燐光群『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』@下北沢ザ・スズナリ
燐光群『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』@下北沢ザ・スズナリを観劇。コロナ感染で上演が延期になり、この日ようやく開演できた舞台だが、見ていて本当にいまの時期に上演されるべき作品が苦難のなかでようやく上演されたのだという気がして、不可思議な感慨に襲われる気分になった。
燐光群『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』は初演が1990年。32年も前の作品だが、1992年の再演をこの同じザ・スズナリで観劇した記憶がある。当時いろんな形で世間を騒がせていた新興宗教を題材にした作品で、モデルとなっているのは千石イエスによる「イエスの箱舟」事件だが、後にオウム真理教の仕業と判明する坂本弁護士失踪事件なども題材として取り入れられており、他にも当時はマスコミなどでも報道されたいろんな出来事が引用されていると思われるが、いまとなっては分からないことも多い。
物語はシェイクスピアの「リア王」も下敷きとしていて、岸田國士戯曲賞を受賞したことにはこうした演劇的な仕掛けと現実に起こった事件を作品にビビッドに取り入れる社会性が高度な次元で融合されていることにあったと思われる。
ただ、その後の坂手洋二の作品群を踏まえてこの作品を見てみるとアングラ演劇の影響、幻想的な要素の強さに驚かされた。最近見た作品の中ではくじら企画の「サラサーテの盤」(大竹野正典作演出)のことも想起させ、80年代後半から90年代初頭にかけての小劇場演劇の空気感を改めて思い出させさせることにもなった。
舞台の上演を決めた時点ではこのような形で政治との関わりにおいて新興宗教の功罪が問い直される事態となっていることはさすがの坂手洋二も想像だにしていなかったと思う。この作品には話題となっている統一教会は直接は出てこないが、オウム真理教事件を最後に世間の話題に上ることがほとんどなくなってしまっていた新興宗教を素材とした作品がこの時点で上演されたことはある意味時候を得ているともいえそうだ。コロナ禍によって出足を挫かれる形になったが、今だからこそ上演に意味がある作品ともいえるだろう。
オウム真理教事件をはじめ新興宗教を題材にした演劇作品は以前は珍しくなかったが、「ブレスレス」の特徴はその中でも奇異な事例であった「イエスの箱舟」事件に材を取ったことだ。新興宗教のことを素材とした作品と書いたが新興宗教の教祖による若い女性たちの拉致事件と大騒ぎになった「イエスの箱舟」事件は幸福の科学の会、オウム真理教など後に取り沙汰された事例と異なり、教祖と行動を共にした人間には何らいかなる意味での強制もなく、教祖の人柄を信奉してこれらの行為をしていたことが明確化され、それを一方的に糾弾し追い込んだ一部マスコミの行為の是非が逆に問われる事態となった。
それゆえ、坂手のここでの筆致も「イエスの方舟」に対して同情的なところもあり、信者となった娘を取り返そうという父親を逆にある種狂信的な人物として描いたりもしている。
統一教会を巡る現在の状況とは合致しないことも多いが、その存在さえ、若い世代には十分な認識がないとされる現状においてはそのことについてもう一度考えてみる一助になるかもしれない。