
個人通信”Simple Dreams”1402号
------------------------------------------------------------------------
個人通信"Simple Dreams" 1402号
2024.12.31
石川 晋
zvn06113@nifty.com
https://suponjinokokoro.hatenadiary.jp/ すぽんじのこころblog
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000528475920 FB
https://www.threads.net/@shinishikawa01 Threads
https://mastodon.social/@marushin/ mastodon
https://twitter.com/mumomorush X(元Twitter)
https://bsky.app/profile/mumomorush.bsky.social bluesky
-----------------------------------------------------------------------
ぼくのnoteは1号だけの購入だと500円。月に4号は出ますが、月刊購読なら100円。どうぞ、単体ではなく月単位で購入してみてください、すぐ辞めてもいいですから、8号くらい(2ヶ月くらい)まとめて流れで読んでほしいなあと思っています。
今回は、12月30日(月)から12月31日(火)までの期間。
航空機事故。
二つの戦争。
アートで見直す2024年。
大晦日のこと。
たくさんの墓標。
外山恒一『改訂版全共闘以後』
——————————
12月30日(月)晴れ
この数日の二つの航空機事故の報道をずうっと詳細に見ている。
もちろん、後から飛び込んできた方の事故・・・チェジュ航空の事故はすぐ目前で、しかもぼくらに親しみのある航空会社による事故なので当然注目度が高い。ほとんどの乗客が亡くなったことも衝撃だ。
一方で、数日前からのアゼルバイジャン機の「撃墜」事故の件は、大韓航空機やマレーシア機の時とは違って、おそらくは乗務員の英雄的な奮闘もあって、操縦士たちは何度も機体を持ち上げてカザフまで持ち堪えさせている。おそらくそれで多くの人も助かった。一部の報道のようにロシアがなんとかカスピ海に落として有耶無耶にしようとしたのだとするなら、なお大変だ。アゼルバイジャンの大統領の反応についての報道も出てきたが、かなり憤慨し、ロシアに明確な要求を突きつけており、対ウクライナ戦争について意外なところで潮目が変わる予感すらする。
それにしても、ウクライナとロシア。長い長い戦争になった。
ガザでは北部の医療の最後の砦がイスラエル軍に包囲され、医療機能が麻痺しているのだと言う。イスラエルの行為は、ジェノサイドだ。ジェノサイドを受けた彼らが、ジェノサイドに手を染めていく。DVやマルトリートメントが再生産されていく構造と同じなんだなと思う。
「2024年をアートで見直す」をブログにまとめる。
12月31日(火)晴れ
今年の正月まで、大晦日は、父を連れて旭川市内のホテルで年越しをしていた。そのことに途中で気づいた弟(拓)も、わざわざ子どもたちを伴って旭川に来るようになり、父の最晩年は、年末年始のわずかな期間をぼくら兄弟は一緒に過ごすことになった。
今年父が亡くなって、この大晦日は、はじめて、名寄で過ごすことになる。うららさんにとっては、父が大晦日をこちらの家で過ごす、記憶の上ではほぼ初めての時間だろう。
父が亡くなって、初めての大晦日が近づいて、それで初めて、ああ、父の死とともに、ぼくら兄弟が大晦日を共に過ごすこともなくなったんだなという、事実に気付かされる。少年時代を除けば、ぼくら兄弟が大晦日を過ごすことなどなかったのであり、最後の数年は、父の贈り物であったのだろうか。
