綾門優季「蹂躙を蹂躙」など個性的な戯曲と個性派俳優がバトル しあわせ学級崩壊リーディング短編集
しあわせ学級崩壊によるリーディングライブ第2弾。プログラムとして、僻みひなたのオリジナル音楽に触発されて劇作家4人が新作一人芝居を書き下ろしたDプログラムとそれぞれの音楽に合わせて選んだ4編の短編小説が4人の俳優により朗読されるCプログラムの2種類があるが、この日はDプログラムを見ることができた。
この企画は今回で2回目だが、キャリアこそ浅いが注目の個性派作家4人が顔を揃えたラインラップは魅力的だった。特にこの日見た演目はさまざまな異なる個性を発揮する癖のある俳優陣が顔を揃え、劇作家4人が繰り出したやはり一癖も二癖もあるテキストとバトルを繰り広げるような公演となった。
リーディング公演は第一弾*1は見ているが、その時の印象はあくまで自分たちの音楽に合わせたフレージングという独自の方法論を突き詰めていくための試演会という色彩を強く感じた。それは出演者が全員劇団員で、しあわせ学級崩壊の方法論にある程度習熟している俳優ばかりであることもあり、あくまでしあわせ学級崩壊のやり方で短編小説を読むとどうなるかを見せるという側面を強く感じたからだ。
だが、今回のDプログラム#2では俳優全員を劇団外から客演させるということをやってみて、音楽に合わせて、脚本のセリフを一字づつ譜割りしたようなやり方を通しても誰が演じるかによってかなり大きな違いがあり、さらにその違いが今回の4本ともにかなり強烈な個性を持つ脚本が引き出しているということを勘案してもしあわせ学級崩壊がやろうとしていることには私が考えている以上に表現の幅があるのではないかということが感じられて刺激的な経験だった。
特に面白かったのは佐藤すみ花による綾門優季の「蹂躙を蹂躙」。多重人格の殺人鬼である「私」が主治医を殺してから、病院の外で人を殺しまくるというとんでもない物語が複数の「私」のモノローグのような文体で綴られた戯曲を佐藤すみれは声優のアテレコのように多彩な声色を使い分け、演じてみせた。戯曲はそれぞれ音楽を聴いたうえで書き下ろすというのがルールだったのだが、これだけは例外で2019年の「第10回せんがわ劇場 演劇コンクール」で上演されたものの再演ということになるが、実はその時の上演がお世辞にもあまりうまく行ってないものとなってしまったために「上演困難」のレッテルを張られ、そのままお蔵入りしていたものを取り出してきたのだった。
その時の印象は次の通りに書かれている。
つまり「とにかく難解」というのが初演の印象だったのだが、今回のリーディング上演はでこれが僻みひなたの音楽・演出と佐藤すみ花の演技により、声によるアニメのようなエンタメ性の高い作品として蘇った。実は次の青年団リンク キュイの公演は綾門優季の戯曲をこの企画にやはり戯曲を提供した松森モヘー(中野坂上デーモンズ)が演出して行うことになっていて、それはとても楽しみではあるのだが、今回の企画を見て考えたのはいつか青年団リンク キュイの公演を僻みひなたの演出で見てみたいということだった。
それ以外の3本もそれぞれ違う個性を持って面白い上演だった。松森モヘーの「私は音楽になりたい」はセリフの音楽性を突き詰めた作品になっていて、ラップとは言えないのだけれど音に合わせてリズムを刻むようなセリフ回しが魅力的だった。池田亮の「かつて」はかつていじめを受けたオタクの物語で、よく考えたら池田の自画像みたいな部分もあるのだけれど、海田眞佑のいかにもいじめられっ子のようないらつくような演技と個性とも相まって悲惨さが逆に笑えるような作品に仕上がっていた。こうなると十分に変な設定なのに一番普通に見えてしまって割を食ったかもと思ったのは細川洋平(ほろびて)「しおのエクボ」だがいきなり綾門優季のような劇毒物を与えるのではなく、この作品からゆるゆると引き込んでいくというのにはいい作品だったかもしれない。
この公演には劇団員がキャストを務めるバージョンもあり、おそらくかなり違う印象なのではないかと思うのでお金的には厳しいのだが、なんとか見に行きたいと思った。
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