#あるスノーボーダーの物語 第2章〜人生のライン

コウスケは都内の不動産会社で働いている。
それなりに給料はいいが、物件を右から左へ流すだけの、何かを生み出しているとは言い難い仕事にどこか虚しさを感じていた。
その隙間を埋めるように小さな家庭菜園を借りて、野菜を作っている。

一時期やりこんでいたスノーボードもすっかりやらなくなっていた。
それでも冬が近づくと気分が高まってくる。
なるほど、おれはまだ、とコウスケは思う。
おれはまだまだスノーボーダーなんだな。

・・・・
コウスケが籠もっていた20年以上前の苗場は、熱気に溢れていた。
スキーバブルは終わり、一時期の異常な流行は過ぎていたが、それと入れ替わるようにスノーボードが流行し、創成期の有名ライダーたちがハーフパイプやビッグキッカーで飛び回り、雪上でもベッド上でもブイブイ言わせていた時代だ。
甘い蜜に群がるハチのように、多くの人々が苗場には集まった。

その中でも籠もり組は多様だった。ライダーを目指すやつ、出会いが目当てのやつ、特に目的なく来たやつ、草を吸ってるやつ、バイブスのある場所に人は集まる。
コウスケは、ガチ勢といえばガチ勢だったし、人生の目的がないといえばそうだったかもしれない。
夏にはニュージーランドに滑りに行き、年間滑走日数は200日を超えた。
様々な人の人生とも出会った。
間違いなく、スノーボードが人生の全てだったし、スノーボーダーという人生を生きていた。

・・・・
あの時の経験は宝物だ。
改めてコウスケは思う。おれのDNAにはスノーボードが刻まれている。
すっかり滑る回数は減ってしまったけれど、土手の壁があれば登りたくなるし、公園の手すりではテールスライドする自分をイメージしてしまう。
ライスといえばトラビスだし、イグチといえばブライアンだ。

一方で、当時のようなこだわりは年齢と共に無くなっていた。飛べないスノーボーダーはスノーボーダーじゃないとか、キャピタの板でカービングなんてダサい、とか思っていたが、今ではなんでもいい。
滑っていればスノーボーダーだし、なんなら滑らなくても自由なマインドさえあればスノーボーダーだ。

今週末は家族でスノーボード旅行に行くことになっている。ここ数年は、年に1-2回のこの旅行がコウスケが滑ることのできる唯一の機会になっていた。
でも、それでコウスケは満足していた。愛する妻と最愛の娘。家族との時間が今はなによりも大切なものだ。
おれの人生はすっかり普通のライン取りをするようになってしまったな。
だがしかし、普通でなにが悪い。特別じゃなきゃいけない、そんなこだわりも無くなっていた。人生もスノーボードも同じだ。

眠そうな娘をゆすり起こし、レンタカーを借りてスキー場へ向かう。
関東でも屈指の規模感とコースバリエーションのあるスキー場だが、その広さもあってか穴場的に空いているスキー場だ。

キッズエリアで娘のソリ遊びに付き合いながら、夫婦交代で滑りに行く。娘が楽しそうに雪遊びをしている姿を見て安堵する。スキー場に行きたくない、なんて言われたら最後だ。とにかく、楽しんで欲しい。そして、その笑顔を見て幸せを感じる。

久しぶりの滑走はやはり最高だ。板のチョイスはCAPITAのホラースコープ。当時のように上手くなろう、なんて気持ちは全くなくなり、ただ純粋に地形と雪質とスピード感を楽しむ。時折、ギャップで飛んでグラブをしてみて、密かな自己満足感を得る。トゥイークは腰を悪くしそうだからやめておこう。

お昼になり家族でランチへ向かう。
ゲレンデの中に突如、昭和の居酒屋が現れたような外観の食堂だ。
2年前にこの食堂を知ってから、コウスケはここを大層気に入っていた。名前をお祭り広場という。

食堂内は賑わっていた。昼から生ビールやワインのボトルを開ける中高年の仲間たち、大学のサークルと思われる若者たち。ここには当時の苗場の熱気と似たものが残っている。

「シンジくん、私を置いて滑りにいっちゃうんだもん、びっくりしたよー」
若いカップルの声が聞こえる。あいつもイケてるスノーボーダーだな、コウスケは苦笑する。スノーボーダーは自由でバカなんだ。

おれはこれからも、とコウスケは思う。
これからもおれは、冬が来る度に気分が高まり、新しいギア情報をチェックし、板のデザインにあーたこーだ言い、ライダーの移籍話に興奮するだろう。
この先一切滑らなくなっても、おれはスノーボーダーとして生き、自分の人生のラインを刻んでいく。
おれくらいになると、滑らなくても滑れるんだ。

「パパ―!聞いてるー?」
くだらない妄想から我に返り、目の前の最愛の家族と乾杯をした。

ー第2章完ー

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