愛来(アメフラっシ)が難役を好演。舞台『さよならの幕明け』(松森モヘー作演出)@中野テアトルBONBON
昨年(2020年)9月にオンライン朗読劇として一度だけ、上演され配信された作品を改作して舞台劇として上演。表題も「さよならの幕開け」から「さよならの幕明け」に変更された。
アメフラっシの愛来が出演したのが、観劇のきっかけにはなったが、贔屓のアイドルないし女優が出るものならなんでもいいということにはならなくて、特にアイドルについては経験が積みたい初舞台はともかく、演出家、脚本や座組などを考慮して出演すべきだと考えている。それでファンには嫌われるが作品が良くなければ厳し目の感想を書いてしまうことが多い。
その意味では「さよならの幕明け」はとてもいい舞台だし、愛来の演技もとてもよかったと思う。若い女性キャストを集めた芝居で、高校の演劇部が舞台というとももクロファンならば舞台「幕が上がる」を思い出すかもしれないが、いきなり部の中心的存在で上演する予定であった「ロミオとジュリエット」のジュリエットを演じるはずだった「藤」が自殺してしまいコンクールも辞退せざるえなくなったという重い始まり方をするから、演劇としての方向性はかなり違う。
とはいえ、舞台自体は重苦しいだけのものではなくて、その「藤」は幽霊として狂言回し的に舞台に出ずっぱりだし、演劇部として最後の舞台「ロミオとジュリエット」をなんとか上演しようと頑張る部長「清水」ら演劇部メンバーの前に正体不明のタピオカの幽霊なる怪現象も起こり、皆が振り回されるなどコミカルに描かれた笑える部分も多く、モチーフの重さの割には娯楽性も高いものに仕上がっている。
「さよならの幕明け」のもうひとつの面白さは後半部分がループ構造になっていて、どういう経路をとっても「ロミジュリ」の幕が開くことなく、「清水」が死んでしまうというバッドエンドが繰り返されることだ。
この手のループ構造はポストゼロ年代の作家によってよく用いられたものでアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンドレスエイトや「魔法少女まどか☆マギカ」などが有名だが、この「さよならの幕明け」もそうした先行例と類似の構造になっているのだ。
そして、なぜそんなループ現象が起こるのかという謎が、芝居の冒頭からの主筋である「藤」はどうして死んだのかという謎に直結していくことになる。
ネタバレ
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この舞台では「ロミオとジュリエット」で主役を演じるはずだった二人が藤と清水で、物語自体は「ロミジュリ」を下敷きにしているわけだけれど、「ロミジュリ」の物語の最後では若き恋人たちは運命のすれ違いで二人とも非業の死を迎えることになる。
そうだとするとロミオとジュリエットに準えられていた二人のうち一人が亡くなっているわけだからと思うと案の定もうひとりの清水もすでに亡くなっていたのだということが分かってくるというのが物語の仕掛けられたトリックなのである。
愛来の演技はよかった。この座組みの中で顧問の教師と関係を持ち、部費を盗むまでに追い込まれる難役を任されるというのは抜擢ではないか。劇中劇の「ロミオとジュリエット」でジュリエットを演じてみせているのだが、これもよくて、いつか「ロミジュリ」全編を愛来の主演で見てみたいと思わせるだけのものがあった。
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