わからないけどわかる言葉(BUMP OF CHICKENライブ感想のようなもの)
ライブに行くと思っても無い感情になったり、忘れてた記憶が叩き起こされたり、なにかが起こる。
バンドのライブって楽曲がメインだ。
で、楽曲って聴く人の生活とともにあって、聴く人の数だけ意味や記憶でデコられる。
だから、ドームを埋める3万人が同じタイトルの曲を聴いても、それは全部違う曲だ。
ライブ中、いろんな感情や記憶がうずまく中でそのことを思ってゾクっとした。
会場への入場時に配られるPIXMOBなる遠隔電子制御LEDブレスレットがある。
ドームを埋める観客全員が装着しているので、ライブ中の演出でこれが光ると、満点の星空みたいな景色になる。
この光の粒ひとつひとつが人で、耳があって、楽曲を聴いて、なにかを想っている。
3万人それぞれの、子どもの頃の思い出とか、懐かしい友だちのこととか、飼ってたペットのこととか、なんかいろいろ。
この光の粒は、夜景だなと思った。遠くに見えるマンションの窓の灯り。
ライブに行くとなにかが起こる。
BUMP OF CHICKENのライブでは、妙に自分や他人の人生のことに意識がいく。
なんでだろう。理由のひとつは歌詞かなぁと思う。
歌詞ひとつひとつに明確なテーマやメッセージはあるのかもしれないけど、すごく自由でもあると思った。
言葉の用法やつながりとしては不自然だけど、なんとなくわかる。
こどもが知ってる言葉でなにかを一生懸命伝えようとしてるような、ついこちらが「こういうことかなぁ」と思いを巡らしてしまうような歌詞がたくさんある。
そういうわからないけどわかる言葉の使い方が、BUMP OF CHICKENの楽曲の歌詞にはたくさんある。
痛みに対して「大丈夫だ」と言う。
痛みを感じるから大丈夫ってすごいと思う。この曲のここ聴くたびに泣きそうになる。
景色にリボンをかけるっていいな。
うちの4歳娘は楽しかった思い出を宝物のように胸にしまって、ことあるごとに「ねぇねぇ、きのうのきのうさぁ」ってお話してくれることがある。
ただ大事な思い出ってだけじゃなく、誰かにとどけたいキラキラしたものって感じがする。
あくびを自転車に乗せる。選ばれた輝き。
動詞として間違ってるのに景色が一発で浮かぶ。
でもこのとき浮かぶ景色はみんな違うんだろうな。
なんかこういう、ただの日常のある瞬間に、急に景色の解像度があがることってある。
そしてなんでかわからないけど、そういうときの景色ってずっと覚えてる。
こどもの絵日記のような断片的なイメージ。
細かいことは覚えてないけど、妙にそこだけ覚えてることってあるよなぁ。
ことばの圧縮。
印象をそのまま言葉にしていいんだ。
歌世界だからこその表現だなぁ。あの音と声とリズムだからこそ。
文法としては間違っているけど、間違ってない。それで伝わるから。
伝わらなかったとしても、圧縮したそこに何かあることがわかるし、圧縮してるからこそ「瞬間」を歌ってるとわかる。
ちゃんとした用法じゃないからこそ、こどもの目でみたような瑞々しさがある。
だからいろいろ引き摺り出されてしまう。
BUMP OF CHICKENのライブでは、そういうことが起こる。