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noteの読みやすさ/最後まで読んでしまう仕掛け

yutura(ユーチュラ)というサイトがある。
YouTubeに関するランキング&ニュースサイトだ。

興味のあるYouTubeチャネルを検索すると、登録者数や再生回数などの様々な数値を見ることができる。

最初の頃は、自分のチャンネルを検索しては「ほほぅ、こんな感じなのか」と数字の上がり下がりに一喜一憂していた。

けれど、少ししてから、ユーチュラさんの真骨頂は毎日数本ずつアップされるニュース記事にあることに気づいた。

中の人の力量が素晴らしく、場合によっては数十分にも及ぶ動画の内容を「よくもまあこんなに上手く」と思えるような文章に過不足なくまとめてくれている。

炎上騒動などは、その1本の動画だけでなく、過去の動画が火種となって最終的に炎上にまで至ることがある。こういった場合は、過去の経緯を知らないと「何がなにやら」といった状態になってしまいがちなのだが、ユーチュラさんは過去の出来事も交えて説明してくれるのでとてもわかりやすい。

何も知らないまっさらな状態でも、ユーチュラさんを読むだけで、YouTube界隈の出来事をざっくりと追うことができる。

あまりに優秀なサイトだから、野次馬精神に満ちた 勉強熱心な私は毎日のようにこのサイトをチェックするようになった。

のだけれども。

ある日のことだ。
たぶん11月の半ばくらいだったと思う。

スマホでユーチュラさんを見ようとしたら、いきなり四角い枠が画面中央に現れた。

な、なに!?

驚いて、よくよく見てみたら広告だった。
その四角い枠の後ろには、いつものようにユーチュラさんのコンテンツがうっすらと見えているから、尚更その広告の邪魔さ加減が際立って、少しばかりいらつく。

画面の端っこをタップすれば消えるかな、と思ったら、消えない。

もう1度広告を見る。
四角い枠の中央に小さい「×」があるのを見つけた。どうやらこれを押すらしい。

押した。
広告に飛んだ。嗚呼。

もう一度ユーチュラさんの画面に戻って、にっくき広告の中央をまじまじと見つめた。確かにそこにあるのは「×」印だ。もう一度、けれども今度は慎重にその「×」をタップする。

消えた。勝った。

と思ったら、今度は画面下部から、広告がすすっとせり上がって来た。下部1/5くらいまで来たと思ったら、そこでピタッと止まった。

画面をスクロールしても動かない。広告はずっとそこにある。貼り付いている。

広告のせいですっかり表示範囲の狭くなってしまったユーチュラさんの画面を眺めながら、私はこれからもずっと「ユーチュラさんが好き♪」と言い続けられるのかな、とちょっと不安になった。

思えば、かつてgoogleのAdSense広告は1ページに3個までという厳格なルールがあった。うっかり3個以上貼り付けてしまおうものなら、googleから「違反してますよね」とメールが来た(らしい)。

コンテンツと間違えるような配置はしちゃいけないとか、広告の上には「スポンサード」の記載を必ずしなくちゃいけないとか、それはそれは厳しいルールがあった。

あまりに厳しいものだから、1ミリの曇りもない気持ちでもってサイト運営をしていても、ふいにgoogleから違反警告メールが舞い込むことがあった。

どこがどう違反しているのか書かれていないものだから、あれかな、これかな、と想像に想像を重ねてサイトを修正し「直してみましたがどうでしょう」とgoogleにお伺いをたてると「まだダメです」と容赦ない返事が返ってきて、そんなこと言われたって、どこがどうダメなんだかわからないよ、どうしたらいいのよ、そんなこと言うならもう一層のことサイトを閉じちゃおうかな……、いや、そんな短絡的なこと考えちゃいけない、頑張れ、頑張るんだ……。

みたいな迷走を延々と続けた記憶がある。

あれから時は流れて。

1ページに広告3個のルールがずいぶん前になくなった(と理解してます。気になる方は一応確認して下さいね)。

さらには自動広告タグなるものがリリースされて
「このタグをサイトに貼り付けておいてくれたら、こっちで勝手に広告配信するよ。一番効果的な場所に配置するから、あなたは何もしなくていいからね」
とまで言ってくれるようになった。

その言葉を信じて自分のサイトにタグを貼っておくと、時として信じられないくらいの強引さでもって広告を表示して来ることがある。

「いや、さすがにそれはないだろう」
と思って、自動広告タグをはずそうかと考えたことも1度や2度ではない。けれども、手動で広告配置することの面倒さと、googleがこれが一番効果的と言ってるんだから「まっ、いいか」の気持ちとが合わさって、結局そのままにしている。

ユーチュラさんがこの自動タグを使っているのかどうかは知らない。

ただひとつわかることは、気づいたら私たちは、広告の間を縫うようにしてコンテンツを読まなければいけなくなっているのだな、ということだ。

そんなことを思いながらnoteの記事を読んでいたら、これがもう驚くくらいに読みやすい。

noteに記事を書こうと思うくらいの人たちだから、そもそもの文章力が高いということはある。

キレッキレの文章で読ませる人。

いったいこの人の頭の中はどうなっているのだろう、と思うほどの考察力・知識量でこちらを圧倒してくる人。

ふわっと情景が浮かび上がるような絶妙な語り口でせまって来る人。

このような人たちの文章は、たとえそれが広告まみれだったとしても、恐らくは最後まで読んでしまうことだろう。

けれどももちろん、そんなプロレベル(もしくは本当のプロ)の人たちばかりがnoteを利用しているわけではない。

何気ない日常を心の赴くままに書き綴っている人。

何となく文章を書き出したはいいけれど、着地点が見つからずそのまま尻すぼみ的に記事が終わってしまった人。

そもそも何を書いているのかが理解不能な人……などなど。

面白いかと言われれば、たぶん面白くないのだと思う(ごめんなさい)。でもどういうわけか一度読み始めてしまうと、何だかんだで最後まで読んでしまう。

なんでかな?
って思っていた。

noteというプラットフォームを利用する者として、仲間意識みたいなもので読んじゃうのかな、って思っていた。

だけど、そうか。
広告か。

記事を読み始めてすぐに
「あれ?」
と思っても。
「んんん……」
となっても。
「そ、それで?」
と困惑しても。

文章が途切れることなく続くから、結局最後まで読み切ってしまうのだ。

たかが広告。
されど広告。

広告のあるなしで、知らず知らずのうちに読み手側の意識は左右されている。

「ブログを更新しました」というツイートを見ても、クリックしてみようかなと思うことは少ないけれど「noteを更新しました」と言われると、ついついクリックしてしまう。同じような経験をしたことのある人は多いと思う。

noteと言われると、何か面白い記事がありそうな、そんなふんわりとしたイメージが浮かぶのは、ひょっとしてひょっとすると、広告がないからこそなのかもしれない。

思えば、こんなにも広告だらけの時代に、広告がほとんどないプラットフォームを無料利用させてもらえるという贅沢。

だからこそnoteがこのままいつまでもいつまでも、広告まみれにならないことを願わずにはいられない。

noteさん、応援してます!

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