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録音物

録音物を聴くのが好きです。
録音物について雑感。


①スマートフォンやタブレットなどを使用して「映像」を手軽に楽しめる時代に突入しましたが、そうなるとますます「音楽のみ」のソフトに愛情を感じるようになりました。

レコードが世界に普及する以前は、生演奏だけが音楽を聴く手段だったわけです。
それが録音物の普及により、「音楽に出会いに行く行動」をせずとも出会ってしまう世界になったとも言えます。
音楽との出会いが「思いがけないもの」となり、その人の人生を彩っていく。私自身もそんな出会いをたくさんしてきました。


録音という手段も、トラディッショナルの音源収集やクラシック音楽の実況録音のような目的から、生演奏とは別の「作品」としての音楽を創造する目的へと移り変わってきました。
その方向性は、主にポピュラー音楽(ビジネスとしての大衆音楽)と共に発展してきました。


②我々は既に、生演奏と録音物とは別の音楽であるという「耳」を獲得しています。
演者の立場からすると、ライブ演奏で投げかけるものと、録音に注げるものとは質が違うのです。

だからこそ奥が深い。
自分の楽曲や演奏が作品としてどのような空気をまとうのかは、録音にかかっています。良い曲があるだけでは、それは叶いません。

良い録音物には、必ず作り手の意図が投影されています。それはマイキングや機材の選択、使いこなしなど、細かいところに表れてくるものです。



③「ナチュラルでリアルな音像」
という宣伝文句の作品があったとしても、聴いてみるとイコライザーやコンプを駆使しまくった音だった。なんてことはよくあります。
私はそれでも良いと思います。

誇大広告はわかる人にはわかってしまうので結構恥ずかしいですが、極端な話、聴き手一人一人とはあまり関係の無い事柄とも言えます。

聴き手との縁によって、いかようにも変容するのが録音物です。ビジュアルを持たない分、それは顕著であると思います。


④以前クラシックギターの巨匠、山下和仁氏が「私は純粋に音を聴くことが、最も楽しい事だと思っています」と話しているのを本で見ました。

山下氏と同じ感覚にはなれないと思いますが、とても共感する内容でした。

私にとって「純粋に」の意味は、ビジュアル的要素に頼らないという事でもあり、それはより、自分の内面が突きつけられる瞬間でもあります。


⑤修理と改造をお願いしていた、私のオーディオ機器。この巡業の行程中に受け取れる事になりました!
高橋純一郎氏のチューニングによる私のシステムは、オーディオ的に寄りながらも非常に素直な厚みを持ち、更に抜群の定位感が持ち味です。何を聴いても満足できますが、クラシックのライブ盤が特に楽しいです。
これで、録音物への愛情がまた加速していく事でしょう。


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