世の中の意見そこまで偏るかね?
ベッキーや乙武さんの不倫騒動、ショーンKさんの経歴詐称、清原氏の麻薬事件など、年明けからのワイドショーは毎日のように手を換え品を換賑わっている。
それらの話題について、テレビやネットで出る意見の多くは、
「○○は最悪だ!」
「芸能界に帰ってくるな!」
のような誹謗中傷だ。
著名人が少しでも庇ったりするとさぁ大変!今度はその人がターゲットとなり非難されるという流れすら出来上がってしまっている。
でも、僕はそんな流れを見てやっぱり思ってしまう。
「物事の良し悪しってそう簡単に決まる?」
「世の中、そんな意見が偏ってて大丈夫?」
と。
人の行動には必ず理由となる背景がある。そして、そのほとんどが当事者にしか分かり得ない。
その背景を知りもしない第三者が、別の第三者が加工した記事を見て、簡単に物の良い悪いを判断する。それって、実はとっても危険なことなんじゃないかと思うのは僕だけだろうか?
もしかすると、「表現の自由が叫ばれる今の時代になんと古臭いことを」と思われるかもしれない。
でもそれは違う。
僕は「表現すること」や「意見を持つこと」が危険と言っているのではない、「そんな簡単に意見を持ててしまうこと」の危険性だ。
例えば、
ある少年がコンビニで万引きしたとしよう。
もちろん万引きすること自体は犯罪だし良くないことだ。しかも、その少年の通っていた学校がガラが悪く、普段から素行も悪いというおまけまでついてきたとする。
ほとんどが「なんて悪い少年だ」「親はどんな躾をしてるんだ」と感じるだろう。子供の周りにそんな子がいると「彼とは付き合ったらダメよ!」なんて言ってしまうかもしれない。
でも、もしその少年が幼い頃に両親が他界し、それがきっかけでいじめられ、それがグレた原因の一つだったら?育ててくれたおじいちゃんが風邪で倒れてお金が足りず、風邪薬を万引きしてしまっていたら?
もちろんそれでも万引き自体は悪いことなんだけど、少年がした行動に対する見方は少し変わるはずだ。
他にも実際に起きたこんな事件もある。
http://matome.naver.jp/odai/2139408194432080201
先の喩え話や上記の事件のように、すべての出来事に複雑な背景があるわけではない、中には本当の極悪な人もいるだろう。けれど、本当のところは当事者以外にはわからない。
にも関わらず、世の中には良し悪しを簡単に決める意見が多い。少なくとも僕にはそう見える。
僕らがこれらの出来事に対してやるべきことは、良し悪しを簡単に決めることではなく、「あの人はなぜその行動をとったのか?」「そこにはどんな背景があったのか?」「自分の身の回りで起きたら何が起きるか?」「自分だとどう対処するか?」というようにまずはよく考えることなんじゃないかな。
そして、そこまで考えた上で初めて自分なりの意見を持つことなんだと思う。
そうすると示し合わせたように同じような意見で溢れかえることなんてないはずだ。モノの見方なんていくらでもあるから。
なんか最近特に世の中の意見が画一的になっているような気がして、恐れすら感じるのでツラツラと長々と意見を書いてしまった。でも、なんだかスッキリした。