鼻の中の赤ちゃんはジャズを聴かない
耳鼻科に行きまして、鼻に細いカメラを入れてきました。
はじめての体験だ。やった!
毎日楽しそうな4歳娘をみていると、何もかもが新鮮ではじめての体験がたくさんあるのが羨ましいなって思うけど、今日はとうちゃんもやったぜ。
ところでなんで耳鼻科に行ったのかというと、嗅覚が弱い気がしたからだ。
奥さんが横で「めっちゃ唐揚げの匂いする〜」とか「金木犀の香りっていいよなぁ〜」って言ってても、ぼくは「? え、うん、いいよなぁ」とか曖昧に返す。
あんまり匂いわかってない。
ぼくは世界を四感でしか見ていないかもしれない。
「損してるのでは!?」
という気持ちと同時に、
「これから『感』1個増やせるの!? 世界の見え方変わっちゃうどうしよう!」
というワクワクする気持ちもある。
というわけで耳鼻科にいった。
まずは鼻にスプレーと、なんか棒を軽く入れることをされたあと、先生が黒くて細くて長い管を構えた。
あ、それを入れるんですね。長いですね。全部いれるんですかね。大丈夫ですかね。麻酔とか……しない感じですよね。
流れるような所作で鼻腔にカメラを挿入してくる先生。
なんだろうこの、粘膜に異物を挿入されるときの痛みとは異なるなんともいえない不快感。
もし鼻腔が赤ちゃんだとしたら、「へえええええん!」と泣いてる感じがする。
赤ちゃんが泣くときの「うまく説明できないけどなんか不快!」って気持ちが鼻腔から生まれている気がする。
痛い、気持ち悪いというより、悲しい。
これは「悲しい」だ。
鼻の穴に細長い管をつっこまれると、悲しい。
新たな発見だ。やったぜ!
ただまあ不快なことには変わりない。
両方の鼻の穴が悲しい気持ちになるのが終わるまで、目をつむって、ゆっくり呼吸をして耐えた。
深呼吸は便利だ。
ゆ〜〜っくり呼吸するときって、リラックスしてるときなので、意識的にそれをやることで、脳をバグらせることができる。
脳を「いま悲しくないよ、気持ち悪くないよ。ジャズとか聴きながらソファに腰掛けて読書してるんだよ」と錯覚させることができる。
意識の中で、鼻腔から生じる悲しみと、ソファでリラックスしている気持ちとが衝突する。
どっちが勝つとかはない。どっちも同時に感じた。
ジャズ聴きながらソファでリラックスしてるときに鼻にカメラ突っ込まれた、みたいな新しい気持ちが生まれただけだった。
「リラクしみ」と名付けた。
リラクしみは1分足らずで終わったので、さらに掘り下げることはできなかった。
診察が終わると「お大事に」という言葉と処方箋をもらって、医院を後にした。
薬局で薬をもらって帰宅すると、耳鼻科受診経験のある4歳娘が、先輩風ふかしてニヤニヤしながら、
「とうちゃん、じびかいってきたんやろ? いたかった?」
というので、
「ん? いや、痛いことはせんかったで。こぉーんな長い棒、鼻に入れたけど、平気やったで」
と言った。
娘は想像したのか「うえぇー」みたいな顔をした。
耳鼻科を楽しむことに関してはとうちゃんの方が上。