がある。問題点ともいえるのだけど、それされクリアすれば実現しやすいという意味で、良い点だ。つまり、長期の入院費をどうやって賄うか、だ。例えばAIを使って、AI判断で金融投資をし、財産を増やし、入院費が自動引き落としされるようにすればどうか。(攻殻機動隊の「全自動資本主義」のイメージだ)この仕組みができれば、心置きなく昏睡していられるね。しかも病院にいるわけだから、肉体が死ねばすぐに病院の方が気づいてくれて、2つ目の夢のように関係各所に迷惑をかける前にしかるべき手配をしてもらえるだろう。葬儀代だってAIが管理する口座から引き落としてもらえばいいわけだから。
 そうして万事、準備が整ったあとは、誰か、僕に糸車持ってきて!


……さて、少し書きすぎてしまったかな。頭の中のキルケゴールの声が聞こえ始めたよ。すなわち、かような未来を想像する原因は己が絶望状態にあるゆえだ、ってね。僕は彼のことも好きなんだけれど、キルケゴールは絶望を3つの形態に分けたんだ。(1)自分が絶望していることに気づいていない状態、(2)自分が絶望していることに気づいて、そんな自分自身から逃れようとする状態、(3)自分が絶望していることに気づいて、自分が望む自分とは別の自分になろうとする状態だ。彼の思想について、素人ながら、少しでも解説めいた自分の解釈を伝えられれば、これを読む人にとって少しは益になることもあったかもしれないと思うのだけど、やはり書きすぎてしまったようだね。今日はもう筆を置こう。キルケゴールについては、問題は本来の自分自身とは何かということだけど、これはヘッセの思想に通ずるし、それは火の鳥 鳳凰編の我王に連なるものだと思ってる。……ああ、ごめんよ、良い加減にやめるよ。
 最後に一つだけ。上にあげた未来の可能性について、もしかしたら僕自身、嫌だとか、そんなことになったら無価値だとかネガティブな感情を持っていると思う方もあるかもしれない。けれど、僕自身は何とも思っていないんだ。起こりうる可能性として捉えているだけで、特に感情はない。感情が沸かないことこそ問題なのかもしれないね。キルケゴールに沈黙は危険極まりないと言われたから、できるだけ言葉にしてみようと思ったのだけど、あまりに自己意識が強すぎたかもしれない。その意味で僕はナルシストなんだろう。自分のことだけに精一杯で他者を省みる余裕がないんだ。
 こんな僕と長年の友人でいてくれるトクラ君、しの君に改めて感謝を表明し、今度こそ本当に筆を置こう。

(参考文献:キェルケゴール著、斎藤信治訳『死に至る病』岩波文庫、1939年)



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