子どものウソとどう向き合うか
昨日は三連休の一日目ですが、まずはどちらかというと「タスク」に近い、母のところへ行っての食事と会話の時間を持ちました。
水曜日に行ったばかりではありますが、三連休とかは家族で旅行に行く様子がニュースで報道されるなど、孤独な高齢者には毒な映像が流れ、母の心が荒れるため、少しでもそうした気持ちを和らげるべく、間を置かずに行ったわけです。
電話では、自身の不幸な人生を嘆いていた母ですが、顔を出せば落ち着くし、食事も一緒ならそれなりに食べるんです。
ただ、話はいつもの理想の住まい探しですが、ここでも何度か書きましたように、これまでも、いろんな手を尽くしてきており、母の高望みや判断力の低下もあって結果的に振り回され続け、今や打つ手なしの状況。
母はそのことをだいたい忘れていて、自分の言動が原因だなどとは、あまり感じていないようであり、私も弟も徒労感ありますが、そこを詰めても本人の記憶は都合よく改変されており、不毛な水掛け論になるため、気持ち、寄り添い感をにじませつつ、自分の心のキャパに余裕があり、感情をコントロールできているうちに辞去するようにしています。
話はかわりまして、最近は下の子どもの「ウソ」に家族で困っています。オンラインゲームをやるために、コンビニに行って前にもらったお年玉で課金したり、学校や塾の帰りに買い食いしたりしているのに、そんなことをやってないと言い張る。
前などは、トイレにオンラインゲームのレアアイテムを入手するのに必要なゲーム内通貨?取得のための、シリアルコードの紙が便器の中に落ちていて、娘が気持ち悪そうに取り出して僕に報告したこともあり、息子にはそれとなく話すのですが、友だちからもらったとか言い逃れをします。
隙あらばオンラインゲームをやりたいようで、妻が目を光らせていても、タブレットをトイレや別な部屋に持ち込んだり、僕のセカンドスマホにインストールしたりして、その執念は大したものです。
まあ、今のところ学校の勉強があまり好きでない下の子どもは、妻が勉強しろと勉強しろというので、勉強の当事者意識がなく、常にその場しのぎの勉強をしていて、何か理解を積み上げている状況ではありません。
たまに僕も勉強を見ますが、あちこち齧っているので、全体の定着度がイマイチ見通せない。塾には通っていて、担当の先生には授業中によく見てもらっていて、その場ではそこそこ理解しているようですが、問題を解くときの丁寧さと、理解の定着のための反復学習への粘りがなく、ゲームの沼にはまり、言い逃れだけは上手になっている感じです。
妻と下の子をぶつけると喧嘩になって生産的でないので、僕と娘の間でどうしようかと思案をしていますが、まだ思案のトンネルからは抜けられないような感じです。
とはいえ、方向性はともかく、成長はしているという証左でもあるのでしょうね。
ゲームをやることに知恵を絞ることに注力していることは、勉強との兼ね合いでは問題だし、目を悪くする原因にもなっているようですが、学校は部活に属さなくても楽しそうに通っているし、転校してきたのに友だちづきあいもまあまあうまくやっている。
毎日元気に学校に通い、学校での出来事は家族に話してくれるので、まだ、今のところは、健康な人のニキビみたいなものかなと、考えてもいます。
妻が怖いのでウソのスキルが向上したわけですが、できれば、僕と娘にはそのへんの隠し事はせず、話をしてもらえるよう、奥深くに一人で入り、手が届かないところへ行かないように、娘とも連携して、日々のコミュニケーションはしっかり取っていきたいと思います。
子育ては難しさもありますが、娘にとっては、こうした問題に向き合うことで、成長している面もあり、このへんは、きょうだいがいる家庭ならではかもしれません。