読書(リーディング)とスクリーニング(画面を読む)、紙の書物と電子書籍
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー 著, 服部桂 訳, NHK出版を読んで思ったこと。
第4章「SCREENING スクリーニング」において、「画面で読む」(スクリーニング)という考え方が出て来る(同書 p.119)。ここで書かれているように、従来の紙の書物における読書(リーディング)と比べて、私達を取り巻く様々な画面(テレビやPC、スマートフォン、VRなど)における新しい活動、
ページ上の文字を読むばかりでなく、いまやわれわれは、ぶつ切りに浮かび上がるミュージックビデオの歌詞や、下から上へと流れていく映画のエンドロールの文字も読んでいる。VRのアバターのやり取りの吹き出しや、ビデオゲームの登場物に付けられたラベルをクリックし、オンラインの図形に出てくる言葉を解読する。 (同書p.119)
を今では当たり前のように行なっている。
街中では本を読む人よりもスマートフォンなどのデバイスを用いてスクリーニングをしている人の方が多い。また、スクリーニングしているコンテンツも多様であり、Webサイト、電子書籍や上記で引用した内容を含め、従来の文字を読むというだけでなく、動画(Youtube, TikTokなど)や画像(Instagramなど)、音声(Audible, SPOON)など、もはや、文字を読むよりも体験に近い方法で知識を得たり、楽しんだりすることが当たり前のようになっている。
こうした中で、紙の書物、そして、電子書籍はどうなっていくだろうか。このことについて、両者の関係は「模倣か、それとも進化か」という点から、少し思ったことを書いてみたいと思う。
今、電子書籍を読むとしたら、Kindleなどの端末やスマホ、タブレット、あるいはPCを使うだろう。これらのものでは、板状の端末でスライドやタッチなどをするだけで、紙の書物のようにページをめくっていく(あるいは、動かしていく)ことができ、実際にページをめくっていくように感じられる工夫がされているものもある。また、Kindleなどの電子書籍用端末では、電子ペーパーによって紙の書物のような表現がなされている。最近では、漫画本を読む体験を忠実に再現した端末もある。
また、ケヴィン氏は、同書において現在一般的な板状の端末だけでなく、以下のような電子書籍についてもイメージしている。
しかし、電子本が板状である必要はない。Eインクの紙はこれまでの紙のように、安価で曲げられ、薄くてしなやかで使いやすいものにできる。それを100枚ほど束ねて、背表紙を付けて、素敵な表紙を付けることだってできる。そうなれば電子本はまるで古くからあるページが詰まった本のようになり、おまけにそのコンテンツを変えることができるものになる。(中略)よくデザインされた電子本は、鞣されたなめらかなモロッコ革で装丁され、手に馴染んで持った感覚にも優れ、非常に薄くてつやつやしたページでできていて、買う価値のあるものになるだろう。きっといろいろなコンテンツに合わせて、いくつか違うサイズの電子本を持つようになるだろう。 (同書p.122,123)
だが、いくらEインクが高精細になり、また、電子ペーパー技術が向上し本物の紙の手触りを再現できたとしても、それらは結局のところ紙の書物の代替でしかなく、書物を模倣して作った電子(化した)本という立場以上のものにはならないのではないだろうか。そうした中で、電子本vs紙の書物という対立した構造で見ても、出てくるのは昔と変わらないような議論だけなのではないだろうか。
では、電子本が進化するとはどのようなことだろうか。
その1つが、これからますます情報が溢れかえる中で、本というもの、読むということが私達にとって変わっていく中で、いつも寄り添ってくれるような新たな読みをサポートする媒体ではないだろうか。これは、最初に述べたことと同じ様な話になるかもしれないが、いま私達が読むのは紙のページの上に書かれたものだけではない。さらに、文字を読むだけが「読む」ということではなくなってもきている。こうした中で、紙(と書物)によるこれまでの読みももちろん重要ではあるが、一方で、多様な読みを支える1つの媒体として進化していく(あるいは、生まれ変わっていく)ことが、電子本の未来の姿の1つになるのではないか。
未来の”電子本”は、溢れかえる情報の中で私達の「読み」を、その変幻自在な姿をもってサポートする役割を担うようになる。電子本はいかなる状況でも、いつでも呼び出せる。つまり、私達の側にいる(あるいは一体化しているとも言えるのかもしれない)。一方で、未来において紙の書物は、凄まじいスピードで流れる情報の中で私達に寄り添い、一休みをさせてくれるような存在として読み続けられる、そして、側に置かれ続ける。両者はどちらもそれぞれを補うようになり、両者は混じり合い、本というものはより広い意味でいつも私たちの側にいてくれるような存在になっていく。
そんな風になっていればなと思う。