コンプソンズ#7 「何を見ても何かを思い出すと思う」@下北沢・「劇」小劇場
コンプソンズ#7 「何を見ても何かを思い出すと思う」@下北沢・「劇」小劇場コンプソンズという名前は聞いたことあったのだが、コンプソンズ「何を見ても何かを思い出すと思う」が初めての観劇となった。群像劇でありながら、時空が自由に転換し、虚実もシームレスにつながっている。出演者はより少ないが先日見た宮﨑企画「忘れる滝の家」*1も現実と非現実がアマルガムのように溶け合ったなんともいえない不思議な世界を展開していた*2。うさぎストライプや五反田団の最近の作品にも似たような特徴が見られ、最近の流行りという言い方が当てはまるかどうかは分からないがコンプソンズにも似たようなスタイルを感じた。
この作品に登場するのは下北沢周辺の劇団や映像作家であり、自分の劇団をモデルに自伝的な作品を作るという例はナイロン100℃の「下北ビートニクス」なども連想させた。そういう自伝的劇団ものも、タイムスリップのような時空の移動と組み合わせたようなプロットもどちらもケラを思い起こさせるが、一方ではケラはあまり使わない夢オチというキーワードも何度も繰り返し出てくる。描かれている世界全体が誰かの頭の中の妄想にすぎないかもしれないという解釈も出来そうなのだ。意外と論理的整合性にこだわるケラとは異なり全体としてメタ的な多層構造をとりながらもそのメタの構造的秩序自体が論理的に措定できないようになってくると、これはもう地と図の関係が分離できない「なんだか訳のわからないもの」になっていかざるを得ない。
作品の中にはかなりの数の固有名詞(特に人名)が出てきて、それが描かれている舞台となっている下北沢という場所とともに重要なモチーフとなっている。例えば作中人物である劇団主宰者(金子鈴幸)はマームとジプシーの藤田貴大の名前を出し、自分と同じ年(26歳)ですでに岸田國士戯曲賞を受賞していたと嘆いた後、でも、松尾スズキが大人計画を設立したのも同じ年齢だったなどと自らを慰める。このように具体名を出していくのはこの下北沢の小さな劇場(「劇」小劇場)に芝居を見に来ている観客層とここで描かれる出来事の間に一種の共犯関係のような内輪感を醸し出そうという狙いがあるのではないか。
固有名詞ということでいえばこの作品でもっとも象徴的な形で出てくるのが向井秀徳*3とピンクエイジだろう。向井秀徳はもちろんナンバーガール、ZAZEN BOYSのボーカルである。劇中でも描かれているのだが、下北沢の路上でゲリラライブをしたことが過去に何度かあり、動画サイト*4でも最近の姿を見ることができる。動画に上げられたものがこの芝居が構想されたであろう2019年のライブと偶然遭遇したか話を聞いてこのエピソードを思いついた可能性もある。劇中では世代的に彼らが皆知っていてカラオケで歌える歌にどんなアーティストのものがあるかなどというトピックが出てくるが、カラオケでは歌わなくてもここ十年程の過去を回顧したこの作品で作者が象徴的なものとして選んだのが向井秀徳なのであろう。
こちらの方は劇中でもその楽曲が俳優らによって歌われるピンクエイジの方はどうかというと、曲を聴きながら果たしてこんなバンドが実在していたろうかと考えていたのも阿保らしいのだが、始まる前にパンフで確認していたのに観劇中は音楽・額田大志(ヌトミック/東京塩麹)というクレジットがあったのを失念していた。もちろん架空のバンドで、「楽曲提供に額田大志(ヌトミック/東京塩麹)を迎え」とあるように額田大志が作曲したものだ。「ピンクエイジ」というバンド名にもナイロン100℃の「ナイス・エイジ」を連想したし、虚実ないまぜの近過去劇*5という意味では主人公の過去へのタイムスリップでYMOがデビューできなかった「1979」のことも思い出した。そんなに露骨な形で模倣しているわけではないが、作品中ではあえて松尾スズキの名前を出しているけどやはりこの作者はケラのことが好きなんじゃないだろうか。
*1:simokitazawa.hatenablog.com
*2:宮崎玲奈(青年団演出部 / ムニ)についてはアフタートークでムニの名前が出ていたらしいので意識はあるのかもしれない。「忘れる滝の家」には今回出演している石渡愛も出演していたはず。
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