渡辺綾子による「ひとり芝居」 オーソドックスなスタイルに驚く ルサンチカ「殺意(ストリップショー)」@アトリエ春風舎
ルサンチカ「殺意(ストリップショー)」@アトリエ春風舎を観劇。三好十郎の戯曲*1を原テキストとした女優、渡辺綾子による「ひとり芝居」。そういうものとしては非常によくできた舞台だった。渡辺綾子は妖艶というほどではないが、バレエの経験もある均整の取れた身体でナイトクラブのステージで、引退ショウを行うストリッパーである緑川美沙という女性をうまく体現していて、好演といえるだろう。この舞台を「今年の収穫」に取り上げる評者がいたとしてもおかしくない。
ただ、率直な感想としては私にとっては意外なもので驚かされた。というのはルサンチカという劇団(プロデュースユニット)の作品はこれまでも何度か見たことがあった*2が、既成の戯曲を上演するというよりも、インタビューなど物語性を廃したテキストを使い演劇に対して解体的なアプローチをする印象が強かった。それゆえこんな風にストレートに「いわゆる演劇作品」を上演するとは考えていなかったからだ。特に今回は直前にやはり若手の劇団のじおらま「たいない」というのをこまばアゴラ劇場で見ており、これも三好十郎の戯曲「胎内」を換骨奪胎して自分たちのスタイルに合わせてテキストも書き換え、身体表現の要素を取り入れて上演しており、これが相当面白かったこともあり、今度はどんなものを見せてくれるのだろうと思って見に行くと、予想外に普通のストレートプレイだったため面食らったというのが正直なところだった。
引退するストリッパーによる独白というモチーフがモチーフであるから、アングラ演劇などによくあるように女性の肉感的な裸体を前面に出したような演出・演技になってもおかしくないところをそういう表現はほぼない。一貫して抑えた演技になっているのが面白い。なりわいとしては娼婦に近いような境遇に零落した主人公の女性ではあるが、一方では兄が左翼的な思想に傾注しており、その影響を受けて上京後、知識人である先生の兄弟に出会うというように背景には戦前、戦中、戦後を通じてのいわゆるインテリ層の思想的な腐敗というようないかにも三好十郎という主題も描かれている。主人公の女性が大学教授でもある先生に殺意を抱くに至る事情にはそうした自らの境遇と思想性のどちらもが関わり合っている。緑川美沙という女性にはこうした相矛盾するような要素をどちらも抱え込んでおり、しかもそのどちらにも絡め取られることのないある一定の距離感を演技においてキープし続ける必要もある複雑な人物だ。渡辺綾子の役へのアプローチにはある種の客観性が感じられ、新劇系の女優に多く見られる役に入る込むようなタイプの演技と一線を画しているように見えた。