文化庁、公益社団法人日本劇団協議会主催(文学座)『 黒い湖のほとりで 』を観劇。デーア・ローアーは日本でも近年その作品が注目されているドイツの女性劇作家。実は2018年に来日した際に行われたトークショーは聞いており、以前から気にはなっていたのだが、実際に作品を目にするのは初めてである。2012年、ベルリン・ドイツ座、アンドレアス・クリーゲンブルク演出で初演。日本では2015年に関西の演劇プロデュースユニットのエレベーター企画が外輪能隆演出により初演している。
ベルリン芸術大学のシナリオ・ライティング・コース(当時の専攻主任はハイナー・ミュラー)で上演台本を書き始めたことから、日本ではポストドラマ演劇の作家としての文脈で紹介されることが多いようだが、舞台を見た印象は全然違っていてオーソドックスな対話劇に見える。4人の男女(2組の夫婦)が登場する。彼・彼女らは湖のほとりで自殺した息子・娘を失い、そのことについてトラウマをかかえながら生きているということが4人の対話により次第に浮かび上がってくる。
ただ、対話劇(ダイアローグ)と表現はしたが、この作品のスタイルは日本の現代口語演劇のような形式とは大きく異なる。舞台には4人の俳優がいて、それぞれが過去の出来事について自分が考えていることを話し出すが、それぞれの発話は相手の言葉に対してビビッドに反応して、コミュニケーションが成り立つというのではなく、言いっぱなしの感が強いから対話劇というよりはモノローグの連鎖によって構成されているといったほうがいいのかもしれない。
会話はすれ違うのだが、それは過去に起こった出来事や現在起こってことに対する認識がそれぞれ違うからではないか。そのために観客である私は過去に実際に何が起こったのかについて、再構成を試みるのだが、それは揺れつづけて、ひとつにまとまることがない。それぞれがかなり強い口調で自分の意見らしきものを主張するので演技の調子としては典型的な対話劇であり、二組の夫婦のあいだの次第にエスカレートする罵り合いを描き出すエドワード・オールビーの「バージニア・ウルフなんかこわくない」などを思い起こさせるのだが、「バージニア・ウルフ」では攻守ところを変えてとかはあるにしても、相手を互いに論破しよう、説得しようというようなせめぎあいがあるのに対し、この「 黒い湖のほとりで 」は徹底的なディスコミュニケーションというか、すれ違いが続き、会話は最初から最後まで嚙み合わない。
描かれる場は2組の夫婦のうち片方の家(湖のほとりにある)であり、そこにもう片方の夫婦が訪ねて来るという設定に一応はなっているが、舞台上には天井に吊られたボートのようにも見える紙製のオブジェ以外はなにもない。とはいえ、最近の日本演劇の趨勢からいえば極めて当たり前の舞台装置と設定であり、そういう意味では受け入れやすい設定とも言えるかもしれない。
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