【2日目】不要不急
令和2年年4月20日。
当時、日本いや世界ではコロナという感染症の大流行により、ロックダウン、外出自粛、自宅待機、休養要請などという言葉が飛び交っていた。
ついに東京都や大阪都(旧大阪府)や京都府などの都心部だけではなく、日本全国に緊急事態宣言というものが発令され、外出の自粛が日常の光景となった。
そこで、不要不急の外出についての線引きに度々論争になっていた。
当時の私は自宅待機を命じられ、スーパーへの買い物以外は自宅で過ごしていたのだが、唯一それ以外で外出しなければいけないケースがあった。
それは、、、歯医者。
私は神経の根幹治療という治療に通っており、途中で中断するわけにはいかない状況。
仕方なく歯医者に向かったのである。
しかし、そこで事件は起きた。
治療前に担当医に名前を呼ばれ、別室に連れて行かれた。私は「なぜ。今日は別室なんだ。」と動揺して、心の中のピンポン玉が左へ右へと飛び回っていた。
内容は、外科的な施術が必要であるということを言い渡された。
当時は、今でいうインプラー(当時のインプラント)は、保険適用外のため、かなり初歩的な治療しか叶わなかった。
しかも、提示された治療では、根本的な解決にはならず、多少の延命にしかならない。時間を稼いでその間にインプラーの資金を貯めるよう勧められた。
仕方なく、その案に合意した。
そして、帰り道にうどん屋で、一杯のうどんをすすって帰路に着いた。
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