ふたりのばあちゃん
わたしにはふたりのばあちゃんがいる。
ふたりのばあちゃんは全然タイプが違う。
その全然違うふたりのばあちゃんと
一緒に過ごした幼少期は
今のわたしになる為のエッセンスを
沢山もらっていたんだなぁって気づいた
ありがとう。
なんで
ばあちゃんのこと書きたくなったか
それは
最近読んだ本
原田マハさんの
「星がひとつほしいと祈り」の中にある
沈下橋 を読んだからだ。
この物語はおばあちゃんの話しではないのだけど
主人公の多恵といっときだけ娘だった由愛の
最後のお別れのときに唄った詩と
ばあちゃんと一緒に唄った詩が
偶然にも重なったからだ。
わたしの琴線に触れた瞬間
なかから言葉が溢れてきて
今こうして書いてるの。
♪いつまでも絶えることなく
友達でいよう
明日の日を夢見て
希望の道を
空を飛ぶ鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
また会う日まで
信じあうよろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
また会う日まで
また会う日まで
以前書いたブログにもわたしは
この歌のことを書いてる。
○ ばあちゃんと歌う
そして、ばあちゃんと一緒に唄った瞬間を
なぜだか録音してた。
よく唄ったなぁ。
ばあちゃんと。
わたしがこうして〝言葉〟だったんだと
薄々カタチになりはじめたとき
ばあちゃんが言葉遊びをよくしてくれていたことも思い出した。
ばあちゃんが手作りで作ってくれた
ひらがなカードを
お風呂場で並べてよく遊んだんだよなぁ。
そして
もうひとりのばあちゃん
こっちのばあちゃんは
ジブリの世界や絵本に出てきそうなばあちゃん
山奥の田舎で自然とつながり
生きてることじたいが
ばあちゃんにとったら
目にみえないものと
なんの違和感もなく繋がることなんだと思う。
動物達とも通信しあってるように見えたりもする。
昔から面白い夢ばかりばあちゃんは見ていた。
それを私が来た時に
「もっと聞きたい!もっと話して!」
と目にみえない不思議な話しを
食い入るように聞き入るわたしに
たっくさん話してくれた。
最終的には
わたしがあまりにも求めるから
ばあちゃんは夢ノートをつくり出す始末。笑
見た夢をノートに書き
わたしが来るとは、そのノートを見ながら
おもしろおかしく夢の内容を話してくれた。
ふたりのばあちゃんが
わたしは大好きだ。
ばあちゃんは
ずーーーーっと
いつまでもいつまでも
私が小さくなっていくまで
玄関先で手を振りながら見送ってくれる
それは幼少期の頃から変わらない。
みえなくなるまでずーっと。
この玄関に
じいちゃんとばあちゃんが立ってた。
わたしが中学1年生のとき豪雨でなくなってしまったから今はなきこのお家。
恋しいよ。
今はじいちゃんがいないから
ばあちゃんひとりで見送ってくれる。
なぜだか、いつもこの光景をみるとわたしはうるっとしてしまう。
ばあちゃんの気持ちがはいってくるんだもんなぁ。
○ ハグをする
以前書いてたこっちのばあちゃんのお話し。
好きだよ
ばあちゃん。
また美味しいもん一緒に食べよなぁ。
○ ° ❄️⚪︎ おまけ o ° ○
明日が来ることが当たり前に信じられることは
本当はとても幸せなことなんだなぁ。
そのことを知らずに
いきていられる人たちは、なんて恵まれているんだろう
ライオンのおやつ 小川 糸
心より愛と感謝を込めて。