もはや予備動作なしで放つタイプの奥義
ぼくは出張コーヒー屋というのをやってるのですが、イベント出店で繋がった人と喋ってて、こう、
「娘がね、めっちゃバンド好きなんですよー」
「へぇー、ぼくもめっちゃ好きですよ。ライブとか良く行きますし」
みたいな会話をしてですね、で、
「今度また出店一緒ですけど、そのときあたし用事で出れないんで、娘が代打で行くんですよー。ぜひ熱くバンドトークしたってくださいよ」
「はい! ぜひ!」
って答えたんですよね。
で、こないだ、またイベント出店でコーヒー屋をおこなって、そのとき、その、バンド好きな娘さんが来ていた。
ここで、成り立つのはですね、「お互いバンド好きなこと知ってるけどまともに喋ったことはない」というスターティングポジションから始まる一本勝負である。
あの、会話ってむずくないですか? ぼくは常々、会話ってむずいと思っている。いや別に、会話が困難で人と喋るのが苦痛とかそういうアレでは全然ない。むしろ、世のほがらかに他者と会話せし人々をすげぇ~と思っている。
なんなの、どこで訓練したの? 試験いつあったっけ? って思う。だって、あの、肺から適切な量の呼気を放出しつつ、喉を任意のテンションに張り、舌と顎とくちびるを連動させて音声を出して相手や空気に合わせた言葉を紡ぎ、それを組み合わせて、「お話」という現象を顕現せしめ、表情で意味の色合いを調整し、相手にぶつけ、受け取った相手は、音声と言葉の意味と組み合わせと相手の表情と声色と抑揚などから、意味や意図を認識し、適切な返答やリアクションを瞬時に構成して、また返す。
当たり前にできねーわ! やってるひとすごいな! タツジン!!
まあ、ただ、ぼくも、おとなだ。音声言語を日常的に使って社会生活をおくっている。超高度な演舞の応酬めいた「会話」というおこないは、ぼくにも可能だ。
ただそれには、流れがいる。すでに動いている流れがあって、その流れに合わせた言葉を選び発することならできる。
流れというのは例えば、こう、人とぶつかりそうになって「あっすみません」「あ、いいえ、こちらこそ。すみませんでした、急いでいて前がみえていなくて」「ちなみにどちらに向かってたんですか? このへんなら土地勘あるのでご案内しますよ」
とかそういうアレだ。
アクションから自然と言葉が生まれる。
「動」からは言葉が生まれやすい。
しかし、お互いバンド好きなのしってるけどまともに喋ったことがなく、お互いがお互いの分野でイベント出店をしている状況では、「静」だ。
イベント出店しているという状況自体は、イベント出店についての会話をする分には「動」だけど、バンドに話しをするぶんには「静」だ。出店内容とかイベントとか、バンド関係ないもの。
なのでバンドの話を持ちかけても、状況がともなっていなくて突然な感じがするから、あらかじめ相手の表情や空気から会話の構成を準備しておくことができない。助走できてないから、口火を切った段階のぎこちなさを勢いで突破することが難しい。
それができるとしたら、行住坐臥つねに備えている――いや、備えている認識すらないのに備えていることになっている、そういう領域のタツジン級スキルだ。制止していながらにして超音速。そういうアレだ。
なので、まあ、まともに喋ったことない人とバンドの話で友だちになれたらいいなみたいな気持ちはあるけども、機を待つ。そして、もし機がおとずれなかったらそれは仕方ないことだ。
――と思ってたらおもむろにあっちから歩いてきて、
「あの、バンド好きなんですか?」
って言われて、うおお!?ってなった。流れ、予備動作とか、そういうの無く、「起こり」が認識できないゆえに効果的な、伝統武術の基本動作にして極意である必中の突きめいて、いなすこともままならないまま(いなすな)まともにクらった。
タツジン!!
まあ、会話は弾み、楽しかったです。
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