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志村正彦と同い年になった

 今日は通院だった。

 わたしは、通っていた大学付属の病院に通院していて、若いころはーまだ十分に若いけれどーなんとなく、軽音サークルのみんなを思い出したりして、センチメンタルになっていたものだ。

 時は流れ、29さいになった。

 軽音サークル時代大好きだった、フジファブリックの志村正彦さんは、29さいのクリスマスイブに逝去した。

 わたしが志村さんを知ったのは彼がなくなってから出たアルバムのmusicだったから、何となくまだ彼はどこかで生きているんじゃないだろうか、と思ってしまう。

 ギターバックを背負って、多摩川沿いにでもいるのではないかと思う。

 彼の功績をたたえるのと死を悼むためなのか、彼の地元の富士吉田市では、夕方五時のチャイムがかのsuisさんもカバーした若者のすべてだったり、茜色の夕日だったりするらしい。

 2回、長野から車で運転して聴きに行った。

 さすがに7年近くたってくると、全てが過去になってくる。

 大学の近くを通った時の感傷もなくなった。

 志村君、わたしの29さいはこんなものだよ。

 志村君はどうしてるのかな。

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