「叙述の魔術師クリスティー ホワット・イズ・クリスティー」(4)
第二章において便宜上「ゼロ時間へ」からを中期と分類したのであるが、クリスティーにおいてはクイーンのようにある時期を境にして作風がガラリと変化したということはなく、この辺りではいかにも本格推理小説らしい中期円熟期の作品と後期に向けての先駆的作品が混在している。
それらの作品のうち没後発表された「カーテン」、「五匹の子豚」(1943)、「ゼロ時間へ」(1944)、「マギンティ夫人は死んだ」(1952)が後期的な特徴が色濃い作品である。
一方、中期本格の傑作群としては「ねじれた家」(1949)、「予告殺人」(1950)、「葬儀を終えて」(1953)、「鏡は横にひび割れて」(1962)がある。
「ホロー荘の殺人」と自己紹介システム
そのうちここでは「ホロー荘の殺人」(1946)を取り上げて、その書き出しの部分を分析してみたい。クリスティーの作品において一番特徴的なのはその導入部である。この作品でも私は「自己紹介システム」と呼んでいるが、カットバックの手法によって主要人物が登場するか、その会話の中で語られる。かなり、大人数の人間が登場することが多いクリスティー作品において、その複雑な人間関係がすっきりと頭に入るのはこのシステムに負うところが多い。
それではこの作品の冒頭の部分について簡潔にまとめてみた。
以上のような、場面の転換が次々とされていくわけなのだが、ここまでの描写で早くも次のことが分かってくる。妻のガーダ、彫刻家のヘンリエッタ、さらにここまでは登場していない女優のヴェロニカ。ジョン・クリストゥを巡って対立する3人の女性の存在。ヘンリエッタにはエドワードが好意を寄せ、そのエドワードにはミッジが思いを寄せていること。
このような人物の性格描写がなされた後にこうした全ての人物がホロー荘に集められる。そして、ヴェロニカが突然そのホロー荘に闖入してくることで物語がスタートするのだ。
ロバート・バーナードはクリスティーの登場人物について「まさにボール紙から切り抜いたような人物ばかりである」と決めつけているが、私は必ずしもそうは思わない。英国の小説家E・M・フォースターによれば小説の作中人物は扁平人物と円球人物に分けることができるという。「扁平人物とは17世紀に<気質>と呼ばれたものであり、類型とか戯画と呼ばれることもあります。そのもっとも純粋な形では、ある単一の観念なり性質を中心に構成されています」(E・M・フォースター「小説とは何か」)とし、さらに扁平人物の大きな特徴は彼らが登場する時にいつでも分けなくそれと分かるとしている。
円球人物とは、例えばドストエフスキーのラスコーリニコフやアリューシャのような人物で我々を納得させながら驚かせることができると続ける。フォースターは典型的な扁平人物の作家の例としてディケンズやH・G・ウェルズを挙げているのだがクリスティーの登場人物は作品自体の構成を危うくするような円球人物は出てはこないが、少なくとも納得できる範囲での扁平人物にはなりえているのではないだろうか。これはあえて踏み込んだ言い方をするならばクリスティーは英文学の伝統の系譜に忠実ということさえ言えるかもしれない。
ホロー荘について言えばヴェロニカは「美人だが自己中心的」、ガーダは「いつも何かをくよくよ気にかけている」、ルーシーは「忘れっぽい女性」と一言で要約できるような性格付けがあり、それがいつでもそれぞれの「行動の型」にしっかりと刻印されているので他の人物と取り違えることはほとんどないのだ。もっとも、クリスティーはその性格描写までも騙しの手段とすることもあるので、それには注意する必要があるのだが。
作者:アガサ クリスティー
発売日: 2003/12/01
メディア: 文庫
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