手段の人格化
目的を忘れがち
自戒をこめて
例えば、仕事好きなひとがいる。
その人は会社員で、
月 残業何十時間もしている。
その生活を40年間続けてきた。
ある日部下から
定時で帰りたい
残業時間が多すぎると言われたら、
その人はどう思うだろうか。
人によっては、
「仕事に対する情熱はないのか」
「人間としておかしい」
「一切理解できない」と思うかもしれない
ただ、振り返って考えると、
自分がこれまで残業をしていた理由は、
残業をするためそのものではなかったはず。
目的や理由が他にあったはず。
目的:
プロとして、良い仕事をしたい
残業代が欲しい
周りが働いているからやむを得ず
等
その目的のために、
手段として残業していたのに、
いつの間にか手段が目的化している。
それどころか、
反射的に
「残業したくないという人はおかしい」
と人格まで関わる問題のように感じてしまう。
実際は、一つの意見にすぎないのに。
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以前、私自身も、
例えば「女性がお茶くみをすべき」
という意見を
直接言われたら、
真向から反対していた。
少なくとも、
ただ心の中で思うのではなく、
声に出してわざわざ言う人は、
人として受け容れられない
と感じていた。
でもこれは会社員の例と同じ。
「そんな意見をする人は、人としておかしい」
ではなく、
なぜ、その意見が生まれたか?
目的を考えることが大事。
私は、周りのかたに相談して、
「女性がお茶を汲んだ方が、
お茶がおいしく感じる。
お客様に喜んでいただける」という
一つの考えを知ることができた。
自分にその感覚がまったくないので、
とても驚いたし、
その考えを知ることができて
本当に良かった。
一つの仮説として、
「女性がお茶くみをすべき」という意見は、
女性を困らせる為でも、
女性を差別したいためでもなく、
お客様の為かもしれない
と考えた。
話し合う際は、
「その意見はおかしい」というのではなく、
お客様の為には、どうしたらいいか。
手段を一緒に考える。
その中で、自分の考えとして、
男性・女性で役割を決めるという時代ではないのでは
お客様の為になっていないのでは
と伝える。
最初から法律違反です。と言うよりは、
耳を貸してもらいやすい と思う。
※均等法:https://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/danjokintou/q-a.html
特に自分にとって重要な話題について、
つい、反射的に違う意見を
シャットアウトしがちだけれど、
意見そのものを聞くこと自体が辛い
というものでない限り、
意見、手段の目的を推測して
話し合うことを
忘れないようにしたいと思う。