先日父が最も親しかった父の一つ下の叔父叔母夫婦に、父と母の若い日の写真アルバムを送った。父母と叔父叔母とは高校の先輩後輩であり、特別に親しい関係でもあったので、アルバムには、叔父叔母の写真はもとより、ぼくには朧げに見覚えのある彼らの友人も、全く知らない(当時の)青年たちの写真もたくさん収められていた。それは、どう考えてもぼくが手元に置いておくべきものではない気がして、それで叔父叔母へ贈ったのである。叔父からの返信のメールには、感謝の言葉とともにさりげなく「もう旭川まで行くことはきっとそんなにないと思うけれども」と付されていた。父の一番下の妹(叔母)はまだ旭川に存命とは言え、叔父が言うように、ぼくが叔父に会うことももうないのかも知れない、とぼんやりと思う。そう考えれば、父が数年を繋いだ大晦日は過ぎ去って、ぼくと拓とも、この先は、そう何度も会ったりはしないのかも、とそんなことを思う。
SNSには一年間を振り返る書き込みが溢れているが、その一つ一つが、なんだか陳腐で嫌になってしまう。ぼくもそういうところに、何かを並べれば、そうした陳腐な墓標みたいなものに、自分を並べてしまうことになってしまいそうで、嫌だ。
とはいえ、2024年は、ぼくにとっては深刻な精神的危機に直面した年として記憶されるものになるだろう。父の死はもちろん。若い日に一緒に研修を重ねた小林直樹くんが亡くなり、その後は、田中信昭さん、白井佳夫さん、そして木幡寛さんと、ぼくが直接に影響を受けた特別な人たちが逝ってしまった。暮れにはらんちゅうも死んでしまった。多くの影響を受けた人たちが逝くということは、自分の順番が近づいているということでもある。
今年は谷川俊太郎さんも死んだ。彼に直接お会いして言葉を交わしたのは一度だけだったが、もちろん思い入れ深い芸術家であった。艶福家で、素朴な平和主義者だ。経済的に没落し、政治的に貧相になり、ひたすらきな臭くなっていくこの時代に、谷川がどうにもならなくなってしまった後の社会を見ることなく逝ったのはよかったなあと思う。そんなふうに思ったのは、多分ぼくだけでもあるまい。彼には、美しいままで、ロマンティックの残滓の中で逝って欲しい。なぜだろう、そんなふうに思える。
今年の最後に自分に送るうたは、これだ。
聴いた後は、大晦日の夜の喧騒に身を沈めねばならない。今年から当面は、それが自分の役目になる。
年を跨いだら、原稿を一本書こうと思う。
この数日は、ずうっと一冊の本を読んでいた。外山恒一『改訂版全共闘以後』。色々感想はあるのだが、1985年から1989年に革マル派がまだ学生自治会を牛耳っていた道教大旭川校で、オルグされてしまった同期の友人(彼はどうなってしまったのだろう)を巡って、何度も男子寮に赴いて議論をした。その時期に理論武装のために読んだ、立花隆『中核VS革マル』を思い出した。北海道の場末で、内ゲバにさらされることもなく幸せな革マルもいたのだ。
その後は、学生運動は空白・無力の時代、ぼくは学生運動に遅れてきた人、そんなふうに思っていた。でも、外山恒一は、その空白を見事に埋めていく。ある部分は極私的にさえ埋めていく。
在野の歴史家というのは、本当に大切だ。多くの人にはその意味もわからないと思うが、ぼくにはわかるよ。ぼくが学生時代を生き、青年教師の時代を生きた時間に、ちゃんと心のある学生たちは政治と取っ組み合いをしていたんだなってことがわかったり、とか。あるいは、もう少し巨視的に自分に世界を見る力があれば、同時多発的に起きていた様々なことをちゃんと面で価値づけることができたのに、とか。そういう内省が起こる一冊だった。原稿用紙1000枚超だが、これでもだいぶ削ったのだそうだ。外山は、まともで、まじめで、人間臭い活動家だなと思う。
ところで、反管理教育運動からスタートしたと一般的に捉えられる外山だが、この中には教育史的言説は少ない。自由主義史観などについての言及もゴーマニズムに寄せて語る部分以外はほぼない。外山にとっては、ほぼ関心のない出来事だったのかも知れないが、誰かが書き記しておかねばならないことだろうなあとぼんやり思う。ぼくも民間教育史の最後に遅れてきたものとして、極私的にでも語り尽くせるぼくにしか書けない1000枚を、ちゃんと言葉にしてみたい。
ここから先は
¥ 500
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?