やってみたらみえた自分のエゴ
わたしはつい最近
新しい挑戦をしようとした。
それは1人でも多くの人の人生に触れて
書かせてもらいたいとゆう想いのもと
ひらめいたのが
路上ライブがあるなら
路上セッションがあってもいいやん!
とゆうことで
どこかに私が座り、来てくれた人の
コラムを書かせてもらおうとゆう挑戦。
いざ船に乗り島へ。
場所はおだやかな風景と音が流れる豊島
あんなに数日前からみんなに宣言して
準備もして意気込んでいたのに
島に着いた途端 〝座らなきゃ〟にマインドが変わる。頭で考えているのもわかっていてハートで感じることができなくなった自分がいたのも
わかっていた。
もうひとりの自分が冷静に私を観察できていたのが意外だった。そんな挑戦と自分のエゴとの中でうまれペンをとり書いていた言葉をここに
そのまま載せます。
もう隠すこともないし、隠しても私はわたしだし
等身大で言葉を紡ぐこと。それがわたしのできるひとつなのかもしれないから。
2022.02.26
いざ、島へ。
座らなきゃに変わる。
一気にハートが固まって閉じていくのがわかる。
頭で考えてる。
ハートで感じれていない。
今日路上に座らなきゃダメって誰が決めたの?
自分で自分を追いこむ癖がある。
座りたい場所がない。
それでいい。その流れに従おう。
焦らないこと。大切なのはその時を見極めること。
八幡神社 この島の氏神様への挨拶がまだだったことに気がつき向かう。
トトロのワンシーンを思い出させるような場所と佇まい。
風と共に私を迎え入れてくれているのがわかった。参拝のあとここで1曲踊りたくなった。最近はじめたフラのステップを踏む。
木々と風と緑と太陽とわたしが一つになった気がした。私は地球の一部。
踊れば踊るほど地球が喜んでいる。そしてわたしも一緒に歓ぶ。
それでいい。無理に何かをしようとしなくていいのかもしれない。
すれ違う人、畑いじりしているおばあちゃん、とにかく元気に挨拶をする。
挑戦するって自分で決めたことをできないかもしれないってゆう不安と葛藤を打ち消すように
とりあえず声を出すことを意識してみた。
マスク越しであっても誰かとこんにちはと交わすだけで体温はあがるし広がる景色は色づく。
閉じていたものを出す。
もうひとりの自分が〝きっとこの過程にも意味がある〟と言っている。
みんなに宣言したからやらなきゃいけないことはない。みんなにすごいねと言ってもらう為にやるんじゃない。
大切なことは、1人でも多くの人と出合うこと。
そこに私も目の前の人も喜びを一緒に感じられる瞬間があること。
そして、書かせてもらうこと。
それは、とっても奇跡であるとゆうこと。
ベンチに座り作った手書きコラムや
目の前の人と一緒に食べたいなって思っていたバナナスコーンを
とりあえずリュックから出してみる。
ダンボールに書いた〝あなたの人生物語書かせてくれませんか?〟とゆう看板も一緒に。
たまに、自分がやっていることが他人から見たら
バカらしいって思われるんだろうななんてしか
捉えられない時だってある。
どこまでもピュアな自分に嫌になる時だって何百回ってある。
誰も通らない。流れゆくものはこの島のおだやかな優しいメロディだけ。
なんだかすごく自分がやっていることが、ちっぽけでバカらしくなっちゃった。
あんなに昨日まで意気込んでいたのに。
あのやる気はどこへ?笑
だけど自分だけは自分の味方でいること。
自分と約束したこと。
できなかった自分もうけいれること。
この今の感情こそがギフトだと気づく。
やろうとしたこと。会えるかもわからない誰かを想い心こめて準備したこと。だけど、できなかったこと。そこで出てきた想い。すべてが今のわたしが体験させてもらえた奇跡でギフト。
だからもっと味わったらいいやんと開きなおりはじめた。
そして、それでもコラムニストとしてやっていきたいの?ひとりでも多くの人に出合うために
路上や公園で座りたいの?って問いかけると
やっぱりやりたい!って心が言ってる。
エゴではなく魂の声。
きっと、勇気を出して座った先に目の前に立ち止まってくれる人がいる。そして、楽しくてワクワクする時間がそこにある。
だって私はすごくワクワクしている時間がみえるから。
この大切な感情
恐れとか不安とか
1歩踏み出すことに対しての
今あるマインドを解放した先にまっている景色をわたしはみてる。
今を生きているけれど、もうひとつふたつ先の自分と生きてる。
切り替えよう。
どうやって座るか?どこでやるか?
それは一旦頭の隅にお休みしてもらって
今 豊島に来させてもらい導かれた歓びをただただ味わおう。
そう思えた瞬間 わたしの中でエネルギーが満ち溢れた。いつもどおり。それで大丈夫。
みんなに宣言したのは自分への宣言と言い聞かせだったのかもな。
わたしは弱い。
強いけど弱い。弱さのなかに強さがある。
強さの中にいつでも崩れてしまいそうな脆さがある。
だから、自分への戒めのようにみんなに伝えたのだろう。
自分の中で思い描いていたとおりにはならなかった。だけど、人生は思い通りにいかないからおもしろい。
そして、挑戦しようとしたけれどできなかったからこそ見えた景色と
自分の小さな世界のなかだけで未来を想像していたもの以上の出合いと感動がこの後、ちゃんと用意されていた。
見栄をはりたかったんだろう。
こっちゃん凄いねって言われたかったんだろう。
負けず嫌いのわたしがでてきたんだろう。
わたしの中にあるエゴが炙り出された。
挑戦と引き換えに得たギフトは、自分のエゴとの手放しでした。
気づけてよかったなぁ。
自分が持ってて苦しくなるようなものは
軽やかに手放そう
奇跡なんよね。
全部!
エゴに囚われていた自分が浄化されたとき
今、この足でここに立たせてもらっている豊島とゆう島と私がひとつになった気がした。
どれも切り取りたいぐらいの景色と体験と出合いと風の流れと弾む音と島の空気。
そして新しいわたしがそこにいた。
揺らぎの中を泳ぎ彷徨った数時間。
おいしい
おめでとう
ありがとう
涙
太陽
笑顔
虹色に今輝くとき
木々が微笑んでくれたあの時
わたしは地球の一部だと体感できたあの時
わたしの魂にまた刻み込まれたものがあった。
そして今回はじめて挑戦するにあたって
筆一本で食べていくと決めて12年間今も
言葉を書き続けているたっくんに
相談させてもらいました。
たっくんの電話越しから響く言葉の数々は
本物で力強さの中に優しさもあって
ここまで書き続けてきた人だからこそ言える
言葉とうまれるあたたかさと優しさを
受けとれました。ありがとう。
たっくんの Instagram ↩︎
言葉を紡ぐ。
できるだけ等身大で。
でてくる言葉をそのままに。
ここからまた歩いていけばいい。
経験値が増えただけ。
わたしの愉しい挑戦の旅は続くよ これからも。
ありがとう。
人の領域ではないことに、
思いをめぐらせても
真理に近づくことはできません。
それなら私は一切を考えず
毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。
一〇三歳になってわかったこと 篠田桃紅