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練習

「1日にどれくらい練習するか」
という質問をよく受けますが、ここ近年は以前ほど練習時間にこだわりがなくなってきました。
というのも、練習を「純粋なトレーニング」と定義するならば、それ以外にやらないといけない事が増えてきたためです。
自作曲のアレンジ(運指決め等)や合わせものの打ち合わせなどですが、その時間もずっとギターを弾いてはいるもののそれが「練習」にあたるかと問われたら、やはり違います。
作った曲を弾き慣れる段階もまだアレンジに近い感覚もあり「練習」かどうかは微妙です。ただ、完成されたアレンジをレコーディングに備えて弾き込むのは練習と言えるでしょう。

毎日同じルーティンをみっちり、というわけにはいきませんが、日々の練習に関しては時間内で工夫して、自分で決めた事を続けていこうと思ってます。

自分で決めている事というのは

各種アルペジオでp(右親指)〜a(右薬指)までのバランスの維持。
左手のストレッチレガート(1~7フレットまで)。

ギターを手にしたら最低これだけはやってその他の作業に取り組むようにしています。右手の故障のせいでa(薬指)〜m(中指)という順番の動きが相当弱っているので、そこはこれ以上退化させたくないというコンセプトです。


ところで
世の中には練習をそれほどしなくても達者に弾ける人が確実に存在します。

今まで多くのギター弾きを見てきましたが、「この人は明らかにギターの天才」という人を何人か見たことがあります。つまり「ギターを弾く」センスに長けた人ですね。
専門学生時代、私が1年間特訓して辿り着いたスピードをギター始めて2ヶ月の高校生が追い越していった時は衝撃でした。
人には生まれ持ったものがある。当たり前の事ですが、いざ目の当たりにするとそれなりにショックなものでした。

ただ、彼等の弾く姿を見ていると、やはり理にかなっているのです。
・肩や腕の力が抜けている。
・気持ちに余裕がある。
・身体の大きな部位を使っている。
どれも自分には欠けていました。私はとにかくリキむ。何かを始めようとすると気持ちが入り、同時に力が入る。これをなんとかするために色々と考え、実行し、また考え、そんなこんなで専門学校の4年はあっという間に終わってしまいました。
自分の納得いくような良い演奏が実現できずに卒業を迎えたわけですが、周りの方の盛り立てのおかげでその頃にはそれなりの舞台を色々と踏ませていただいてました。ステージを重ねる私に対し「伊藤は才能があって色々な事ができる」と思われていたかも知れませんが、自分の中では達成感などは到底無い状態での卒業でした。

そんな卒業演奏会。
コンチェルトの出番前に先生が呼び込みの紹介をしてくれたのですが
「彼はとても不器用な人間です。」
と言ってくれたんです。その瞬間に、色々な事が報われた気がしました。
そうだ自分は無理矢理にでもギターが弾けるようになりたかった。それだけで4年よくやったな、と自分で思えた瞬間でした。その時の演奏は4年間で最も力が抜けていたと思います。


脱線しましたが、練習についての話に戻ります。
特にアマチュアが勘違いしやすい練習方法の例をひとつ挙げてみたいと思います。それは
「難所をひたすら弾き込む」
というもの。

曲の中で所謂「難所」(弾けない箇所)が出てきた場合、その難しいポイントだけを練習してしまうというものです。
これは多くの場合時間のロスになります。
一番重要なのは
「難所がなぜ難所となっているのか」それを理解する事です。そして難所を難所としている原因は、多くの場合そのポイントの前後にあります。
ポジションの移動であったり、運指のイメージの仕方がまずいため躓く。または、次のポジションが気になりすぎて躓く。他にも色々ありますが、楽曲という構成物は全ての要素が繋がってひとつを成しているので、分断された状態で存在する難所というのは考え辛いんですよね。

その原因を探してから練習に入ると、おそらく効率は5倍以上上がります。
一番陥りがちなのは、できない理由も分からず練習を重ねてその一日に満足する事。これは自分の体験だからこそ、そのイタさがわかりますね…

ではでは今日はこの辺でお開きとしましょう。

伊藤賢一
https://kenichi-ito.com/

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