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物理好きの学生が『銀河鉄道の夜』を読んで衝撃を受けた話
1年秋、相対性理論の授業は
まるで子供の頃に親に連れられて行ったむつかしい美術展のようでした。
きれいだけれど、数学(テンソル)が難しく、きちんとわからない。
そんな中、登下校の電車で気晴らしに宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読み始めました。
驚きました。
そこには科学が息づいていたのです。宮沢賢治は科学を詩に昇華して、手で触れて肌で感じられるものにしていました。
“ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。”
例えばこの「銀河の水」。これは単なる幻想的な表現ではなく、19世紀の科学理論─エーテル理論を思わせます。
かつて宇宙は「エーテル」という謎の流体で満たされていると考えられていました。
このエーテルは、光を伝える媒質であり、世界の中で絶対的に静止していると考えられていました。
賢治はこの流体のイメージを、天の川の水に結びつけたのだと思います。
ところでエーテル理論は、20世紀初頭のマイケルソン・モーリーの実験によってその存在の必然性を否定され、やがてアインシュタインの相対性理論が登場します。
(詳しくはこちらが参考になります。)
実は、『銀河鉄道の夜』には、相対性理論に基づいた記述もたくさんあります。
例えば、物語の舞台は作中で「幻想第4次」と呼ばれていますが、
これは「ミンコフスキー空間」、
すごく簡単に言うと3次元空間に4次元目として時間軸を加えたもの
を表していると考えられます。
つまり宮沢賢治は
古い理論の詩情を汲み取って、新しい理論に基づいた世界とくっつけることで、科学的かつ空想的な世界を構築した
というわけです。(天才)
さらに面白いのは、この節ででてくる「銀河の水」は、化学物質のエーテルをも連想させる点です。
この物質はよく有機実験で用いるのですが、
水よりずっと沸点が低く、
手についても、ついたのかわからないうちに蒸発していってしまいます。
しかし、少しだけひんやりする感覚は残るのです。
“それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。”
この一節は、
確かにそこにある(あった)んだろうけれども、視覚にも触覚にも直接現れない
そんな不思議で儚い性質を表していて、とても美しいと感じます。
幼い頃何気なく読んでいた宮沢賢治。しかし改めて向き合うと、文理の垣根を本当の意味で超えて、科学と詩を結びつける視点の鋭さに圧倒されます。