【もはや芸術】願いと欲望と罪と罰を表現した名作:サイレントヒル2②
こんにちは、椎名花です。この記事はサイレントヒル2のオチを知っている方だけにぜひ読んで欲しいです。
なぜならば、サイレントヒル2はこの記事のためにあるのではなく、この記事はサイレントヒル2のために存在するから。
はじめに
この記事はパート2となっています。
よかったらこっちも遊びに来てください
こちらでは、サブキャラクターについての考察をしました。
今回の主役は、主人公のジェームス=サンダーランドです。
不親切な人物紹介
ジェームス=サンダーランド
本作の主人公。3年前に亡くなった妻、メアリーから届くはずのない手紙を受け取り、会いたい一心でサイレントヒルを訪れ、危険に会いながらメアリーが待っている場所を目指す。
メアリー
3年前に病気で亡くなったはずのジェームスの妻。サイレントヒルにジェームスと訪れ、宿泊したことがある。
マリア
ジェームスの前にサイレントヒルで突如現れた女性。メアリーに瓜二つだが服装やメイクはとても派手。雰囲気も家庭的なメアリーとは対象的にどこか色香が漂っている。三角頭のクリーチャーに何度も○害されても再びジェームスの前に現れる。
三角頭のクリーチャー
身の丈ほどの鉈をもって各所に現れるクリーチャー
ジェームスの罪
もう、最強のネタバレしますね。この罪はわたしも背負わねばならない。
ジェームスの罪は
愛する人を看病に疲れて自分のために○害してしまったこと
しかし、ジェームスはそのことを忘れてしまったようです。
心の底ではその罪が裁かれ、罰をうけたかったのかもしれません。
そして罪から解放されたかった。
それが願いだったのかもしれません。
これは本当に推察にすぎませんが
その願いに呼応して、メアリーからの手紙が現れたのかもしれません。
そして、彼は、サイレントヒルで、メアリーを探すことによって
自分の罪を認識していったのかもしれません。
自分の価値観からすると
「いじめ」は加害者と被害者という構成で成り立っています。
しかし、いじめが罰せられるには第三者、裁くことのできる存在が認識しなければならない。そこでやっと罰が生まれるのです。
つまり、罰さえなければ罪は生まれないのです。
だから、ジェームスは第三者に罰を与えられて解放してほしかった、裁かれて罪を認識して欲しかったからサイレントヒルに行ったのではないでしょうか。
やさしい、理性的な印象のあるジェームスですが、根底にいるのはメアリーへの愛ではなかったのかもしれない。それがさらに自分を苦しめていたのかも。
ジェームスの罰
ジェームスは罰を与えられたかったと記述しました
それがジェームスを危険にさらすクリーチャーたちだったのではないでしょうか。
そして、マリアと三角頭のクリーチャーの存在は特に欠かせない存在です。
結論から言うと、
マリアはジェームスの罪で、三角頭のクリーチャーは罰を表しているのでしょう。
サイレントヒル2~最期の詩~の番外編のタイトルはBorn From A Wish
つまり、この英検三級の頭脳を持つ私が翻訳するに
「願いから生まれる」
しかし、マリアはジェームスの欲望から生まれたのでしょう。
私の価値観で言えば、欲望と罪は地続きだし、願いと欲望だって地続きです。
だから、「メアリーとずっと一緒にいたい」という願いが現実によって「健康な"女"でいてくれるメアリーが欲しい」という欲望にシフトしてしまったのでしょう。そして、それはメアリーではない。
だから、ジェームスに、
罪と罰を受けたい気持ちがある限り、
尽きない欲望がある限り、
サイレントヒルは三角頭のクリーチャーを生み出して、
マリアをジェームスの目の前で○害し、裁くのでしょう。
たった一つの思いを貫く難しさ
欲望があることは悪だとは思いません。
ただ、我々人間が文明社会で理性的なふるまいを求められる以上、
生物として備わった欲求――食欲、安全・安心を得たい欲等――をかなえるための願いが
わき道にそれて願いをかなえる手段にこだわってしまうと、それは欲望にシフトしてしまうでしょう。
だから、誰だって、ジェームスにだってアンジェラにだってエディにだってなってしまうのです。
誰だって、安全な場所で安心したいと、一つでいいから安らぎが欲しいと願っているのではないでしょうか?
そして、それをかなえるための手段だったものが現実の厳しさによって目的となり、手軽に満たせるからと言って欲望に染まっていくことはいくらでもありませんか?
……私をいじめた上司たちは滅びろ
生きたいように生きてほしいのズレ
メアリーの手紙が水底をバックに流れる絵面の美しさと
これまでの体験の積み重ねと
メアリーの手紙の、疲れ果ててもう口から出す言葉では
伝えられなくなってしまったであろう心の底を綴った愛に
思わず涙ぐみそうになります。
そして、メアリーが愛するジェームスは
メアリーに会い、メアリーと一緒に、、、、、
生きたいように生きてほしい
この言葉はメアリーにとっては本当にそのままの意味だったのでしょう。
申し訳ないと、もらいすぎたと、本気で思っていたのでしょう。
なのにメアリーはジェームスになにもあげられなくなってしまった。
私の価値観ですが、私にとって
欲しいのが恋
あげたいし、あげることでもらっているのが愛
メアリーは、
お互いに疲弊していく介護生活の中で
夫婦という、お互い対等にあげたり、もらったりする関係が崩れてしまったと
それでもジェームスを愛していると、ジェームスが一緒にいてくれたことが幸せだったと
苦しみの中からこんなにやさしい文章を書いたと思うと涙が止まりません(感想やんけ)
幸せは丸裸にすれば、「生物としての欲求」で出来ているのでしょう。
そうだったとしても、メアリーの幸せは、とても儚くて優しい。
身の安全を奪われ、心の安心を失い、それでも、ジェームスになにかあげたいと願った。そんな中で幸せを見出せた。
だから、メアリーは、自分が
ジェームスにあげられるたった一つのこととして
生きたいように生きてほしい
と願った。
そんな思いと裏腹にジェームスは深く水の底で、
願いをかなえるのでした。
"自分が害したメアリー"とともに。
メアリーの死は
メアリーにとって、ジェームスの心身を解放するという願い
ジェームスにとって、裁かれるべき罪、そして、罰を与えられ解放されたいという願い
結論が同じ願いでも
自分に向けるのか、
人に向けるのかで全く違います。
それこそがジェームスの罪だったのかもしれない。
「ぶっきらぼうで、あまり笑わない、短気なところもあるジェームス」は誰かを害してまで幸せになるには優しすぎた。
メアリーから見たジェームス
ジェームスから見たメアリー
メアリーから見たメアリー
ジェームスから見たジェームス
これをお互いに話せていたら、また別のお話になったのでしょう。
終わりに
なんかかなり私情の入った考察とも言えない何かになってしまいましたが
ここまで読んでくれてありがとうございます。
いいゲーム、という枠を超えて、もはや芸術といえる体験でした。
サイレントヒル2がメッセージ性の追求をしながらもホラーゲームとして商業的成功し、シリーズの顔になったこと、令和になってもコラボレーションがあるデザインのレベルの高さに一創作者として、
拍手を送らせてほしい。
ありがとうございました。