文章書くことラバー語り
最近、自宅にいる時間が多いので、YouTubeをよく見ている。
よく観るのは、目的意識の強すぎない、日常や趣味について淡々と、ときに適度な加減のおかしみを交えつつ、穏やかに眺めていられる系の動画です。主に、ひとり飲み動画とか、自転車やカブでひとり旅する動画とか。
そういった、良い意味でなんでもない動画をみていると、自分もやってみようかな、という気分になる。
自分のなんでもない日常や趣味のムーブも、穏やかにただ眺めるには悪くない、と人に思われるようなものなのかもしれない。
しかし、ぼくの持ちキャラならぬ持ち表現は「文章」である。それが得意とかそういうことではなく、そう決めた。それを愛そうた決めた。
でも、動画って音と映像だし、設備投資や撮影テクとかのハードルはあれど表現の格としては、文章より上なのでは……というと全くそんなことは無いと思っている。
ご存じの通り文章というのは森羅万象を表現することができる媒体だ。
例えば、バイクでひとり旅するときの空気の匂いや風景の鮮烈さ、車線変更のドキドキ、目的地にたどり着いたときの安堵感と達成感を、臨場感をもって伝えようと思ったときに、そういう動画をみると、それが最適なように思う。
ただ、別に文章でも表現できる。できないとしたら、単純に文章力の問題であって、手段は全く関係ない。
世の中には、平松洋子さんのエッセイのように、読むだけで良い名画を観た後に思いがけず入った店で食ったことない餃子を食べた気分になれたり、行ったこと無い銀座の老舗中華屋の素朴なのに奥深い麻婆豆腐に出会ったときの嬉しさに浸ったりできる文章もあれば、飛浩隆さんのSF小説のように、文章によって、数百倍に拡張された嗅覚で目には見えない生命の闘争を視ることができたり、超常の聴覚を持つ怪物同志のピアノ調律と演奏による殺し合いの渦中に身を置くことができたりする。
文章で表現できないものは無い。わけがわからないレベルの文章の巧者は、脳に直接イメージをたたき込んでくるので、ほとんど魔術師だ。
おうち時間に、良い文章を。
ぼくがやるとかじゃあないんですが、動画繚乱の世にあって、文章書くことラバーズ各位に、いいぞ、そのままもっとやれ! やってください! と言いたい。
とりあえずぼくは、アラサー女子がカブでひとり旅する動画を観るぞ。奥さんとごはん食べてるときのご相伴にYouTubeはサイコーなのだ!!
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