ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル(1)
クリスティーの後継者と見なされることの多かったルース・レンデルはクリスティーの持つ保守的な世界観と相入れず、その呼称を忌諱することが多かったが、「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」で論じたようにクリスティーを「ホワットダニットの作家」*1と位置づけるとルース・レンデルのウェクスフォード警部シリーズはもっとも正統なその系譜の後継とみなすことができるのではないかと考えている。
ルース・レンデルはウェクスフォード警部ものより、ノンシリーズといわれるクライムストーリーの評価の方が一般には高いのだが、ウェクスフォード警部シリーズにはクリスティーの得意とした過去タイプやホワットダニット系のプロットに加えて、捜査の進展に応じて、事件の様相が二転三転するコリン・デクスターのモース警部ものが得意とするタイプのホワットダニットも取り入れている。レンデルは10年ほど前にエジンバラ演劇祭などで訪れた際の印象では英国では書店に新刊が平積みされるほどの人気作家であったが、日本ではそこまでの人気はなく、翻訳もある時期以降パタリと途絶えており、絶版も多い。そういう意味でも再評価が必要だろうと考えている。
薔薇の殺意 (角川文庫 赤 541-2 ウェクスフォード警部シリーズ)
The Vault: (A Wexford Case) (Inspector Wexford series Book 23) (English Edition)
Cornerstone Digital
デビューはクリスティー晩年と同時代
ルース・レンデルの日本での翻訳紹介が盛んになったのは1980年代以降であり、そのためレンデルはコリン・デクスターなどと同様に当時の新鋭作家と見なされることもあった。だが、作家としてのデビューは意外と古い。デビュー作は『薔薇の殺意』(1964)。クリスティーで言えば「カリブ海の秘密」(1964)、「バートラム・ホテルにて」(1965)などホワットダニットの要素が強い後期の代表的作品とほぼ同時期である。世代の差こそあるが両者のキャリアには重なり合う時期もあった。影響関係がある程度あったとしてもおかしくはない。
ルース・レンデルのレジナルド(レジ)・ウェクスフォード警部シリーズがどのような作風であるのかについて具体的な作品を対象に考察していきたい。最初に取り上げることにしたのは『乙女の悲劇』(1979)である。ウェクスフォード警部ものとしては10作目。脂の乗り切った時代のもので個人的にはこの作品は結末の切れ味の鮮やかさなどを考えるとシリーズの最高傑作のひとつと考えている。
角川文庫のあらすじを引用してみよう。
レンデル作品に顕著な特徴として「被害者を巡る謎」がある。例えばこの「乙女の悲劇」は物語の冒頭近くで女性の他殺死体が発見される。その意味ではクリスティーのそれのように事件そのものの存在が分からなかったり、遠い過去に起こった事件で詳細が漠然としているというわけではない。しかし、物語が進行しても犯罪の様相ははっきりしない。 ローダ・コンフリーという名前が分かって、新聞で事件のことが報じられても、被害者を知る人がひとりも名乗り出ず、「この女がどういう人なのか」という動機や容疑者につながるような職業や交友関係などがはっきりしないのだ。
捜査線上にはやがてローダ・コンフリーと関係があったのではないかと思われる人が数は少ないながらひとりふたりと浮上はしてくる。捜査の進展にともないウェクスフォードが組み立てていく事件の様相は二転三転していく。
これと似たようなプロットは実はこの前にもあった。コリン・デクスターの『ウッドストック行最終バス』である。この作品でデクスターがデビューするのは1975年。こちらの方が4年ほど先んじている。
「誰が犯人か」という謎を扱うそれまでの伝統的なフーダニットの本格ミステリに対して、デクスターのモース物は時には事件の実態さえ分からず、モースの推論の中で状況二転三転していくという特異なプロットを取る、と評したことが以前あったが、推理の過程がモースほど複雑怪奇ということはないものの、「乙女の悲劇」を読んでみるとレンデルも探偵役の推理によって事件の様相が一変してしまうようなことが繰り返されるという意味では共通するところが多い。途中段階のツイスト(論理のアクロバット)ではコリン・デクスターに一日の長があるが、レンデルの幕切れの強烈な印象はクリスティーのサプライズドエンディングも彷彿とさせるもので、意外性ではこちらが上かも知れない。
ウェクスフォード警部シリーズのもうひとつの特色は独身のポワロやモースと違って、彼が既婚者であることだ。そうした家族の描写などを通じて、その時代の時代の空気に対して開かれている。2人の娘がいるのだが、この作品では女優で自由人である次女と比べ良妻賢母に描かれてきた長女シルヴィアの自立した女性への目覚めが描かれる。
こうした当時勃興してきたフェミニズム(ウーマンリブ)に関わる動きが事件と並行して描かれていくのだが、これが最終的にメインの事件ともつながって、ひとつのモチーフへと収束していく。この以上のことを具体的に話せばネタバレとなってしまうのが、悩ましいが、こうした点は社会的な問題の描写にはあまり手を染めることのなかったクリスティーとは異なり、一緒にされたくないと一線を画した大きな要因だったかもしれない。
以下(2)に続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?